2020年06月30日

思い出し遍路⑦

腹ごしらえは終わったものの足は豆がつぶれて
痛いのと、靴ずれも両足にできそれも歩くたびに、こすれて
痛い・・・・・。
こんな靴を履いてこなければよかったと思っても、後の祭り、
人は痛い思いを含めて失敗から学ぶことが多いものだ。
そんな教訓がよみがえりました。
せめてもの救いは平地を歩いていることでした。
それでも痛いものは痛い・・・・・。
靴選びの重要さをまさに身を持って体験した初日でした。

6番の安楽寺まで残りは2キロくらいだったと思いますが、
どこをどうやって歩いたか、記憶が定かではありません。
陸上をやっていたので足の強さには少々の自信がありましたが、
普段と違う歩きになって足の筋肉も痛くなってきました。
初日の予定は7番の十楽寺を過ぎたところの民宿まで、
歩く距離は15キロあるかないかと言う道のりですが、ヘロヘロ
よれよれの新米遍路でした。

安楽寺は宿坊もありますが、温泉が湧く札所でもあります。
この日は泊まりませんでしたが、その後2回ここの宿坊に
お世話になりました。
ヘロヘロでしたので札所のことはほとんど頭に残らず、あと1つ
札所に行けば泊まれる・・・・そのことばかり考えていたように
思います。

十楽寺までは2キロあるかないか、普通に歩けば30分もあれば
到着しますが、足の痛みと筋肉の痛みで休憩の連続でした。
竜宮城のような山門は登れるようになっていますが、上に
上ったのは2回目か3回目に訪れた時でした。
少し傾斜のある地形でしたので足を引きずりながら本堂から
大師堂に移動したのを覚えています。
ここで民宿に電話を入れて場所を確認したところ、500mほどで
到着することが分かり、にわかに元気になったのも鮮明に覚えています。

民宿は寝るだけで食事も風呂もありませんでした、詳しくは次回に
お伝えします。
  
Posted by いとう茂 at 23:05Comments(0)

2020年06月29日

えこちゃんステーション

初めてのひきこもり・不登校家族の会が無事に終わりました。
出席をしますと返事をくれた家族が予定の1時に集まり、
えこちゃんステーションが始まりました。
冒頭のあいさつの中で、新聞社が取材に訪れたいと連絡が
あり、こちらが出席者の同意がなければ取材はできませんと
返事をしていたので、まずはその同意を求めたところ出席者が
同意をしてくれたので、その旨を記者に伝えて出席者の自己紹介
から入室してもらいました。
写真も参加者の同意したものでないと掲載しないで欲しいと
伝えていましたので、撮影した写真を確認してもらい、これなら
大丈夫と了解をもらいました。

ひきこもりや不登校の当事者がいる家族にとって、そのことを
多くの人に知られることに抵抗があります。
理由は様々で世間体もあれば子どものことが知られること自体が
いやな家族もいます。
ひきこもり、不登校が日常的に報道されていますが、家族にとっては
どことなく肩身が狭い思いがある証しかもしれません。
そのことも挨拶で話をしたのですが、水の流れに逆らって遡上する
魚のような生き方をするのが一般的だと考える風潮が主流を
占めているのかもしれません。

家から出ないのではなく出られない、そのことを理解する人を増やし、
人の生き方は一律ではない、様々な生き方があってもいいと認知
してもらうまでにはまだまだ越えなくてはいけないハードルがたくさん
あると感じます。
第1回目は大津市内よりも市外からの出席者の方が多く、どこの
市町でもこうした会が不足していることを痛感しました。
出席者の家庭の状況はそれぞれ違いますし、当事者の状況も
それぞれ違います。
トンネルに入ったばかりの人から出口の明かりがほんの少し見えだした
人までいますが悩みや課題はトンネルのどのあたりにいるかで
違ってきますし、全員が同じ長さのトンネルでもありません。
家族にしても絶えずどうすればいいのか考えている家族もいれば、
自然体で構えている家族もいます。
どちらがいいかという問題ではなく、当事者の家庭での状況が暴れて
暴言、暴力をふるうから何を話しかけても無反応まで様々ですので、
そうした状況によっても対応が変わってくるのかもしれません。

いずれにしても当事者のことが心配であるという親心は同じで、
話の端々にそうした思いが出ていましたし、聞いているほかの親も
うんうん頷きながら聞いていました。
えこちゃんステーションが親の息抜きの場、居場所になり互いにつながり
互いに影響しあって、まだまだ先が見えない道を励ましながら歩いていく
何らかの助けになるのであれば設立した甲斐があると思っています。
ようやく動き出したえこステですが、まだまだ手探り状態が続きます、
相談者である親だけでなくえこーのスタッフもえこステを通して多くの気づき、
学びの場となり、一人でも多くの相談者にお返しができればと考えています。
  
Posted by いとう茂 at 15:36Comments(0)

2020年06月28日

いよいよ始めます

3月29日に設立したもののコロナウイルスの感染拡大で
大きく軌道修正をしなければいけなくなった、ひきこもり・
不登校家族の会「えこちゃんステーション」(えこステ)が
ようやく動き出します。
4月、5月の予定がなくなり6月からのスタートですので
3月に承認してもらった事業計画も見直し、改めて今日の
えこステで承認してもらう予定です。

開催のチラシを公共機関に置かせてもらってから、何組かの
家族からも問い合わせがあり、こうした家族が集って抱えている
課題や苦しみを話す場がどれだけ少ないかが見えてきましたし、
それだけにどれだけ必要か、えこーとしても再認識しています。
来やすいことも大切ですが、いつ帰ってもいいということも
大切だと考えています。
出入り自由、親の居場所として活用していただければと考えて
いますが、そのためには雰囲気作りも大切です。

できるだけ公平になるように話す時間も設定しなければ
いけませんが、話したいこと、聞いて欲しいことを全部吐き出せず
消化不良のまま帰ってもらうのは、次回の参加に響いてくるでしょうから、
配慮が必要だと思います。
ひきこもりや不登校の当事者同様に、すぐに言葉が出てこない
家族もいれば、機関銃のように言葉が出る家族も面談を通して
何となく理解しています。
えこーはあくまで世話人です、内容の企画はしますが実施は
家族の同意が前提で、押し付けや指示はしません。

大津市で初めての会ということもあり、手探りでのスタートで
効率が悪いところもあると思いますが、生みの苦しみは
覚悟しています。
相談者のすべてが家族会に参加ということではありませんし、
今後、家族会の存在を知った人の参加も考えられます。

相談者とひきこもり・不登校の当事者のすべてが身体的にも
精神的にも正常と言われる範囲の中にいるか・・・・・。
全員ではありませんが様々な障害があるように感じています。
それは、日常の社会でも同じだと思います、こうした会を
特異な目で見る人もいると思いますが、コーラスやスポーツの
会と同じような目で見てもらえる社会が来たらなぁ、これは
個人的な大きな目標です、政治力でどうなるという問題ではなく、
個人の自覚、認識です、市民権を得るまでの長い道のり、
市民権を得ることができるのか、そんな不安と疑問、
家族もそうでしょうし、こちらもいろんなことを考え、抱えての
スタートになります。
世の中にはやった失敗よりもやらなかった失敗の方が多い、
届かないパットは入らない・・・・です。
  
Posted by いとう茂 at 10:20Comments(0)

2020年06月26日

いろんなこと

ブログを更新するときに今日は何をアップするか、
何となく頭の中で決めてからパソコンに向かうのですが、
今日はいろんなことが頭の中にあります。
うまく表現できるかわかりませんが・・・・・・いくつかの羅列です。
まずは感謝からです、賛助会費を頂いた方の数が昨年度に
近くなってきました。
昨年に引き続いて頂いた方と新しく賛助会員になって
頂いた人の数は、新しくなっていただいた方の方がやや多く、
広報紙を読んでえこーの活動を理解して頂いたのかと
嬉しい思いです。
昨年度は友人、知人関係が多かったのですが、今年度は
長らくご無沙汰している高校時代の友人もいますが、相談者や
更生保護関係の方も多く、ありがたい思いでいっぱいです。
えこーの役員の間で話していたのは、賛助会費を納めていただく
方が昨年の半分まで行くかどうかということでした、匿名希望も
多いのですが、広報紙に氏名が掲載されることで他の団体等から
うちにもお願いします、そんな申し入れがあると聞きました。
えこーでは無理に賛助会費をお集めることはやめよう、活動を
応援してやろうという気持ちがある人が増えていくことが、本来の
姿ではないかということで振込用紙を持って知り合いを回ったり
電話でお願いをするということは一切していません。
このスタンスはこの先も変えずに行こうと思っています。

物事を受け入れるとはどういうことか、いつものくだらない話です。
食べるものでも同じようなことが言えると思いますが、まずは、
物事を理解する、これがなければ受け入れても拒否反応を
示すように思います。
理解して納得しなければ受け入れることはできません。
食べるものでも味や形が苦手でも、体にいいということが理解
できれば食べることができますが、それができないと食べても1度きり、
誰かの前だけ食べる、そんな気がします。

受け入れるとはすべて肯定的なことでもないように思います。
アレルギーがある人は原因になる食べ物を、好物であっても
食べればアレルギーになるから食べない、当然のことですが
食べればアレルギーを起こすということを理解して食べない
ということを受け入れます。
物事でも同様のことが言えます。
どこかの政治家が票の取りまとめのために現金を配ったという
ニュースが世間をにぎわせていますが、悪いことをしないということは
子どもでも知っています。
悪いことをできる立場でも悪いことをしない、そのことを理解して
受け入れることは難しいことかも知れませんが、そのことができるか
どうかで評価は大きく変わります。
人は誰も聖人君子ではないと思っています、誰もが隙や出来心が
あるから反省ができる。
失敗も理解して受け入れるから次に生かすことができるように
思います。
のど元過ぎれば・・・・・、この考えは人間の本質を突いたものかも
知れません、教訓を生かす人は新しい失敗を犯し、教訓を生かさない
人は同じ失敗を繰り返す。
このことも理解して受け入れておかないと・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 14:41Comments(0)

2020年06月25日

思い出し遍路⑥

4番の大日寺にお参りしたわけですが、その後に食事も
すませました。
食べられるところがあれば食べる、トイレがあればとりあえず
利用する、遍路の鉄則だと思っていますが、逆に言えば
それだけ食べるところもトイレもないということです。
コンビニが幹線道路にあったのは、先ほどの話で今は
食堂がありそうな感じのしない道を歩いています。
とりあえずは山道を下って5番札所の地蔵寺を出てから
考えればいいか。
遍路初日の超初心者はそう考えていました。

歩きの地図のほかにドライブマップのコピーも用意していましたが、
これで助かりました。
地蔵寺から6番安楽寺に行く途中の幹線道路に確かに食堂の
印があります・・・・・・。
しかし、ドライブマップは最新のものではなくかなり古いので
信じていいものなのか、超初心者でも歩き遍路は少しでも
歩く距離を短くしたいと、矛盾に近い思考をします。
もし行ってみて閉まっていたり店がなかったら、そう考えると
二の足を踏んでしまいがちです・・・・・しかし空腹には耐えられない。

裏から入ってお地蔵さんがたくさんまつられている道を通り、
札所にお参りをして山門から出る、そんなお寺でしたが、
心ここにあらずの状態で、札所よりも食堂に心が傾いていました。
これも煩悩、捨てきれない自分を笑いながらも、ここは煩悩に
従うほかはありませんでした。
地図では川沿いに食堂があることになっていますので、川を探して
歩くこと3・40分だったと思います。
探していた川がありそれを幹線道路に向かってしばらく行くと・・・・・。
ありました、ありました、と言ってもうどんののぼりですが・・・・。
この食堂にはその後、何年かしてもう一度立ち寄っています。

徳島でうどんか、その疑問に従えばよかったのですが、空腹と
のぼりに負けてうどんと油物とご飯を食べましたが・・・・・・。
うどんのまずかったこと・・・・・その教訓は次回に活かしました。
この日の予定は7番の十楽寺までですが、この辺りでは足の豆が
いくつかつぶれかなり悲惨な状態でした。
食堂で思わぬ長居をして予定よりも遅れてしまい、少し
焦ってしまった記憶があります。
  
Posted by いとう茂 at 15:29Comments(0)