2020年05月31日
ついこの前のように思っていたのに・・・・・
この前、同年代の人と少し下の人と話をする機会がありました。
3人とも生まれた地域が違いますので共通の学校などはなく、
もっぱら自分たちが子どもの頃の話になりました。
年齢が下の人の魚釣りはブラックバスが対象だったと聞いて、
ここでまずジェネレーションギャップを感じました。
おそらく年齢差は15歳くらいだと思います。
我々の年代の魚釣りは季節感があったように思います。
冬の間はほとんど休みでしたが、春になると赤虫で釣るモロコ、
これからは水面に少しだけ頭を出して群れで泳ぐワタカ、
もう少し熱くなると石垣で群れるアユのひっかけ、夜は
そのアユをエサにして釣るウナギ、梅雨時分から秋の終わりまでは
アユやウナギと並行して鯉釣り、と子どもながらに季節の移り変わりで
釣る魚を変えていましたが、バス釣りは年がら年中同じです。
田舎に行くと田んぼを耕す牛がいたと話すと、同年代の人は
うちには乳牛がいたということでしたが、年下の人は・・・・・・・。
田舎では鶏を飼っていて、祭りやお盆に帰ると鶏をつぶして
夜はすき焼きを食べるのが楽しみだったと話すと、うん、うんと
同年代、ただただ無言が年下の人。
結構年の差と言うのは育ちの中でしていることが違うんだと、
新しい気づきがありました。
共通点もありました、山に行ってカブトムシを捕まえるということ
ですが、大きく違ったのは年下の人は、それを京都駅で売って
小遣い稼ぎをしていたということで、この話には二人とも
唖然・・・・・・でした。
いずれにしても私が経験したのは半世紀以上前の話になります。
それでも鮮明にその頃のことを覚えているということが不思議でした。
今の子どもたちはどんな自然体験を覚えているのでしょうか、
たくましさと言うか生命力や免疫力は断然我々の方が勝っている、
頭の出来はわかりませんが・・・・・。
3人とも生まれた地域が違いますので共通の学校などはなく、
もっぱら自分たちが子どもの頃の話になりました。
年齢が下の人の魚釣りはブラックバスが対象だったと聞いて、
ここでまずジェネレーションギャップを感じました。
おそらく年齢差は15歳くらいだと思います。
我々の年代の魚釣りは季節感があったように思います。
冬の間はほとんど休みでしたが、春になると赤虫で釣るモロコ、
これからは水面に少しだけ頭を出して群れで泳ぐワタカ、
もう少し熱くなると石垣で群れるアユのひっかけ、夜は
そのアユをエサにして釣るウナギ、梅雨時分から秋の終わりまでは
アユやウナギと並行して鯉釣り、と子どもながらに季節の移り変わりで
釣る魚を変えていましたが、バス釣りは年がら年中同じです。
田舎に行くと田んぼを耕す牛がいたと話すと、同年代の人は
うちには乳牛がいたということでしたが、年下の人は・・・・・・・。
田舎では鶏を飼っていて、祭りやお盆に帰ると鶏をつぶして
夜はすき焼きを食べるのが楽しみだったと話すと、うん、うんと
同年代、ただただ無言が年下の人。
結構年の差と言うのは育ちの中でしていることが違うんだと、
新しい気づきがありました。
共通点もありました、山に行ってカブトムシを捕まえるということ
ですが、大きく違ったのは年下の人は、それを京都駅で売って
小遣い稼ぎをしていたということで、この話には二人とも
唖然・・・・・・でした。
いずれにしても私が経験したのは半世紀以上前の話になります。
それでも鮮明にその頃のことを覚えているということが不思議でした。
今の子どもたちはどんな自然体験を覚えているのでしょうか、
たくましさと言うか生命力や免疫力は断然我々の方が勝っている、
頭の出来はわかりませんが・・・・・。
Posted by いとう茂 at
21:40
│Comments(0)
2020年05月30日
白紙
ここに1枚の白紙があるとします。
学校ではありませんが、誰かがこの白紙を配り「自由に
白紙に絵でも文字でも何でもいいので書いて提出してください」
さあ、何を書こうか22世紀の未来図、恐竜、アイドルの似顔絵、
自分の夢や主張、詩句、音符、エッセイ、4コマ漫画、誰かの
悪口、好きな人への手紙・・・・・めいめいが書きだしました。
提出は1週間後にしておきます、皆さんなら何を書きますか。
1週間後、みんなができた作品を持ち寄り黒板の上に張って
いきます、書道家のような見事な隷書体で般若心経を書いた人、
10代から70代の吉永小百合の似顔絵を描いた人、好きな人
への恋心を切々とつずった恋文、すみっコぐらしのキャラクターを
アクリルペンで描いた人、それぞれが違った作品を作りました。
その中で無口な茂君だけが白紙のまま提出しています。
皆さんならどう思うでしょう、考えてみてください。
多くの人が「何をさぼっとんね」そう考えるかもしれません。
そんな中で茂君と仲良しの健さんだけが、拍手をしています。
「いやー、茂君の勇気に拍手だよ」
茂君は黙ってうつむいています。
みんながざわざわして「茂君って度胸あるよな、白紙で出すなんて」
その声を聞いた健さんが「勘違いすんなよ、白紙の声が聞こえるか、
茂君の心が見えるか」
みんなはポカンとしています、さらに健さんが続けます。
「茂君だってみんなと同じように何かを書きたかったはずだ、何度も
何度もペンをもって必死に書こうとしたに違いない、ここにいる誰よりも
悩み苦しんだことだろう、提出が翌日だったら苦しみは1日ですんだが、
1週間もあったから、その分だけ苦しみ悩んだ結果が白紙だ、
この白紙には茂君の思いがいっぱい詰まっていると思う。
その声が聞こえてこないか、苦悩している茂君の姿が見えないか。
悩んで苦しんで、それでも茂君は今日ここにきて白紙を提出した、
きっとみんなに馬鹿にされるだろうと怯えながらでも、出てきて提出した。
その行為に拍手だよ」
ひきこもりや不登校の相談でも同じようなことが言えるように思います。
価値観、だけで判断すると見ようとしている人の心まで見えない
ことがあるように思いますし、寄り添うということはこちらの心の中で
これはどういった意味だろうと、多方面から考える必要があると思います。
自分がこうだから他人も同じとは限りません。
何も書いていない白紙には語りつくせぬ思いが詰まっています。
学校ではありませんが、誰かがこの白紙を配り「自由に
白紙に絵でも文字でも何でもいいので書いて提出してください」
さあ、何を書こうか22世紀の未来図、恐竜、アイドルの似顔絵、
自分の夢や主張、詩句、音符、エッセイ、4コマ漫画、誰かの
悪口、好きな人への手紙・・・・・めいめいが書きだしました。
提出は1週間後にしておきます、皆さんなら何を書きますか。
1週間後、みんなができた作品を持ち寄り黒板の上に張って
いきます、書道家のような見事な隷書体で般若心経を書いた人、
10代から70代の吉永小百合の似顔絵を描いた人、好きな人
への恋心を切々とつずった恋文、すみっコぐらしのキャラクターを
アクリルペンで描いた人、それぞれが違った作品を作りました。
その中で無口な茂君だけが白紙のまま提出しています。
皆さんならどう思うでしょう、考えてみてください。
多くの人が「何をさぼっとんね」そう考えるかもしれません。
そんな中で茂君と仲良しの健さんだけが、拍手をしています。
「いやー、茂君の勇気に拍手だよ」
茂君は黙ってうつむいています。
みんながざわざわして「茂君って度胸あるよな、白紙で出すなんて」
その声を聞いた健さんが「勘違いすんなよ、白紙の声が聞こえるか、
茂君の心が見えるか」
みんなはポカンとしています、さらに健さんが続けます。
「茂君だってみんなと同じように何かを書きたかったはずだ、何度も
何度もペンをもって必死に書こうとしたに違いない、ここにいる誰よりも
悩み苦しんだことだろう、提出が翌日だったら苦しみは1日ですんだが、
1週間もあったから、その分だけ苦しみ悩んだ結果が白紙だ、
この白紙には茂君の思いがいっぱい詰まっていると思う。
その声が聞こえてこないか、苦悩している茂君の姿が見えないか。
悩んで苦しんで、それでも茂君は今日ここにきて白紙を提出した、
きっとみんなに馬鹿にされるだろうと怯えながらでも、出てきて提出した。
その行為に拍手だよ」
ひきこもりや不登校の相談でも同じようなことが言えるように思います。
価値観、だけで判断すると見ようとしている人の心まで見えない
ことがあるように思いますし、寄り添うということはこちらの心の中で
これはどういった意味だろうと、多方面から考える必要があると思います。
自分がこうだから他人も同じとは限りません。
何も書いていない白紙には語りつくせぬ思いが詰まっています。
Posted by いとう茂 at
21:16
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2020年05月29日
よく考えれば・・・・
コロナウイルスの感染拡大防止で外出自粛から
緊急事態宣言の措置が取られました。
ここにきて緊急事態の解除で本格的に止まっていた活動が
動き始めました。
二次感染の拡大は気になるところですし、気の緩みには
注意を払う必要があります。
ところで、外出自粛から緊急事態の間、ショッピングセンター、
飲食店、遊技施設など多くの民間施設が閉鎖されたり、公的な
機関も使用中止や閉館が続いていました。
その影響で経済活動も大きな支障が出たり、労働側から見ると
解雇や休職を余儀なくされた人も多く、家計が苦しい世帯は
想像以上に多いと思います。
しかし、この期間一応食事をして命を繋いできた人が大部分です。
もちろん大切な貯金を切り崩して対応してきたのだと思いますが、
とにかく生きています。
ショッピングセンターや遊ぶとこは閉鎖でしたが、どれだけの人が
困っていたのか、家庭にいるしかなく息詰まりの解消で、外出を
望むことは多かったかもしれませんが、食べるもののように
ショッピングセンターや遊ぶところがなければ生きていけないという
人はほとんどいないのではないか、そんなことをぼんやり考えて
いました。
緊急事態の中で早期に解除を望んでいた気持ちの根っこにあるのは
本当に必要なものが手に入らないからなのか、それともただの
気晴らしや時間つぶしの場所が欲しいからなのか・・・・・・。
ウインドウショッピングも含めて、食材以外の物を買うという行為から
長らく遠ざかっていた我々が、この先も物に対する欲望が小さく
なり続けるのか、それともリバウンドでさらに買い込んでしまうのか。
自分をサンプルにして、研究してみてもいいのか、そんなことを
思っています。
緊急事態宣言の措置が取られました。
ここにきて緊急事態の解除で本格的に止まっていた活動が
動き始めました。
二次感染の拡大は気になるところですし、気の緩みには
注意を払う必要があります。
ところで、外出自粛から緊急事態の間、ショッピングセンター、
飲食店、遊技施設など多くの民間施設が閉鎖されたり、公的な
機関も使用中止や閉館が続いていました。
その影響で経済活動も大きな支障が出たり、労働側から見ると
解雇や休職を余儀なくされた人も多く、家計が苦しい世帯は
想像以上に多いと思います。
しかし、この期間一応食事をして命を繋いできた人が大部分です。
もちろん大切な貯金を切り崩して対応してきたのだと思いますが、
とにかく生きています。
ショッピングセンターや遊ぶとこは閉鎖でしたが、どれだけの人が
困っていたのか、家庭にいるしかなく息詰まりの解消で、外出を
望むことは多かったかもしれませんが、食べるもののように
ショッピングセンターや遊ぶところがなければ生きていけないという
人はほとんどいないのではないか、そんなことをぼんやり考えて
いました。
緊急事態の中で早期に解除を望んでいた気持ちの根っこにあるのは
本当に必要なものが手に入らないからなのか、それともただの
気晴らしや時間つぶしの場所が欲しいからなのか・・・・・・。
ウインドウショッピングも含めて、食材以外の物を買うという行為から
長らく遠ざかっていた我々が、この先も物に対する欲望が小さく
なり続けるのか、それともリバウンドでさらに買い込んでしまうのか。
自分をサンプルにして、研究してみてもいいのか、そんなことを
思っています。
Posted by いとう茂 at
13:45
│Comments(2)
2020年05月28日
いよいよ・・・ようやく・・・・ほんとうに・・・・
昨日と今日は登校日でした、1クラスを半分に分けての
登校で、緑のお爺さんの時間は変わりませんが、子どもたちは
半分しか通りませんでした。
通勤の人からは今日から学校ですか、という声をたくさん
聞きました。
これが3連休後は一斉に登校します。
待ちに待った子どももいるでしょうし、学校に行かなくては
いけないのか、と忘れていた子どももいるかもしれません。
学校に行く時期は同じですので、スタートは同じだと考える
人も多いと思いますが、夏休みよりも長い休みの過ごし方で
子どもたちの学力には差が出ているかもしれません。
流れて行った時間は元には戻りませんので、よーいドンで、
学校に行ったらクラスメートはずっと先を走っていた、そんな
現実はないのでしょうか。
先を走っているという状況なら、遅れているのは自分だけで
はなく、他にも多数いるので授業の進み方も遅い子どもに
合わせられますが、出遅れたという状況で遅れているのが
クラスにちらほらなら、授業のペースについていけない
ことになります。
教える方も、教えなくてはいけない量の配分を多くしないと
休みの分を取り戻せません。
この状況でも夏休みはある程度は取らなくてはいけないのだと
思いますので、遅れている子どもが追いつくのはかなり
難しいのではと思いますし、塾に行っていない、行けない
子どもならと考えると・・・・・。
新年度でクラス替えがある学年もあるでしょう、友だちが
少ない子どもが孤立したり、ついて行けない子どもが
バカにされたり、いじめられたり・・・・・。
心配しすぎでしょうか、杞憂に終わればいいのですが。
こうした子どもたちが不登校になって家庭にひきこもらないか、
これも考えすぎならいいのですが・・・・・。
いよいよ・・・・ようやく・・・・ほんとうに・・・・始まります。
どうぞ、心配事が老人の妄想でありますように。
登校で、緑のお爺さんの時間は変わりませんが、子どもたちは
半分しか通りませんでした。
通勤の人からは今日から学校ですか、という声をたくさん
聞きました。
これが3連休後は一斉に登校します。
待ちに待った子どももいるでしょうし、学校に行かなくては
いけないのか、と忘れていた子どももいるかもしれません。
学校に行く時期は同じですので、スタートは同じだと考える
人も多いと思いますが、夏休みよりも長い休みの過ごし方で
子どもたちの学力には差が出ているかもしれません。
流れて行った時間は元には戻りませんので、よーいドンで、
学校に行ったらクラスメートはずっと先を走っていた、そんな
現実はないのでしょうか。
先を走っているという状況なら、遅れているのは自分だけで
はなく、他にも多数いるので授業の進み方も遅い子どもに
合わせられますが、出遅れたという状況で遅れているのが
クラスにちらほらなら、授業のペースについていけない
ことになります。
教える方も、教えなくてはいけない量の配分を多くしないと
休みの分を取り戻せません。
この状況でも夏休みはある程度は取らなくてはいけないのだと
思いますので、遅れている子どもが追いつくのはかなり
難しいのではと思いますし、塾に行っていない、行けない
子どもならと考えると・・・・・。
新年度でクラス替えがある学年もあるでしょう、友だちが
少ない子どもが孤立したり、ついて行けない子どもが
バカにされたり、いじめられたり・・・・・。
心配しすぎでしょうか、杞憂に終わればいいのですが。
こうした子どもたちが不登校になって家庭にひきこもらないか、
これも考えすぎならいいのですが・・・・・。
いよいよ・・・・ようやく・・・・ほんとうに・・・・始まります。
どうぞ、心配事が老人の妄想でありますように。
Posted by いとう茂 at
21:35
│Comments(0)
2020年05月27日
皆さんありがとう
今日は水曜日でえこーの相談日でしたが、
コロナウイルスの関係で相談は中止でした。
中止だからと言ってえこーの活動まで中止にはなりません。
先週から配り始めた広報紙を読んだ方から賛助会費が
振り込まれてきています。
新規の人には賛助会員の規約と礼状、それと家族の会のチラシを、
昨年もいただいた方には礼状とチラシを発送しなければ
いけませんので、その準備に追われました。
まずは・・・・・礼状の作成・・・・・そこからかい・・・・・。
これが一番時間を要しますが、案外すんなり完成しました。
振り込んでいただいた方の名前を見ていると、中学校の同級生、
高校で同じクラブで汗を流した人、商工会議所の青年部で
一緒に活動をしていた人、昨年まで所属していた団体の人、
地域でお世話になっている方、かつての同僚、市役所の職員、
現在も同じ組織で活動している人、と様々な立場で交流がある
人たちです。
えこーの相談は無料ですが、運営するのにはそれなりにお金も
必要になります。
その運営を支えていただいているのが賛助会員の浄財です。
ほとんどがスタッフと交流がある人ですが、知り合いだから
賛助会費を頂いている面よりも行っている活動を理解していただき
支援していただいている部分が大きいと考えています。
誰とも親分子分の関係ではなく、対等な立場ですので、えこーの
スタッフ同様に放っておけない、何とかしてあげたい、そんな気持ちが
賛助会費と言う形になっている・・・・・と思います。
人の情けに触れ心がきゅっと引き締まる感と熱い何かがこみ上げる感が
ありました。
誰かにしてもらったら誰かにして返そう、世の中は名前もお金も
肩書も借り物です、すべてはいつか世の中に返さなければなりません。
コロナウイルスの関係で相談は中止でした。
中止だからと言ってえこーの活動まで中止にはなりません。
先週から配り始めた広報紙を読んだ方から賛助会費が
振り込まれてきています。
新規の人には賛助会員の規約と礼状、それと家族の会のチラシを、
昨年もいただいた方には礼状とチラシを発送しなければ
いけませんので、その準備に追われました。
まずは・・・・・礼状の作成・・・・・そこからかい・・・・・。
これが一番時間を要しますが、案外すんなり完成しました。
振り込んでいただいた方の名前を見ていると、中学校の同級生、
高校で同じクラブで汗を流した人、商工会議所の青年部で
一緒に活動をしていた人、昨年まで所属していた団体の人、
地域でお世話になっている方、かつての同僚、市役所の職員、
現在も同じ組織で活動している人、と様々な立場で交流がある
人たちです。
えこーの相談は無料ですが、運営するのにはそれなりにお金も
必要になります。
その運営を支えていただいているのが賛助会員の浄財です。
ほとんどがスタッフと交流がある人ですが、知り合いだから
賛助会費を頂いている面よりも行っている活動を理解していただき
支援していただいている部分が大きいと考えています。
誰とも親分子分の関係ではなく、対等な立場ですので、えこーの
スタッフ同様に放っておけない、何とかしてあげたい、そんな気持ちが
賛助会費と言う形になっている・・・・・と思います。
人の情けに触れ心がきゅっと引き締まる感と熱い何かがこみ上げる感が
ありました。
誰かにしてもらったら誰かにして返そう、世の中は名前もお金も
肩書も借り物です、すべてはいつか世の中に返さなければなりません。
Posted by いとう茂 at
21:03
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