2014年06月06日
私の土佐日記 番外編②
極力周囲の人とは距離を置こうと心掛けていましたので、あまり印象に残る
人はいませんでしたが、須崎を目指して歩いていた時、山形の女性と
男性二人の4人で半日近く一緒でした、休憩所で、さぁ出発と言う時に
男性がトイレに行くと言うのでもう一人の男性が待ってあげ、私はお先にと
出たのですが後を追って女性も付いてきました、男性との距離は50メートルくらい
だったでしょう、追いつく気配も離れる気配もなく距離はほとんど変わらない
状態でした、そんな時に軽自動車が前に止まり、にこにこした顔で女性が下りてきました。
手にみかんを持って近づいてきます「こんにちわ、これ御接待です。」
そう言って小夏を2つずついただきました、渡すとそそくさと走り去りました。
後ろの男性の分がなかったのかどうか分かりませんが、
足を止めた時間はわずかでしたがすぐ後ろに二人はいました。
今いただいた小夏は、御接待の御接待で4人が一人一つずつの小夏を持って
束の間でしたが同行四人でした。
四国の御接待の文化がいつの頃からあるのか知りませんが、二ついただいたのは
一つは私にもう一つはお大師さんにと言う意味で同行二人の最たるものです。
次の日に道を教えてくれた小学生も御接待です。
無財の七施と言えばいいのでしょうか。
そんな人もいれば夫婦で車から降りてにこにこしながら近づいてきて、
「お遍路さん、説教する気はないけど・・・・あんまり真言宗を
一生懸命せん方がいいよ」
(大きなお世話、ほっといてんか、うちは浄土真宗です)
「中国では真言宗は一度捨てられたんや」
だんだん声が大きくなり前に立って歩くのをさえぎります。
「別に一生懸命やってるわけやないですよ」
「〇〇宗こそ最高の宗教なんや」
「はぁ、はぁ」
うわの空で聞いていましたが一向に止めようとしません。
むしろ威圧的な物言いに変わり奥さんが相槌を打っています。
相手にせず横をすり抜け歩き出しましたが後ろから声が追ってきます。
「玄宗皇帝の・・・・・・・」
車を置いたまま300mくらいついてきたでしょうか、これも御接待と
気を取り直し歩きましたが、むきになって誰かを説得しょうとしたことはあります、
その時の相手の心境はきっとこの時の私の気持ちと変わらなかったのかも知れません。
歩いていて心が休まる、癒されるのは山や太平洋、親切な人だけではありません。
香川は別ですが他の県には大きい川がいくつかあります、そしてその支流も
数多くありますし町の中を道路に沿って清流が流れていることも
珍しくありません、山の中の清流には昔は大津にもいたムツという魚が
群れで泳いでいます、背中に斑点のある10センチ前後の魚で井戸で飼われて
いたのを懐かしく思い出しますし少し水量のある川には鯉がゆったり泳いでいます。
50センチなら小さい方で大きいのになると80センチくらいはあります。
時々緋鯉もいて川があると覗き込むのが常で、魚を探すのも
歩く楽しみであり、疲れをまぎらす手段でもあります。
山頭火の言葉に「失望は悪魔を生み、絶望は神を生む」というのがあります。
失望も絶望もしていないのですが時々、お大師さんに呼ばれているようで。
次は来年か、もしかすると今年の夏か、前回は昨年の8月、今回歩いた
四万十市で4日連続40度を超えた時期で、徳島の山中で38度の気温に
めげそうになっていました。
いろんなことが毎回あり辛いこと、苦しいことがあってもお大師さんに
呼ばれるとじっとしていられなくなる。
タデ食う虫も好き好き・・・・・・それもいいでしょう。
食わず嫌いとは言いませんが、せっかく授かった命です、
一度くらいは先人のまねをすることも無駄ではない気がします。
一途に祈る、意味があるかどうかはわかりませんが
一途に祈らずにはいられない荷物を持っているのも人間ですし、
生きている証しだと思います。
しょせん人間は古代からほとんど変わっていないように思います、
変わったのは相手に気持ちを伝える手段だけです。
人はいませんでしたが、須崎を目指して歩いていた時、山形の女性と
男性二人の4人で半日近く一緒でした、休憩所で、さぁ出発と言う時に
男性がトイレに行くと言うのでもう一人の男性が待ってあげ、私はお先にと
出たのですが後を追って女性も付いてきました、男性との距離は50メートルくらい
だったでしょう、追いつく気配も離れる気配もなく距離はほとんど変わらない
状態でした、そんな時に軽自動車が前に止まり、にこにこした顔で女性が下りてきました。
手にみかんを持って近づいてきます「こんにちわ、これ御接待です。」
そう言って小夏を2つずついただきました、渡すとそそくさと走り去りました。
後ろの男性の分がなかったのかどうか分かりませんが、
足を止めた時間はわずかでしたがすぐ後ろに二人はいました。
今いただいた小夏は、御接待の御接待で4人が一人一つずつの小夏を持って
束の間でしたが同行四人でした。
四国の御接待の文化がいつの頃からあるのか知りませんが、二ついただいたのは
一つは私にもう一つはお大師さんにと言う意味で同行二人の最たるものです。
次の日に道を教えてくれた小学生も御接待です。
無財の七施と言えばいいのでしょうか。
そんな人もいれば夫婦で車から降りてにこにこしながら近づいてきて、
「お遍路さん、説教する気はないけど・・・・あんまり真言宗を
一生懸命せん方がいいよ」
(大きなお世話、ほっといてんか、うちは浄土真宗です)
「中国では真言宗は一度捨てられたんや」
だんだん声が大きくなり前に立って歩くのをさえぎります。
「別に一生懸命やってるわけやないですよ」
「〇〇宗こそ最高の宗教なんや」
「はぁ、はぁ」
うわの空で聞いていましたが一向に止めようとしません。
むしろ威圧的な物言いに変わり奥さんが相槌を打っています。
相手にせず横をすり抜け歩き出しましたが後ろから声が追ってきます。
「玄宗皇帝の・・・・・・・」
車を置いたまま300mくらいついてきたでしょうか、これも御接待と
気を取り直し歩きましたが、むきになって誰かを説得しょうとしたことはあります、
その時の相手の心境はきっとこの時の私の気持ちと変わらなかったのかも知れません。
歩いていて心が休まる、癒されるのは山や太平洋、親切な人だけではありません。
香川は別ですが他の県には大きい川がいくつかあります、そしてその支流も
数多くありますし町の中を道路に沿って清流が流れていることも
珍しくありません、山の中の清流には昔は大津にもいたムツという魚が
群れで泳いでいます、背中に斑点のある10センチ前後の魚で井戸で飼われて
いたのを懐かしく思い出しますし少し水量のある川には鯉がゆったり泳いでいます。
50センチなら小さい方で大きいのになると80センチくらいはあります。
時々緋鯉もいて川があると覗き込むのが常で、魚を探すのも
歩く楽しみであり、疲れをまぎらす手段でもあります。
山頭火の言葉に「失望は悪魔を生み、絶望は神を生む」というのがあります。
失望も絶望もしていないのですが時々、お大師さんに呼ばれているようで。
次は来年か、もしかすると今年の夏か、前回は昨年の8月、今回歩いた
四万十市で4日連続40度を超えた時期で、徳島の山中で38度の気温に
めげそうになっていました。
いろんなことが毎回あり辛いこと、苦しいことがあってもお大師さんに
呼ばれるとじっとしていられなくなる。
タデ食う虫も好き好き・・・・・・それもいいでしょう。
食わず嫌いとは言いませんが、せっかく授かった命です、
一度くらいは先人のまねをすることも無駄ではない気がします。
一途に祈る、意味があるかどうかはわかりませんが
一途に祈らずにはいられない荷物を持っているのも人間ですし、
生きている証しだと思います。
しょせん人間は古代からほとんど変わっていないように思います、
変わったのは相手に気持ちを伝える手段だけです。
Posted by いとう茂 at 12:32│Comments(0)