2024年11月30日

逆境の中でも時間(とき)はたつ

伊藤肇の「左遷の哲学」のサブタイトルです。
つくしの死ですっかり落ち込んでいますが、その間には色々なことがありました。
つくしが息を引きとった日の昼間は、えこーの移動家族会でした。
参加者は7名でえこーのスタッフ以外は昨年の10月1日以来の訪問でした。
いい方向に向かっている当事者、現状維持だが当事者が安定している、変化はないが医療機関が訪問予定の当事者と、全体に期待が持てる報告で明るい雰囲気で経過しました。
このお宅の相談者は、毎回家族会には高速を使わずに地道で来ているということで、所要時間は1時間30分ということでした。
夕方の5時まで家族会をやっていますので、この季節は真っ暗な中を帰っています。
それでも休まずに家族会に参加しています、頭が下がる思いで話を聞いていました。
大勢の人が来て話し声が家の中に響くと空気が循環して気分が楽になるそうです。
そのうちに当事者も顔を見せてくれることを期待しています。
そして、えこーに講演の依頼が来ました。
大津の保護司会の中部会からで、保護司と更生保護女性会の会員対象に来年1月にひきこもりを中心にして不登校の話も聞きたいという希望でした。
中部会は以前に私が部長をしていた部会で、古巣に呼んでいただいたことになります。
講演時間は1時間30分、それ以上でも可能ということで、これから資料作りにかかります。
えこーの方が忙しくなり保護司を退任して2年近くになりますが、ほとんどが知った顔ぶれですので、遠慮なく話ができそうです。
例年1月の研修は新年会も兼ねていて、アルコールはありませんが昼食は弁当でした。
今回もその慣例で昼食は弁当で、えこーもご相伴にあずかります。
アルコールなしですので盛り上がりには欠けますが、普段は横のつながりが少ない保護司にとっては、貴重な交流の場です。
学びと気づきがたくさんあるような講演を務めたいと考えています。

  
Posted by いとう茂 at 10:53Comments(0)

2024年11月29日

最後の見送り

昨日はつくしの火葬の日でした。
日曜日に亡くなって今日まで家にいました、骨を拾いたかったので延びましたが、段ボールに入って冷たく硬くなった体をさすることができました。
つくしが亡くなったことを知った近所の人たちが、お花を供えてくれて棺桶代わりの段ボールは花で一杯でした。
家族だけでなく周りの人にも可愛がってもらったつくしは幸せだったと感じています。
ドッグフードやおもちゃが一杯詰まった段ボールの重量は8キロ余り、ぼってりした横腹はうっすらあばら骨が浮いていました。
最後は脳腫瘍の苦しさと闘っていたのでしょう。
白骨を見ると左側の目の下の骨がボロボロで、脳腫瘍が進行していたことが分かりました。
そのためか死後4日しても鼻血が出ていて、毎日シートの交換をしていました。
よく太っていたと言ってもミニチュアダックスですので、骨は本当に細く小さく、こんな骨でよく歩き回れたな、と思うほどでした。
3寸の骨壺にしましたが、頭蓋骨から尻尾まで8割くらいの骨が入りました。
帰りはまだ熱のある骨壺を膝に挟んで、大津の湖岸沿いから近江大橋を走ってきました。
愛知県にいる上の娘の所へ行った時に、助手席では落ち着かずに運転している私の膝の上にじっと座っていたのを懐かしながら、悲しいドライブでした。
上の娘が「お父さん、また犬を飼ったら。面倒を見られへんようになったら私が見るやん」・・・・。
お前の言うことは信用できん、つくしもその前の犬もお前が押し付けたのを忘れたのか・・・犬がかわいそうだ。
つくしの骨はえこーの事務所に遺影と花を飾って置いてあります。
元気なころの姿を見るのは辛いのですが、それでもやはりじっと見ている自分がいます。
面倒を見てもらっていたのは犬バカの方かも知れません。
  
Posted by いとう茂 at 14:47Comments(0)

2024年11月28日

犬の思い出

つくしのことばかり書いていると、これまでに飼っていた犬が化けて出てきそうですので、思い出しながら書いていきます。
1頭目は「エス」という柴犬でした、問屋の番頭が「野洲で犬が生まれたんやけど、もらってくれる人を探している、親は血統書付きの犬やで」。
この血統書が引っかかりました、「ふーん」と生返事をしていると、「親はピーンとした耳で尻尾もきれいに巻いている柴犬やわ」。
今度は柴犬に反応して「貰ってきて」と即答です。
「獣医に頼んだら血統書も書いてくれるわ」これには「そんなもんいらんわ」犬も人間同様に氏より育ちです。
私が23歳の時にエスは我が家に来ました。
もう50年近く前になります、朝晩散歩に連れて行き、こちらも規則正しい生活ができました。
近くの獣医さんから「散歩で草むらに入れたらあかんよ、草むらで色んな菌をもらうから」と言われてそれだけは忠実に守りました。
丸いぼんやりした顔が日を追うごとに精悍になり、体も大きくなりました。
大きくなったと言っても柴犬ですから10キロ余りだと思います。
中庭で放し飼いでしたので、庭からサッシのふちに足をかけてこちらをのぞき込むのも日課で、裏の勝手口から知らない人が入ってくると一目散に駆け出してワンワン吠えて知らない人を威嚇していました。
番犬としても最適の犬で、渡り廊下や部屋の中に入っているのを見つけて叱ると、二度と同じことをしない賢い犬でした。
散歩の最後に「いくぞ」と言って100mほどの競争です、1歳くらいまでは私の方が速く、エスが後からついてきていました。
それが、1歳を過ぎると同じくらいの速さで走り、鎖が少したるむ程度になり、2歳を過ぎると私の前を走るようになりました。
元陸上部よりもエスが速く走るのは、その後7・8年は続いたと思います。
次回はエスの晩年から始めます。
  
Posted by いとう茂 at 13:54Comments(0)

2024年11月27日

納豆、皿うどん、扇型ソーセージ

つくしが好きだったものの一例です。
私が食べているものを隣に来て頂戴コールを連発して食べていましたので、基本的には何でも食べます。
朝は納豆のパックに納豆に白ご飯、その上に縮緬じゃこをかけてやると、おいしそうに食べお替りコールもしばしばでした。
そんなに納豆が好きなら、1パック丸ごと食べさせてやればよかった。
この後悔は尾を引きそうです
24日の日曜日はカレーで付け合わせに野菜と扇型のソーセージでした。
食事を始めてすぐにつくしの容態が急変して息を引きとりましたので、カレーもほとんど食べず扇形のソーセージも手を付けていませんでした。
「明日食べる」と残し、月曜日は皿うどんに昨日のソーセージでした。
皿うどんもつくしの好物で、とろみでしなッとなったところをやると、ズルズルと上手に食べて必ずお替りコールでしたし、ソーセージはこちらの口に入るよりもつくしが食べる方が圧倒的に多く、そのことを思い出すともうごちそうさまでした。
皿うどんも扇形ソーセージも私の好物ですが、当分は食べたくないし食べられないと思います。
わずか6キロほどの犬にずいぶん癒され、助けられていたことを改めて実感しています。
つくしもその前のクロも好んで飼いだしたのではなく、上の娘が押し付けて言った犬です。
元来、犬好きですので、愛情が移りすぎてはと二匹とも一度も散歩には連れて行かず、もっぱら嫁の仕事でしたが、それでもこれだけの虚無感があります。
明日はつくしが火葬される日です、そこにはどんな自分がいるのか・・・想像に難くありません。
  
Posted by いとう茂 at 15:23Comments(0)

2024年11月26日

必然は突然に⑦

11月24日はえこーの家族会でした、今回は移動家族会ということで、相談者宅での開催です。
市外の相談者で片道高速を走って約1時間ですので、つくしに何かあってもすぐには帰れず、帰りに友人の母親が亡くなりましたので、そちらに回ってお参りもありました。
移動家族会から大津に帰ってきたのが6時、友人宅は6時30分の約束でした、最近はこれまでお世話になってきた人のほとんどと疎遠に近い状況で、友人ともゆっくり話すのも今年に入って初めてでした。
移動家族会に出かける前に、娘夫婦と孫がつくしの状態を見に来てくれましたので、少し話す時間がありました。
友人宅を出て家に着いたのは7時50分を過ぎていました、つくしは昏睡状態でじっと寝ていました。
嫁さんが今日はバタバタしてたのでカレーにしたということで8時前から食べ始めました。
つくしは横でじっと寝ていました、時々目をやるのですが苦しそうな息遣いが聞こえるだけで大きな変化はありません。
それが、8時10分頃に頭を二度持ち上げてバタンを繰り返しましたので、一度目の時に「つくしどうした、起きるのか」と声を掛けましたが反応がなく、すぐに二度目の動作があり、ここで息絶えてしまいました。
「つくしよぉ、帰ってくるのを待っててくれたんけ、ありがとうな」というのが精一杯でした。
いつもならカレーのサラダについている扇形のソーセージを欲しがり、ほぼ独り占めにしてきましたが、その日は手つかずのままで翌日に残しました。
嫁さんが「どうしよう炬燵から出そうか」と尋ねましたので「寒いから今夜はこのままにしとこう」ということで、敷いていた毛布やタオルがおしっこで濡れていましたので、新しいものに交換して
その夜は炬燵の中で朝を迎えました。
まだ続きます。
  
Posted by いとう茂 at 12:40Comments(0)