2014年06月03日
茂呂副市長退任式 挨拶②思い出
次は、私の在任期間中の忘れがたい出来事を3つだけ、
主に、内部の視点からお話ししたいと思います。
まず、一昨年に全国的な社会問題と化しました、いじめ事件について
避けて通るわけにはまいりません。
私たちは大変尊い犠牲の上に、重要な課題認識とそれから
貴重な教訓を得たわけであります。
それらを踏まえて教育委員会、学校現場において真摯な取り組みが
着実に進められていることをここでお伝えしておきたいと思います。
その取り組みの第一歩をしるされたのが、澤村元教育長であると
私は考えております。
同氏はかけがえのない一つの命が失われたということを
重く受け止めつつ、また一方でいじめを行った少年たち、
さらには行わなかった多くの同級生たち、こうした子どもたちが
いまだ未完成で保護を必要とする存在でもあるという認識の下で、
この体験が避けがたく、彼らの心の傷となって残るであろうということについて
教育者として深く憂慮し、行動しょうとされました。
このことが強く印象に残っています。
二つ目は災害です、本市は二年続きで大きな災害に見舞われました。
市民の皆様は大変ご苦労いただきましたし、本市も常に市長が陣頭指揮に
立たれ、消防、危機防、建設をはじめ全部局が力を合わせて
救援と復旧に取り組みました。
特に一昨年は、県内12市から支援の申し出がありまして延べ260人の
各市の職員の方々が、本市職員に交じって土砂撤去に汗を流していただきました。
このことも忘れられない思い出です。
災害復旧に技術職を派遣するということはよくある話なんですが、
一般職をこうした業務にかりだした、極めて異例のことでありまして、
特に災害の少なかった本市にとって初めての受入れでありました。
近隣との市町との平素のお付き合いの大切さを再認識した出来事でもございました。
三つ目は南部クリーンセンターの白紙撤回です。
本市は、越市長のもとで将来世代の負担軽減を重視し、
安定操業と災害対応にも十分配慮して、ゴミ処理施設を3から2へ、
方針転換を行いまして、説明を尽くして地元及び議会のご理解をいただいたところであります。
しかし、地元の方々にしてみれば、かつて市からのたっての要請を受け、
様々な意見がある中で議論を重ねた挙句、大津市全体の利益を考えて、
ようやく受け入れを承知したところ、今度は一転して大津市から
一方的に建設中止を告げられたわけですから、そんな状況でありましたから、
一時は行政不信の声が上がったということも避けがたい成り行きであります。
ゴミ焼却施設の建設計画が無くなるんだったら、地元には受け入れやすい方針変更である
という見方がもしあるとしたら、それは極めて表面的な見方であります。
施設の受け入れ決定に当たって、地域の方々が費やしてこられた
身を削るような多くの時間、それから突きつけられた課題の克服に注がれたエネルギー
というのは大変なものでありまして、これが自らの原因によらず、
無に帰することとなった時の虚しさ、あるいは徒労感と言うのは
本当に大きなものであったろうと想像します。
そしてその感覚は、建設推進のために地元との対話を続けてきた環境部の
職員も、当時は深く共有されました。
これは彼らの誠実な仕事ぶりの反映でもあったと私は認識しています。
こうした中、本市は精力的に内部協議を重ねまして、職員一丸となって、
方針転換を図ることとなり、各方面への説明を丁寧に尽くした結果、
今は、ありがたいことに地元のご理解と信頼をいただいていますが、
南部クリーンセンターに限りません。
ゴミ処理施設をお受入れいただいている各学区の住民のみなさん、
とりわけ自治会の役員の方々のご苦労の大きさに、これに改めて気づかされて、
そして、そうした方々の大津のまちづくりに対するご理解とご協力に対して、
行政職員として、感謝の念を一層深めることとなった重要な契機となりました。 続く
主に、内部の視点からお話ししたいと思います。
まず、一昨年に全国的な社会問題と化しました、いじめ事件について
避けて通るわけにはまいりません。
私たちは大変尊い犠牲の上に、重要な課題認識とそれから
貴重な教訓を得たわけであります。
それらを踏まえて教育委員会、学校現場において真摯な取り組みが
着実に進められていることをここでお伝えしておきたいと思います。
その取り組みの第一歩をしるされたのが、澤村元教育長であると
私は考えております。
同氏はかけがえのない一つの命が失われたということを
重く受け止めつつ、また一方でいじめを行った少年たち、
さらには行わなかった多くの同級生たち、こうした子どもたちが
いまだ未完成で保護を必要とする存在でもあるという認識の下で、
この体験が避けがたく、彼らの心の傷となって残るであろうということについて
教育者として深く憂慮し、行動しょうとされました。
このことが強く印象に残っています。
二つ目は災害です、本市は二年続きで大きな災害に見舞われました。
市民の皆様は大変ご苦労いただきましたし、本市も常に市長が陣頭指揮に
立たれ、消防、危機防、建設をはじめ全部局が力を合わせて
救援と復旧に取り組みました。
特に一昨年は、県内12市から支援の申し出がありまして延べ260人の
各市の職員の方々が、本市職員に交じって土砂撤去に汗を流していただきました。
このことも忘れられない思い出です。
災害復旧に技術職を派遣するということはよくある話なんですが、
一般職をこうした業務にかりだした、極めて異例のことでありまして、
特に災害の少なかった本市にとって初めての受入れでありました。
近隣との市町との平素のお付き合いの大切さを再認識した出来事でもございました。
三つ目は南部クリーンセンターの白紙撤回です。
本市は、越市長のもとで将来世代の負担軽減を重視し、
安定操業と災害対応にも十分配慮して、ゴミ処理施設を3から2へ、
方針転換を行いまして、説明を尽くして地元及び議会のご理解をいただいたところであります。
しかし、地元の方々にしてみれば、かつて市からのたっての要請を受け、
様々な意見がある中で議論を重ねた挙句、大津市全体の利益を考えて、
ようやく受け入れを承知したところ、今度は一転して大津市から
一方的に建設中止を告げられたわけですから、そんな状況でありましたから、
一時は行政不信の声が上がったということも避けがたい成り行きであります。
ゴミ焼却施設の建設計画が無くなるんだったら、地元には受け入れやすい方針変更である
という見方がもしあるとしたら、それは極めて表面的な見方であります。
施設の受け入れ決定に当たって、地域の方々が費やしてこられた
身を削るような多くの時間、それから突きつけられた課題の克服に注がれたエネルギー
というのは大変なものでありまして、これが自らの原因によらず、
無に帰することとなった時の虚しさ、あるいは徒労感と言うのは
本当に大きなものであったろうと想像します。
そしてその感覚は、建設推進のために地元との対話を続けてきた環境部の
職員も、当時は深く共有されました。
これは彼らの誠実な仕事ぶりの反映でもあったと私は認識しています。
こうした中、本市は精力的に内部協議を重ねまして、職員一丸となって、
方針転換を図ることとなり、各方面への説明を丁寧に尽くした結果、
今は、ありがたいことに地元のご理解と信頼をいただいていますが、
南部クリーンセンターに限りません。
ゴミ処理施設をお受入れいただいている各学区の住民のみなさん、
とりわけ自治会の役員の方々のご苦労の大きさに、これに改めて気づかされて、
そして、そうした方々の大津のまちづくりに対するご理解とご協力に対して、
行政職員として、感謝の念を一層深めることとなった重要な契機となりました。 続く
Posted by いとう茂 at 14:01│Comments(0)