2014年08月01日
愛宕山詣り
7月31日は愛宕山の千日詣りの日です、7月31日の夜から8月1日に
お参りをすると1000日の防火のご利益があるそうです。
例年この時期になると友人に誘われていますが、予定が会わなかったりで
行きそびれることも多かったのですが、今年はやりくりして行ってきました。
階段、階段、上り坂、また階段と基本的には上りばかりです。
今年は6人の友人たちと上りましたが5分も立たないうちに
滴る汗、汗で、、途中で何度も休憩しながらゆっくりあがって2時間あまり、
本殿に着きました、上がるときから集合場所は本殿と決めていましたので
それぞれ自分のペースでバラバラに上がりました。
休憩していると後から来た友人が「お先に」と追い越して行きます。
本番は夜から朝方にかけてですが、朝からのお詣りも多く、
清滝を9時20分ごろのスタートでしたが降りてくる人とも結構すれ違い
上る方も切れ目なしに人が続いてきます。
距離にして4・5キロでしょうか、上りばかりと思えばあきらめがつきます、
なまじ下りがあるとそこでペースが上がってしまい上りの辛さが増します。
四国の12番札所の焼山寺は行程約13キロで愛宕山の3倍ほどあります、
上る高さは同じ程度ですが、途中に下りがあります、800メートルほど上り
400メートルほど下る、また400メートル上り最後はいったん下まで下り
800メートル上るという過酷な札所で二度上りましたが最初に上った時は
7月ということもあり8時間以上かかり放心状態でした、二度目は冬を選んで
上ったわけですがそれでも5時間30分かかりました。
それに比べれば愛宕山は距離も短く足場もそれほど心配いりません。
実際下駄履きやサンダルで上っている人もいましたし、小さな子供も親と
上っていました、何より80を超えていそうな人も杖を突きながら
ハーハー言いつつも上っていました。
愛宕山詣り、めいめいが思い思いの時間に歩きやすい恰好で
上っていきます、1時間余りで上る人、4時間かけて上る人、仲間と
談笑しながら上る人、小さな子供を背負って上る人、人によって
状況は全部違います、目指すは山頂近くの本殿です。
休んでいる時に友人が追い抜いて行く姿を見ていて、比べ物にならないにせよ、
この山登りも人生そのものではないかと感じました。
駆け足に近いペースで一気に上る人、途中の景色を楽しみながら風の音、
鳥のさえずりに耳を傾けながら上る人、誰かに強引に誘われ本意ではないのに
上る人・・・・・・、目指すのは本殿。
そこがゴールです、人生でもそうです一気に駆け抜けていく人、マイペースで
あくせくせずに生きる人、誰かに引きずられながら生きる人。
いずれは死というゴールに到達します。
山を上るのは今回だめでも何度でもやり直しがききますが、人生は
片道ですから上り切るだけ、中には本殿まで到達できずに人生の
幕を引く人もいるでしょう、我々が考えなければいけないのは
片道の山上りの中でしゃにむにゴールを目指すのか、、途中で休み滴り落ちる汗を拭きながら、
周りをゆっくり眺めて今いる自分の地点を確認しながら歩を進めるのか、
誰かに引っ張られながらひたすらゴールを目指すのか。
どんな上り方でも、その人が満足して周囲に迷惑をかけないのなら、それはそれでいい。
ただ私は、その時々に耳に届くウグイスの声や風の音、木々が揺れる様を
眺めながら上りたいと思います。
そう思う人は私以外にも多いのではないでしょうか。
そのために必要なことは、これも多くの方がわかっていると思います。
今を大切に生き切ることと我が身を振り返ること。
一度お詣りすると1000日のご利益があるので、ついつい疎かになり
喉元過ぎれば・・・・・・、凡人の悲哀とならぬよう心して・・・・・・。
お参りをすると1000日の防火のご利益があるそうです。
例年この時期になると友人に誘われていますが、予定が会わなかったりで
行きそびれることも多かったのですが、今年はやりくりして行ってきました。
階段、階段、上り坂、また階段と基本的には上りばかりです。
今年は6人の友人たちと上りましたが5分も立たないうちに
滴る汗、汗で、、途中で何度も休憩しながらゆっくりあがって2時間あまり、
本殿に着きました、上がるときから集合場所は本殿と決めていましたので
それぞれ自分のペースでバラバラに上がりました。
休憩していると後から来た友人が「お先に」と追い越して行きます。
本番は夜から朝方にかけてですが、朝からのお詣りも多く、
清滝を9時20分ごろのスタートでしたが降りてくる人とも結構すれ違い
上る方も切れ目なしに人が続いてきます。
距離にして4・5キロでしょうか、上りばかりと思えばあきらめがつきます、
なまじ下りがあるとそこでペースが上がってしまい上りの辛さが増します。
四国の12番札所の焼山寺は行程約13キロで愛宕山の3倍ほどあります、
上る高さは同じ程度ですが、途中に下りがあります、800メートルほど上り
400メートルほど下る、また400メートル上り最後はいったん下まで下り
800メートル上るという過酷な札所で二度上りましたが最初に上った時は
7月ということもあり8時間以上かかり放心状態でした、二度目は冬を選んで
上ったわけですがそれでも5時間30分かかりました。
それに比べれば愛宕山は距離も短く足場もそれほど心配いりません。
実際下駄履きやサンダルで上っている人もいましたし、小さな子供も親と
上っていました、何より80を超えていそうな人も杖を突きながら
ハーハー言いつつも上っていました。
愛宕山詣り、めいめいが思い思いの時間に歩きやすい恰好で
上っていきます、1時間余りで上る人、4時間かけて上る人、仲間と
談笑しながら上る人、小さな子供を背負って上る人、人によって
状況は全部違います、目指すは山頂近くの本殿です。
休んでいる時に友人が追い抜いて行く姿を見ていて、比べ物にならないにせよ、
この山登りも人生そのものではないかと感じました。
駆け足に近いペースで一気に上る人、途中の景色を楽しみながら風の音、
鳥のさえずりに耳を傾けながら上る人、誰かに強引に誘われ本意ではないのに
上る人・・・・・・、目指すのは本殿。
そこがゴールです、人生でもそうです一気に駆け抜けていく人、マイペースで
あくせくせずに生きる人、誰かに引きずられながら生きる人。
いずれは死というゴールに到達します。
山を上るのは今回だめでも何度でもやり直しがききますが、人生は
片道ですから上り切るだけ、中には本殿まで到達できずに人生の
幕を引く人もいるでしょう、我々が考えなければいけないのは
片道の山上りの中でしゃにむにゴールを目指すのか、、途中で休み滴り落ちる汗を拭きながら、
周りをゆっくり眺めて今いる自分の地点を確認しながら歩を進めるのか、
誰かに引っ張られながらひたすらゴールを目指すのか。
どんな上り方でも、その人が満足して周囲に迷惑をかけないのなら、それはそれでいい。
ただ私は、その時々に耳に届くウグイスの声や風の音、木々が揺れる様を
眺めながら上りたいと思います。
そう思う人は私以外にも多いのではないでしょうか。
そのために必要なことは、これも多くの方がわかっていると思います。
今を大切に生き切ることと我が身を振り返ること。
一度お詣りすると1000日のご利益があるので、ついつい疎かになり
喉元過ぎれば・・・・・・、凡人の悲哀とならぬよう心して・・・・・・。
Posted by いとう茂 at 12:26│Comments(0)