2014年08月16日
溺れる者・・・・・
雨水を流すための10センチほどの水路でクマゼミが
仰向けになって羽根をバタバタさせていました。
水路には2センチほどの水があり、クマゼミが溺れる
には十分な水量です。
クマゼミが正式名称か知りませんが、子どもの頃から
「ハゴロモ」と呼んでいた羽根の透き通ったセミです。
セミの寿命は1週間から10日と言われています、
指を差し出すと足でしっかりつかまり指を立てても
逃げ出しません、溺れる者、指をもつかむ、
さぞ長い間わずかな水量の水の中で
もがいて疲れていたのでしょう、地上に落ちるということは
間もなくその一生を終えるのかも知れません。
とにかく指につかまったままでは、こちらも不自由なので
木に這わせてやりました、木に移った時からジージーと
少し弱い声で鳴きだしました。
鳴き声は伴侶を求める叫びでしょうか、何年も地下で我慢して
地上に出てきて10日ほど、ずっと鳴き通して子孫を残そうとする、
ただそのためだけにセミは生きているように思います。
生き物が次の世代を残そうとするのは使命というより本能かもしれません、
人間のように温泉に行ったり映画に行ったりと人生を楽しむということはなく、
次の世代を残すためにだけ生きている、景気がいいとか悪いとか、
気温が高いか低いか、雨が多いか少ないか、そんなこととは関係なく
ただ神から与えられた体と本能に従って生き切ります。
セミは自分の孫はおろか子どもの顔さえ見ることはできません、
それでも鳴き通して子孫を残そうとする。
その行為を愚かだと思うか尊いと思うかまた、可愛そうと思うかは別にして、
一途に生きる姿には学ぶべきものがある気がします。
いくら鳴いても伴侶の見つからないセミもいるでしょう、そのまま一生を終える、
そのことも受容しているのでしょうか、セミに無常ということを知る術はありませんが、
結果としてセミによらず人間以外の多くの生き物が無常を感じている気がします。
8月16日。
69年前に日本が打ちのめされた次の日です、生きる希望も無くし
うつろな瞳の日本人が街にあふれていたのではないでしょうか、
そんな中でもセミは伴侶を求めて鳴いていた。
仰向けになって羽根をバタバタさせていました。
水路には2センチほどの水があり、クマゼミが溺れる
には十分な水量です。
クマゼミが正式名称か知りませんが、子どもの頃から
「ハゴロモ」と呼んでいた羽根の透き通ったセミです。
セミの寿命は1週間から10日と言われています、
指を差し出すと足でしっかりつかまり指を立てても
逃げ出しません、溺れる者、指をもつかむ、
さぞ長い間わずかな水量の水の中で
もがいて疲れていたのでしょう、地上に落ちるということは
間もなくその一生を終えるのかも知れません。
とにかく指につかまったままでは、こちらも不自由なので
木に這わせてやりました、木に移った時からジージーと
少し弱い声で鳴きだしました。
鳴き声は伴侶を求める叫びでしょうか、何年も地下で我慢して
地上に出てきて10日ほど、ずっと鳴き通して子孫を残そうとする、
ただそのためだけにセミは生きているように思います。
生き物が次の世代を残そうとするのは使命というより本能かもしれません、
人間のように温泉に行ったり映画に行ったりと人生を楽しむということはなく、
次の世代を残すためにだけ生きている、景気がいいとか悪いとか、
気温が高いか低いか、雨が多いか少ないか、そんなこととは関係なく
ただ神から与えられた体と本能に従って生き切ります。
セミは自分の孫はおろか子どもの顔さえ見ることはできません、
それでも鳴き通して子孫を残そうとする。
その行為を愚かだと思うか尊いと思うかまた、可愛そうと思うかは別にして、
一途に生きる姿には学ぶべきものがある気がします。
いくら鳴いても伴侶の見つからないセミもいるでしょう、そのまま一生を終える、
そのことも受容しているのでしょうか、セミに無常ということを知る術はありませんが、
結果としてセミによらず人間以外の多くの生き物が無常を感じている気がします。
8月16日。
69年前に日本が打ちのめされた次の日です、生きる希望も無くし
うつろな瞳の日本人が街にあふれていたのではないでしょうか、
そんな中でもセミは伴侶を求めて鳴いていた。
Posted by いとう茂 at 12:20│Comments(0)