2014年10月22日

朗読

ふしぎな岬の物語の中で小百合さんが詩の朗読を
しています、序盤の鯨まつりのときに流れてきた
詩を聞いていて金子みすずの鯨法会だとわかりました。

仏教詩人と評されるのは他に、坂村真民さんがいますが
こちらの詩は個人的な感想ですが励まし系で金子みすずは
癒し系、気づかせ系だと思います。

エンディング前に流れる詩も言い回しが金子みすずだと思いましたが
聞いたような聞いていないような、少し自信がなかったので
詩集で探すとありました。
二つとも紹介しておきます。

大漁という詩もあります、こちらは鰯が題材になっています。
二つとも人間の視点だけではなく鰯や鯨の視点でも書かれています。
大漁も五穀豊穣も人間の立場での話です、鰯をたくさん人間が
捕れば、それだけ残された家族や仲間が海の中にいるわけで
残された魚が葬式をし、悲しむ様子は私たちにはピンときません。
実際に葬式をしているかは別にして、
読んでみて、アーそうかもしれないと気付かされます。
相手の立場にたってとか相手の気持ちに寄り添うという
言葉をしばしば使ったり耳にしますが、本当は難しいことだと
感じます。

鯨法会(くじらほうえ)
                
            鯨法会は春のくれ、
           海に飛魚採れるころ。

           浜のお寺でなる鐘が、
          ゆれて水面をわたるとき、
           村の漁夫が羽織着て、
           浜のお寺へいそぐとき、

           沖で鯨の子がひとり、
          その鳴る鐘をききながら、

           死んだ父さま、母さまを、
          こいし、こいしと泣いてます。

           海のおもてを、鐘の音は、
           海のどこまで、ひびくやら。

海の果(うみのはて)

          雲の涌くのはあすこいら、
          虹の根もともあすこいら。

          いつかお舟でゆきたいな、
          海の果までゆきたいな。

          あまり遠くて、日が暮れて、
          なにも見えなくなったって、

          あかいなつめをもぐように、
          きれいな星が手で採れる、
          海の果までゆきたいな。

視察で下関から小倉まで着ました。
明日のブログはお休みになるかもしれません。
新しい話題を提供できるように視察もしっかり、訪れる街もしっかり、
流れている風、雲、空気、時間、人の表情・・・・・・、
そんなものをしっかり感じ取ってきます。


Posted by いとう茂 at 16:46│Comments(0)
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