2015年02月21日
抜粋のつづり74集
今年も抜粋のつづりをいただきました。
B6サイズで100ページあまりの冊子ですがペラペラと
ページをめくる時間が余りありません、いただいたのは今月初めで
ようやく4・5話読んだ程度で、その中から紹介します。
「あの子の分まで」
平成11年8月16日、私は次女を出産しました。
出産後、初めておっぱいを飲ませようと抱っこをし、
目を合わせた時、次女が私に何かを訴えかけているように感じます。
そしてじっと目を見ていると、どこからか「助けて・・・・」と言う声が
はっきりと聞こえてきたのです。
生まれたばかりで幸せのはずなのに何故?と思いつつ1日が経ちました。
次の日、次女には心臓に左心低形成症候群と言う奇形があることがわかりました。
数年前までは海外での心臓移植しか治療方法がなかった病気でしたが、
最近になって手術で治療が出来るようになったとのことで、
次女は生後11日目にその手術を受けました。
幸いにも手術は成功しました。
しかし、生後13日目、平成11年8月28日早朝、病状が急変し
次女は亡くなりました。
それまで、たくさんの管に繋がれていて生きていた娘が、
何もない状態でベッドにいました、死んでしまったとは思えない、
ただ静かに眠っているかのようでした。
看護師さんが「一緒にお風呂に入れてあげましょうか」と言ってくださり
夫と私はその娘を初めてお風呂に入れ、きれいにしてあげました。
そして、新しいピンク色のベビー服を着せ、冷たくなったその娘は夫が抱き、
病院の裏口から家へと帰りました。
病院を出る時、お世話になった1人の看護師さんが「ごめんなさい」と言い頭を下げられました。
一生懸命治療してくださった看護師さんのその言葉が、
私の心の中にすーっと入っていきました。
その時のことを思い出すたびに、その「ごめんなさい」という一言が、
私の心を癒してくれました。
シンプルなその一言が他のどんな励ましよりも、
私の気持ちを落ちつかせてくれたのです。
私は、思った言葉を素直に伝えることの大切さを知りました。
素直に、今の自分の気持ちを相手に届けることが、
相手にとってどんなにありがたいかということを知りました。
家に帰ると2歳になったばかりの長女が「お父さんとお母さんが帰ってきた」と
ニコニコして迎えてくれました。
長女は、赤ちゃんのお世話をするのをとても楽しみにしていました。
私のお腹が大きくなるごとに「赤ちゃん早く生まれないかなぁ」と、
待っていました。
私は長女に「赤ちゃんは病気で死んでしまったんだよ」と伝えました。
長女は動かない妹を不思議そうに見ていました。
お葬式を終え1日 1日が経つにつれ、
そして赤ちゃんを連れたお母さんを見かけるたびに
私は悲しみが深くなりました、長女が笑顔でいてくれることが
ありがたくもあり辛くもありました。
やがて私は第3子を妊娠しました。
命があるだけでいいから無事で生まれてきて欲しい・・・・。
ただ、それだけの思いで妊娠時を過ごしていました、
出産が近づくにつれ、この子もまた死んでしまったらどうしよう・・・・・
という不安に襲われました。
「予定日より早く生まれてくるでしょう」と医師から言われたものの、
予定日を過ぎても生まれず「もしかしたらこの子はあの日を選んで生まれてくるのでは」
と私は感じるようになりました。
そして出産前日「明日この子は生まれてくる!」と、
私の思いは確信に変わりました。
翌日、陣痛で目覚めた私は、無事に長男を出産しました。
長男が生まれたその日は、平成13年8月28日、次女の3年目の命日でした、
「私のことを忘れないで」と言っているかのようでした。
その長男も12歳になりました、長男が誕生日を迎えるたび、
次女のことを私は思い出します。
「あの子は何のために生まれてきたのだろう」私はそのことを
永遠に考え続けていくでしょう。
そして、あの世と言うものがあるのならば私もいつしか
あの世へ行った時、あの子を探し、あの子に会い、
「お母さんはあなたの分まで一生懸命生きていたよ」と、
あの子に恥ずかしくない報告が出来るように
私は今あの子の分まで一日一日を大切に生きています。
B6サイズで100ページあまりの冊子ですがペラペラと
ページをめくる時間が余りありません、いただいたのは今月初めで
ようやく4・5話読んだ程度で、その中から紹介します。
「あの子の分まで」
平成11年8月16日、私は次女を出産しました。
出産後、初めておっぱいを飲ませようと抱っこをし、
目を合わせた時、次女が私に何かを訴えかけているように感じます。
そしてじっと目を見ていると、どこからか「助けて・・・・」と言う声が
はっきりと聞こえてきたのです。
生まれたばかりで幸せのはずなのに何故?と思いつつ1日が経ちました。
次の日、次女には心臓に左心低形成症候群と言う奇形があることがわかりました。
数年前までは海外での心臓移植しか治療方法がなかった病気でしたが、
最近になって手術で治療が出来るようになったとのことで、
次女は生後11日目にその手術を受けました。
幸いにも手術は成功しました。
しかし、生後13日目、平成11年8月28日早朝、病状が急変し
次女は亡くなりました。
それまで、たくさんの管に繋がれていて生きていた娘が、
何もない状態でベッドにいました、死んでしまったとは思えない、
ただ静かに眠っているかのようでした。
看護師さんが「一緒にお風呂に入れてあげましょうか」と言ってくださり
夫と私はその娘を初めてお風呂に入れ、きれいにしてあげました。
そして、新しいピンク色のベビー服を着せ、冷たくなったその娘は夫が抱き、
病院の裏口から家へと帰りました。
病院を出る時、お世話になった1人の看護師さんが「ごめんなさい」と言い頭を下げられました。
一生懸命治療してくださった看護師さんのその言葉が、
私の心の中にすーっと入っていきました。
その時のことを思い出すたびに、その「ごめんなさい」という一言が、
私の心を癒してくれました。
シンプルなその一言が他のどんな励ましよりも、
私の気持ちを落ちつかせてくれたのです。
私は、思った言葉を素直に伝えることの大切さを知りました。
素直に、今の自分の気持ちを相手に届けることが、
相手にとってどんなにありがたいかということを知りました。
家に帰ると2歳になったばかりの長女が「お父さんとお母さんが帰ってきた」と
ニコニコして迎えてくれました。
長女は、赤ちゃんのお世話をするのをとても楽しみにしていました。
私のお腹が大きくなるごとに「赤ちゃん早く生まれないかなぁ」と、
待っていました。
私は長女に「赤ちゃんは病気で死んでしまったんだよ」と伝えました。
長女は動かない妹を不思議そうに見ていました。
お葬式を終え1日 1日が経つにつれ、
そして赤ちゃんを連れたお母さんを見かけるたびに
私は悲しみが深くなりました、長女が笑顔でいてくれることが
ありがたくもあり辛くもありました。
やがて私は第3子を妊娠しました。
命があるだけでいいから無事で生まれてきて欲しい・・・・。
ただ、それだけの思いで妊娠時を過ごしていました、
出産が近づくにつれ、この子もまた死んでしまったらどうしよう・・・・・
という不安に襲われました。
「予定日より早く生まれてくるでしょう」と医師から言われたものの、
予定日を過ぎても生まれず「もしかしたらこの子はあの日を選んで生まれてくるのでは」
と私は感じるようになりました。
そして出産前日「明日この子は生まれてくる!」と、
私の思いは確信に変わりました。
翌日、陣痛で目覚めた私は、無事に長男を出産しました。
長男が生まれたその日は、平成13年8月28日、次女の3年目の命日でした、
「私のことを忘れないで」と言っているかのようでした。
その長男も12歳になりました、長男が誕生日を迎えるたび、
次女のことを私は思い出します。
「あの子は何のために生まれてきたのだろう」私はそのことを
永遠に考え続けていくでしょう。
そして、あの世と言うものがあるのならば私もいつしか
あの世へ行った時、あの子を探し、あの子に会い、
「お母さんはあなたの分まで一生懸命生きていたよ」と、
あの子に恥ずかしくない報告が出来るように
私は今あの子の分まで一日一日を大切に生きています。
Posted by いとう茂 at 17:07│Comments(0)