2015年06月29日
今週のことば
議会のサロンに毎週月曜日に好きな言葉を書いて
勝手に貼っています。
1年52週、書き溜めたものは90近くになりました。
誰がどれだけ読んでいるのかわかりませんが、
自分では週の初めに気持ちを新たにして意識しょう、
そういうつもりで書いています。
1回目は2年前の平成25年、時期は忘れましたが、
山本周五郎の言葉から「人間というものは、
自分でこれが正しい、と思うことを固執するときには、
その眼が狂い耳も聞こえなくなるものだ。
なぜなら、或る信念にとらわれると、その心にも
偏向が生じるからだ。」
2回目も山本周五郎で、「温床でならどんな芽も育つ、
氷の中ででも、
芽を育てる情熱があってこそ、
しんじつ生き甲斐があるのではないか」山本周五郎が
10週ほど続きました。
その後は坂村真民が20週近く続きそれからは
色々な人の言葉になりました。
ここ、3・4週は松下幸之助が続いています。
「ひたむきに」という言葉がありますが、
それを端的に表現した山本周五郎の言葉が好きです。
「見た眼に効果の表れることより、
徒労と見られることを、重ねてゆくところに、
人間の希望が実るのではないか」
大衆文学というジャンルを開拓し、多くの作品を
残した山本周五郎ですが、本屋に行っても文庫しかなく、
活字の小ささで伸びた手をひっこめます、
こんなことならもっと若いときに読んでおくんだった。
「どんなに賢くっても、にんげん、
自分の背中を見ることはできないんだからね」
凡人ならなおさらです、後悔先に立たず。
勝手に貼っています。
1年52週、書き溜めたものは90近くになりました。
誰がどれだけ読んでいるのかわかりませんが、
自分では週の初めに気持ちを新たにして意識しょう、
そういうつもりで書いています。
1回目は2年前の平成25年、時期は忘れましたが、
山本周五郎の言葉から「人間というものは、
自分でこれが正しい、と思うことを固執するときには、
その眼が狂い耳も聞こえなくなるものだ。
なぜなら、或る信念にとらわれると、その心にも
偏向が生じるからだ。」
2回目も山本周五郎で、「温床でならどんな芽も育つ、
氷の中ででも、
芽を育てる情熱があってこそ、
しんじつ生き甲斐があるのではないか」山本周五郎が
10週ほど続きました。
その後は坂村真民が20週近く続きそれからは
色々な人の言葉になりました。
ここ、3・4週は松下幸之助が続いています。
「ひたむきに」という言葉がありますが、
それを端的に表現した山本周五郎の言葉が好きです。
「見た眼に効果の表れることより、
徒労と見られることを、重ねてゆくところに、
人間の希望が実るのではないか」
大衆文学というジャンルを開拓し、多くの作品を
残した山本周五郎ですが、本屋に行っても文庫しかなく、
活字の小ささで伸びた手をひっこめます、
こんなことならもっと若いときに読んでおくんだった。
「どんなに賢くっても、にんげん、
自分の背中を見ることはできないんだからね」
凡人ならなおさらです、後悔先に立たず。
Posted by いとう茂 at 12:56│Comments(0)