2015年09月29日
魂を乞う②
昨夜は中秋の名月の翌日、十六夜でした。
世間ではスーパームーンとかで普段は月を見ない人も
空を見上げていたのではないでしょうか?
私も琵琶湖の対岸からとても大きな月が昇り、思わず見とれていました。
月に願いをかけた人も多かったと思いますが、この前
近所の子どもから聞いた話ですが、願いをかけるのは
新月で、心の荷物を捨てるのは満月だということです。
月の光に照らされて仲良く歩く人たちもいれば、
月が出ていることすら気がつかず、ずっと下を向いて
一人で歩く人もいるでしょう。
そんな人にも、心の中に大切な人がいることを祈ります。
今回もネットで探したものをアップします。
何を感じられるかは人それぞれ、物思う秋の一夜になればと・・・・・。
今日は「愛」がテーマです。
はじめに私から少しお話ししますが、その後は、
みなさんから「愛」について語っていただきたいと思います。
「愛」は、新しいことばだと思います。
今はプロポーズのときに「愛しています」と言うかもしれませんが、
昔の人、例えば額田王は、そうは言いませんでした。
「恋う」「思う」「しのふ」と言いました。
「恋う」は「乞う」と同じことばです。
相手の魂を乞うという「魂乞い」が「恋う」という単語です。
古代の日本人は、相手の魂がこちらへ来て自分の魂と
合体すれば恋が成就したと考えました。
つまり「恋う」とは、そこにないから求めるのであって、
目の前にいたら恋う必要はありません。
以前、「古代人は恋人とお茶を飲むことはなかった」というコラムを書きましたが、
一緒にいると恋人ではなくなる、極めて限定付きの感情でした。
英語では「miss」に当たります。
「思う」ということばは、心が重くなるという状態を意味します。
「あなたを思います」は、あなたのことを思って心が重くなりますということです。
ですから、「恋う」と「思う」はベクトルが違います。
「恋う」は、相手のほうへ心が向かっていく。
「思う」は内向するベクトルです。
『万葉集』では「恋う」が多いですが、『古今和歌集』以降、
平安時代になると「思う」が多くなります。
恋愛感情が内向的になるのです。
「しのふ」は褒めるという意味です。
濁点をつけると「しのぶ」で、これは我慢するという意味です。
我慢することが、やがて相手を思慕することになります。
亡き人や遠き人をしのぶというように、
思慕するとき表に出さずにじっと耐える感情です。
「しのふ」と「しのぶ」が仲間のことばだということは、
褒めるという感情と、耐えるという感情も仲間だということです。
これは、我慢するときは褒める、褒めるときは我慢するのが
日本人だったということを示しています。
昔、「好きだ、好きだ、好きだ」と絶叫する歌がありましたが、
あれは非日本的な愛の告白です。
現代人は、「愛する」ということばをよく使いますが、
照れくさくてそんなことは言えないという日本人も、
まだいるのではないでしょうか。
日本の愛の古来の表現は、そういうものでした。
世間ではスーパームーンとかで普段は月を見ない人も
空を見上げていたのではないでしょうか?
私も琵琶湖の対岸からとても大きな月が昇り、思わず見とれていました。
月に願いをかけた人も多かったと思いますが、この前
近所の子どもから聞いた話ですが、願いをかけるのは
新月で、心の荷物を捨てるのは満月だということです。
月の光に照らされて仲良く歩く人たちもいれば、
月が出ていることすら気がつかず、ずっと下を向いて
一人で歩く人もいるでしょう。
そんな人にも、心の中に大切な人がいることを祈ります。
今回もネットで探したものをアップします。
何を感じられるかは人それぞれ、物思う秋の一夜になればと・・・・・。
今日は「愛」がテーマです。
はじめに私から少しお話ししますが、その後は、
みなさんから「愛」について語っていただきたいと思います。
「愛」は、新しいことばだと思います。
今はプロポーズのときに「愛しています」と言うかもしれませんが、
昔の人、例えば額田王は、そうは言いませんでした。
「恋う」「思う」「しのふ」と言いました。
「恋う」は「乞う」と同じことばです。
相手の魂を乞うという「魂乞い」が「恋う」という単語です。
古代の日本人は、相手の魂がこちらへ来て自分の魂と
合体すれば恋が成就したと考えました。
つまり「恋う」とは、そこにないから求めるのであって、
目の前にいたら恋う必要はありません。
以前、「古代人は恋人とお茶を飲むことはなかった」というコラムを書きましたが、
一緒にいると恋人ではなくなる、極めて限定付きの感情でした。
英語では「miss」に当たります。
「思う」ということばは、心が重くなるという状態を意味します。
「あなたを思います」は、あなたのことを思って心が重くなりますということです。
ですから、「恋う」と「思う」はベクトルが違います。
「恋う」は、相手のほうへ心が向かっていく。
「思う」は内向するベクトルです。
『万葉集』では「恋う」が多いですが、『古今和歌集』以降、
平安時代になると「思う」が多くなります。
恋愛感情が内向的になるのです。
「しのふ」は褒めるという意味です。
濁点をつけると「しのぶ」で、これは我慢するという意味です。
我慢することが、やがて相手を思慕することになります。
亡き人や遠き人をしのぶというように、
思慕するとき表に出さずにじっと耐える感情です。
「しのふ」と「しのぶ」が仲間のことばだということは、
褒めるという感情と、耐えるという感情も仲間だということです。
これは、我慢するときは褒める、褒めるときは我慢するのが
日本人だったということを示しています。
昔、「好きだ、好きだ、好きだ」と絶叫する歌がありましたが、
あれは非日本的な愛の告白です。
現代人は、「愛する」ということばをよく使いますが、
照れくさくてそんなことは言えないという日本人も、
まだいるのではないでしょうか。
日本の愛の古来の表現は、そういうものでした。
Posted by いとう茂 at 12:28│Comments(0)