2015年09月28日

伯母のこと

9月23日に伯母が93歳で亡くなりました。
24日がお通夜で25日が告別式、しかし、24日はインターンの大学生と
各会派代表の議員9名との交流会、この場の進行役が決まっていましたので、
抜けるわけにいかずにお通夜は参列できませんでしたし、25日は補正予算や条例、
意見書などの採決がありこちらも行けませんでした。
不義理をして申し訳ない気持ちです、23日に長女の所から帰ってきたので、
お悔みに行ってお別れができたのがせめてもの救いでした。

親父の姉で、昔は膳所に住んでいましたが、その後、
石山に移りました、伯母が膳所に住んでいるときは
祖父に連れられてよく遊びに行きました。
伯母のご主人も滋賀県の人ですが、関西弁ではなく、標準語、関東弁で
歯切れの良い言葉遣いをする人でした。
その伯父も、20数年前に他界し、それ以来、伯母は長男の家と長女の家を
行ったり来たりの生活で自由な暮らしをしていました。

家にも時々遊びに来ていましたが明るい人で、いつも笑っている
イメージしかありません。
長女の家にいるときは孫の守りに専念していたようです。
長女夫婦が共働きで夏休みに孫をどこにも連れて行けないということで、
私の家族と伯母と孫を連れてディズニーランドに行ったこともありました。
最初は家族だけで行く予定でしたが、家に伯母が来たときに旅行の話が出て、
伯母のほうからお願いされました、伯母が長女の家に帰ってそのことを
話すと、長女が、せっかく家族だけで行くのに一緒しては、迷惑をかけると、
伯母を叱ったそうですが、私は特別気にしていませんでしたので
結局6人で、おのぼりさんの道中でした。
孫は私の娘より少し上ですが、あの時ディズニーランドや上野動物園、
で見せた笑顔は今でも覚えていますし、時々孫もつれて
家へも来ていましたので、我家の娘二人も一緒するのを楽しみにしていました。

そういえば、北陸に家族で旅行した時も孫だけ連れて行ったことが
ありました、伯母譲りのインテリで、孫の話に私の子どもたちは唖然
としていました、それでよけいに孫と仲良くなったのかもしれません。

昔、臨時教師もしていたとかで、インテリなところもありましたが、
それが嫌味でなく、陽気さが勝っていたように思います。
伯母の家に行く最大の楽しみは、日曜日の朝食でした。
もう50年以上前の話になりますが、日曜日の朝食は
食パンにバターやジャムがのったトーストとミルクティ、
トーストはあまり関心がありませんでしたが、ミルクティは
生まれて初めて味わうもので、どうでしょう子どものころにそれまで
飲んだものはお茶や水以外では1年に1・2度のクリームソーダ、サイダー
あとは、りんごジュースくらいではなかったかと思います。

それが、うまくすれば1ヶ月で2・3度、ミルクティが飲める、
名前も知りませんでしたし、家では絶対に口にできるものではありません。
時々、ミルクティから紅茶の葉が出てくるのも不思議でしたし、
特別のご馳走のように思えました。

今飲んだらどんな感想があるのか知る由もありませんが、
伯母の印象は暖かくて甘いミルクティーです。
もう一度、飲みたい。
人は無くして初めて無くしたものの大きさや当たり前が当たり前でない、
あの時もっとこうしとけば・・・・・言っても詮無きこと。
親も含めて血の連鎖は、未熟者、もっとしっかり強く生きなさい、
そう語っているように感じます。

さようなら おばちゃん!



Posted by いとう茂 at 17:30│Comments(0)
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