2015年09月30日

月と桜

先週の月例勉強会で京都の会員が、1枚のコピーをくれました。
内容は茨木のり子という方の詩です。
さくらという題名で、それほど長くないので紹介します。

「さくら」  茨木のり子

ことしも生きてさくらを見ています

ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
まぎれこみ重なりあい霞立つせいでしょう

あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬 名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と


後半の部分は自分でも同じことを考えたりしますが、
前半の何度桜を見るだろう、確かに、毎年桜を見ていますが、
それは桜を見るのが目的ではなく、移動の時に目に入ったり
花見と称する一杯飲みの口実で見たりするのがほとんどで、
じっくり桜を見るということはあまりしていないことに気づきました。

同様のことが言えるのが月見です、今年はブルームーンとかスーパームーン
中秋の名月と報道があり月を見た人も多くいたと思います。
昨夜は所属する会で月見をしました、スーパームーンの翌日で、
少し欠けていると思ったのですが、ほとんど一昨夜と変わらない
大きくて明るい月でした。

7時ころに山の端から月が顔を出したときは、参加者から
大きなどよめきが上がりました、思い思いの場所に散って
月を眺めていたのですが写真を撮る人、参加者同士で
歓談する人、一人黙って月を眺める人と、色々なパターンが
ありました。
私は一人で黙ってのタイプで、月を眺めながら自分の心も
覗いていました。

願い事は・・・・・。
満月に近いので捨てる方かと考えていました。
心の荷物は誰にもあるものでしょう、時間をかけて溜まった
荷物は時間をかけないと消えないものが多く、月を見て
願ってもすぐになくなるものではないことに気づきました。
それでも一つだけ、願い事をしました。
願い事をすることは改めて捨てたい荷物のことを考えると
いうことで、かえって気持ちが重くなりましたが、重くなるということは
神か仏がもう少し持ち続けて苦しみ悩みなさいと言っているようで、
その荷物と向き合い反省と感謝の念がわいてくるのが不思議でした。

観月会が終わり会場を後にする人を見ていると誰一人として
振り返り月を見ようとしません、みんな忙しいんだろうか、
それとも月見のお酒が目的だったのか、そんなことを
考えていました。

月も桜もそうですが、生きている時間に限りがあります、
琵琶湖も普段何気なく見ていますが、わざわざ琵琶湖を見に来て
大きな感動を得る人もいます、人との出会いが一期一会
だけでなく自然との出会いも一期一会、今、この瞬間も
時は流れ、今は過去になっていきます。
こうして美しい月が見られるのも今のうちです、
そう思うと自分の中に何かに感謝をしなければ・・・・・、
そんな感情が出てきました。



Posted by いとう茂 at 12:32│Comments(0)
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