2015年10月30日

バリアフリー

バリアフリーの定義の中からわかりやすいものを紹介します。

障害者や高齢者の生活に不便な障害を取り除こうという考え方。
道や床の段差をなくしたり、階段のかわりにゆるやかな坂道を作ったり、
電卓や電話のボタンなどに触ればわかる印をつけたりするのがその例。

膳所駅周辺でバリアフリーの取り組みが進められています。
高齢化が進むと道路の整備や維持にかかる予算も減ってきます。
しかし、高齢者が歩くには歩道がなく事故に巻き込まれる可能性や
歩道があっても幅が狭い、うねりがある等で歩行に支障をきたす
こともあるかもしれません。
自動車に乗れない高齢者にとっては移動の手段の確保が
大きな問題になってくるのは事実です。

段差やへこみ、道幅などは目に見えるバリアフリーですが、
私たちは心の中に障害物を持っています。
差別や偏見、まちづくりで障害になることの一つに、昔から住んでいる人と
新しく住んだ人の軋轢、新しいマンションに新しく入居した人同士の
コミュニケーション不足、昔から住んでいる人の中での序列等、
人間同士のつながり方にも段差や凹みがあると思います。

企業でも地域でも一番難しいのは人間関係かもしれません。

市役所にほとんど毎日行っていますが、高校時代もよく
5階の食堂に出入りしていました、何を食べていたのか覚えていませんが、
5階から見える景色が好きでした、競艇場の建物も高層マンションもなく
市役所が一番高い建物で、琵琶湖が一望できました。

一番高い建物といえば、もっと子どもの頃親に連れて行ってもらった
京都の大丸を思い出します。
屋上には遊園地があり10円入れれば望遠鏡で京都の町が一望できましたし、
ワイヤーで吊られた飛行機に乗れば実際に空を飛んでいるようでした。
足元を含めて高齢者等の生活をスムーズにするためだけでなく、
視界をさえぎらないまちづくり、景観の確保を法律や条令でしばらなくては
いけない、そのことを否定する、景色を独り占めしない考え方を優先する
社会もバリアフリーと考えます。

自分の心にも段差や凹みがあります、人の好き嫌い、先入観、悩み・・・・。
本当は譲歩できるのに譲歩しない自分も知っていますし、
ズルイ自分も知っています、えっと驚く美しい心も知っています。
ある程度の縛りがなければ日常生活を円滑に過ごせないのは分かります、
立場上、周囲の目も制約になります。
これらの中で段差や凹みの部分を取り除いて生きることが理想なのかもしれませんが、
削っても磨いても尖がった角、丸くなればと言われても丸くならない、丸くする気がない角
そんな角を持った、どうしょうもない自分も知っています。
どうやら心の中の段差や凹みは全部取らない方がいいように感じます。
一つだけ角を残して生きるのも自分らしいかと思います。






Posted by いとう茂 at 21:54│Comments(0)
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