2015年11月27日
五感
五感の説明はいらないでしょうが、聴覚、視覚、嗅覚、
味覚、触覚の五つです。
般若心経の中に無限耳鼻舌身意 という部分があります。
これは、眼、耳、鼻、舌、身、意で六根といいますが
五感に意、意は心という意味だったと思いますが、入っていません。
仏教の話は難しいのでやめにしておきますが、五感の
四つは顔に集中していますし、顔も触感があります。
眼は視覚、耳は聴覚、鼻は嗅覚、そして口は味覚です。
五感以外のことをしているのは口だけです、言葉を発します、
きれいな言葉、美しい言葉、褒める言葉、汚い言葉、辛い言葉、
悲しい言葉、ののしる言葉・・・・・・。
いろんな言葉が口から出ていきます。
口では何とでも言える、時として言い訳や嘘も出てきますし、
心からの感謝、謝罪や懺悔の言葉も出てきます。
そして、目、耳、鼻、は二つ、正確には鼻は一つですが臭いをかぐ
鼻の穴は二つ、しかし口は一つしかありません。
物を食べる口と話をする口があれば・・・・・・・。
食事の時はうるさくて仕方がないように思います。
口は味を感じるための機能があるのに、言葉を発する機能も
神仏は持たせました、以下は独釈です。
目耳鼻と違い口は一つ、仏教の六根は意、心が入っている、
物事をよく見るために目は二つ、人の話をよく聞くために耳は二つ、
危険安全、かぎ分けるために鼻は二つ、物を味わうために口がある、
そして、心でよく考え責任ある言葉を発するために口は一つ。
食べたものを吐き出すすことはできますが、発した言葉は口に
戻すことはできません、言わぬが花、そんなことはよくあります。
失言は会議や公式の場だけでなく、日常生活でもよくあります。
不用意な一言が人間関係に亀裂を生じさせたり、大切な人との
未来をなくしてしまうことも、多くの人が経験しているかもしれません。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触角の五感は外部から自分の中に入って
来るものですが、発する言葉は内部から外へ出ていくものです。
五感で多くのものを吸収し、それを言葉で外に出す、唯一の手段が口です。
もちろん、目は口ほどにものを言うという言葉があるように、
目の動きで言葉がなくても物事を理解することはありますが、
口ほど多くのことを理解できません。
五感から入った情報が感情に変わり、感情が言葉となって
相手に伝わる、相手は聴覚と視覚を駆使して情報を感情に変えて
言葉でこちらに伝える。
一度発した言葉は戻りません、日々の当たり前の営みですが、
一人で生きているわけではありませんので、発する言葉を
十分吟味して、せめて近しい人にだけは誠意のある発信を
しなければと・・・・・。
味覚、触覚の五つです。
般若心経の中に無限耳鼻舌身意 という部分があります。
これは、眼、耳、鼻、舌、身、意で六根といいますが
五感に意、意は心という意味だったと思いますが、入っていません。
仏教の話は難しいのでやめにしておきますが、五感の
四つは顔に集中していますし、顔も触感があります。
眼は視覚、耳は聴覚、鼻は嗅覚、そして口は味覚です。
五感以外のことをしているのは口だけです、言葉を発します、
きれいな言葉、美しい言葉、褒める言葉、汚い言葉、辛い言葉、
悲しい言葉、ののしる言葉・・・・・・。
いろんな言葉が口から出ていきます。
口では何とでも言える、時として言い訳や嘘も出てきますし、
心からの感謝、謝罪や懺悔の言葉も出てきます。
そして、目、耳、鼻、は二つ、正確には鼻は一つですが臭いをかぐ
鼻の穴は二つ、しかし口は一つしかありません。
物を食べる口と話をする口があれば・・・・・・・。
食事の時はうるさくて仕方がないように思います。
口は味を感じるための機能があるのに、言葉を発する機能も
神仏は持たせました、以下は独釈です。
目耳鼻と違い口は一つ、仏教の六根は意、心が入っている、
物事をよく見るために目は二つ、人の話をよく聞くために耳は二つ、
危険安全、かぎ分けるために鼻は二つ、物を味わうために口がある、
そして、心でよく考え責任ある言葉を発するために口は一つ。
食べたものを吐き出すすことはできますが、発した言葉は口に
戻すことはできません、言わぬが花、そんなことはよくあります。
失言は会議や公式の場だけでなく、日常生活でもよくあります。
不用意な一言が人間関係に亀裂を生じさせたり、大切な人との
未来をなくしてしまうことも、多くの人が経験しているかもしれません。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触角の五感は外部から自分の中に入って
来るものですが、発する言葉は内部から外へ出ていくものです。
五感で多くのものを吸収し、それを言葉で外に出す、唯一の手段が口です。
もちろん、目は口ほどにものを言うという言葉があるように、
目の動きで言葉がなくても物事を理解することはありますが、
口ほど多くのことを理解できません。
五感から入った情報が感情に変わり、感情が言葉となって
相手に伝わる、相手は聴覚と視覚を駆使して情報を感情に変えて
言葉でこちらに伝える。
一度発した言葉は戻りません、日々の当たり前の営みですが、
一人で生きているわけではありませんので、発する言葉を
十分吟味して、せめて近しい人にだけは誠意のある発信を
しなければと・・・・・。
Posted by いとう茂 at 19:19│Comments(0)