2015年12月02日
古今東西
古今東西、何かの口上で聞いた方も多いと思いますが、
最近ではほとんど耳にしませんし、若者の間では死語に
なっているかもしれません、古今東西の意味は、
昔から今まで、あらゆる場所で。いつでもどこでも。
「古今」は昔と今。昔から今まで。
「古今」は時間の流れ、「東西」は空間の広がり。
「東西古今とうざいここん」ともいいます。
と言うことです。
四国遍路で菅笠をかぶって札所を回る方が大勢います。
その菅笠に書かれている言葉を思い出しました。
古今東西とは別に関係がないのですが・・・・。
迷故三界城 (迷うが故に三界は城)
悟故十方空 (悟るが故に十方は空)
本来無東西 (本来東西無く)
何処有南北 (何処にか南北あらん)
東西が入っているだけで別の意味です。
迷っているから自分の周りを分厚い壁が囲ってしまっているけど、
悟ってしまえば世界のなにもかも森羅万象が空(くう)。
もともと東も西もないのに、どうして南や北にこだわるのか?
仏教の世界観で、生きとし生けるものが生死流転(るてん)する、
苦しみ多き迷いの生存領域を、(1)欲界(よくかい)、(2)色界(しきかい)、
(3)無色界(むしきかい)の3種に分類したものを三界といいます。
(1)欲界はもっとも下にあり、性欲・食欲・睡眠欲の
三つの欲を有する生きものの住む領域です。
ここには地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・
人・天の6種の生存領域(六趣(ろくしゅ)、六道(ろくどう))があり、
欲界の神々(天)を六欲天といいます。
(2)色界は前記の三欲を離れた生きものの住む清らかな領域をいいます。
絶妙な物質(色)よりなる世界なので色界の名で呼ばれています。
(3)無色界は最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界です。
ここの最高処を有頂天(うちょうてん)と称します。
つまり、三界の欲界の中に、六道があるのです。
横道にそれてしまいました。
どこでも、いつでも、場所や時間を選ばないということで、共通の認識、
共通の基準ということにも使われますが、いつでもどこでも通用する物差しが
減りつつあるように感じるのは私だけでしょうか。
子は親に孝を尽くし、子どもを慈しみ育てる、子どもの頃は食事を残すと
「食べ物を粗末にすると目がつぶれる」そんなことをよく言われました。
道徳の時間ではありませんが、こうしたことはどこの家でもあったと思います。
いつのころからか個人主義とか個人の尊重とかいう言葉が出てきて、
それなりに発言権を持つようになりました、社会の枠、これも抽象的ですが、
その中での個人の尊重は当然のことです。
しかし、社会の枠の中でだけの話だろうかという疑問もあります。
何をするのも勝手と言えば勝手ですが、最低限人に迷惑をかけない
このことは守らなければいけないように思います。
12月に入り今年も一か月を切りました、昔なら忠臣蔵、紅白歌合戦、
歳時記ではありませんが、共通の楽しみがありましたが
それもそれぞれがめいめいに楽しむ風潮になっています。
古今東西という感覚はすでになく、さらに高い悟り、
本来無東西 (本来東西無く)
何処有南北 (何処にか南北あらん)
そこまで行ってしまったのでしょうか・・・・・・。
最近ではほとんど耳にしませんし、若者の間では死語に
なっているかもしれません、古今東西の意味は、
昔から今まで、あらゆる場所で。いつでもどこでも。
「古今」は昔と今。昔から今まで。
「古今」は時間の流れ、「東西」は空間の広がり。
「東西古今とうざいここん」ともいいます。
と言うことです。
四国遍路で菅笠をかぶって札所を回る方が大勢います。
その菅笠に書かれている言葉を思い出しました。
古今東西とは別に関係がないのですが・・・・。
迷故三界城 (迷うが故に三界は城)
悟故十方空 (悟るが故に十方は空)
本来無東西 (本来東西無く)
何処有南北 (何処にか南北あらん)
東西が入っているだけで別の意味です。
迷っているから自分の周りを分厚い壁が囲ってしまっているけど、
悟ってしまえば世界のなにもかも森羅万象が空(くう)。
もともと東も西もないのに、どうして南や北にこだわるのか?
仏教の世界観で、生きとし生けるものが生死流転(るてん)する、
苦しみ多き迷いの生存領域を、(1)欲界(よくかい)、(2)色界(しきかい)、
(3)無色界(むしきかい)の3種に分類したものを三界といいます。
(1)欲界はもっとも下にあり、性欲・食欲・睡眠欲の
三つの欲を有する生きものの住む領域です。
ここには地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・
人・天の6種の生存領域(六趣(ろくしゅ)、六道(ろくどう))があり、
欲界の神々(天)を六欲天といいます。
(2)色界は前記の三欲を離れた生きものの住む清らかな領域をいいます。
絶妙な物質(色)よりなる世界なので色界の名で呼ばれています。
(3)無色界は最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界です。
ここの最高処を有頂天(うちょうてん)と称します。
つまり、三界の欲界の中に、六道があるのです。
横道にそれてしまいました。
どこでも、いつでも、場所や時間を選ばないということで、共通の認識、
共通の基準ということにも使われますが、いつでもどこでも通用する物差しが
減りつつあるように感じるのは私だけでしょうか。
子は親に孝を尽くし、子どもを慈しみ育てる、子どもの頃は食事を残すと
「食べ物を粗末にすると目がつぶれる」そんなことをよく言われました。
道徳の時間ではありませんが、こうしたことはどこの家でもあったと思います。
いつのころからか個人主義とか個人の尊重とかいう言葉が出てきて、
それなりに発言権を持つようになりました、社会の枠、これも抽象的ですが、
その中での個人の尊重は当然のことです。
しかし、社会の枠の中でだけの話だろうかという疑問もあります。
何をするのも勝手と言えば勝手ですが、最低限人に迷惑をかけない
このことは守らなければいけないように思います。
12月に入り今年も一か月を切りました、昔なら忠臣蔵、紅白歌合戦、
歳時記ではありませんが、共通の楽しみがありましたが
それもそれぞれがめいめいに楽しむ風潮になっています。
古今東西という感覚はすでになく、さらに高い悟り、
本来無東西 (本来東西無く)
何処有南北 (何処にか南北あらん)
そこまで行ってしまったのでしょうか・・・・・・。
Posted by いとう茂 at 14:33│Comments(0)