2015年12月01日
優先順位を間違わずに
平均寿命は毎年公開されていますが、あくまでもその年に生まれた人の
平均寿命になりますので、もうすでに生きている私たちは
今年の平均寿命とは関係がないものです。
関係が深いのは平均余命で、少し古いデータですが余命表を主だった
年齢について掲載します。
45歳男性なら残りの持ち時間は約35年で45歳中に死亡する確率は
1000人中、2,3人で同い年の人は、ここまでの9672人生存しています。
年齢 男 女
平均余命 死亡率 生存数 平均余命 死亡率 生存数
45歳 34.75年 0.23% 9,672人 41.01年 0.12% 9,820人
50歳 30.21年 0.38% 9,536人 36.29年 0.19% 9,749人
55歳 25.86年 0.61% 9,314人 31.67年 0.28% 9,640人
60歳 21.72年 0.90% 8,982人 27.13年 0.37% 9,491人
65歳 17.78年 1.40% 8,511人 22.68年 0.59% 9,281人
データですと現実の数字がはっきり見えてきますが、
そこから得られる教訓を、どれだけ自分のことと捉えて
考えられるかで、持ち時間の使い方や意識が変わってくるのでしょう。
親鸞の有名な歌に
明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは
というのがあります、これは、明日も咲いているだろうと思っていた桜も、
夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという意味から。
「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、はかないもののたとえです。
仇桜を自分のことと考えられたら、今日しなければいけないことは
今日中にすませておこう、逢わなければいけない人には、すぐに逢っておこう、
そんな気持ちになるでしょう。
同じく浄土真宗の蓮如、中興の祖と言われていますが、
蓮如の御文、お葬式などで耳にされた方も多いと思います。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、
この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、
もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、
桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、
更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、
ただ白骨のみぞのこれり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはや
く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、
念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(現代語訳)
さて、人間の定まりのない有り様をつくづく考えてみますと、およそはかないものとは、
この世の始中終、まぼろしのごとき一生涯であります。
人が一万歳生きたとは、いまだかつて聞いた ことがありません。
一生は過ぎやすいものです。
末世の今にいたっては、いったい誰が百年の命を保ち得ましょうか。
我がさき、人がさき、今日とも知らず、明日とも知らず、人に遅れ、
人に先立ち、根もとに雫がしたたるよりも、葉先の露が散りゆくよりも繁く、
日々老少定まることな く、人は死んでいくものと言われています。
それゆえ、朝には紅いの血気盛んな顔色であって も、夕には白骨となる身であります。
今にも無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、
一つの息は永遠に途絶えてしまいます。
紅顔もはかなく変り、桃李のような美しいすがた も失われてしまうのです。
そのようなときには、家族親族が集まって歎き悲しんでもまったく何の甲斐もありません。
そのままにもしておかれないと、野辺に送り火葬して、夜半の煙となって しまえば、
ただ白骨が残るばかりです。
あわれといってもなお十分ではありません。
人間のは かないことは、老少定まりのないこの世界のならいです。
ですから、どの人もはやく後生の一大 事をこころにとどめ、
阿弥陀仏を深くおたのみ申し上げて、念仏するのがよいでしょう。
あなか しこ、あなかしこ。
しなければいけないことをせずに、したいことやできることだけして、
一日が充実しているとか忙しいと思っていませんか。
逢わなければいけない人、逢いたい人に会わずに、無駄に時間を過ごして
いませんか、無常の風が吹けば、もう二度と逢うことはかないませんし、
声も聞くことができません。
優先順位を間違わずに残りの持ち時間を有意義に過ごせたら・・・・・。
それでも悔いが残るのが人間です。
平均寿命になりますので、もうすでに生きている私たちは
今年の平均寿命とは関係がないものです。
関係が深いのは平均余命で、少し古いデータですが余命表を主だった
年齢について掲載します。
45歳男性なら残りの持ち時間は約35年で45歳中に死亡する確率は
1000人中、2,3人で同い年の人は、ここまでの9672人生存しています。
年齢 男 女
平均余命 死亡率 生存数 平均余命 死亡率 生存数
45歳 34.75年 0.23% 9,672人 41.01年 0.12% 9,820人
50歳 30.21年 0.38% 9,536人 36.29年 0.19% 9,749人
55歳 25.86年 0.61% 9,314人 31.67年 0.28% 9,640人
60歳 21.72年 0.90% 8,982人 27.13年 0.37% 9,491人
65歳 17.78年 1.40% 8,511人 22.68年 0.59% 9,281人
データですと現実の数字がはっきり見えてきますが、
そこから得られる教訓を、どれだけ自分のことと捉えて
考えられるかで、持ち時間の使い方や意識が変わってくるのでしょう。
親鸞の有名な歌に
明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは
というのがあります、これは、明日も咲いているだろうと思っていた桜も、
夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという意味から。
「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、はかないもののたとえです。
仇桜を自分のことと考えられたら、今日しなければいけないことは
今日中にすませておこう、逢わなければいけない人には、すぐに逢っておこう、
そんな気持ちになるでしょう。
同じく浄土真宗の蓮如、中興の祖と言われていますが、
蓮如の御文、お葬式などで耳にされた方も多いと思います。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、
この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、
もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、
桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、
更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、
ただ白骨のみぞのこれり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはや
く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、
念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(現代語訳)
さて、人間の定まりのない有り様をつくづく考えてみますと、およそはかないものとは、
この世の始中終、まぼろしのごとき一生涯であります。
人が一万歳生きたとは、いまだかつて聞いた ことがありません。
一生は過ぎやすいものです。
末世の今にいたっては、いったい誰が百年の命を保ち得ましょうか。
我がさき、人がさき、今日とも知らず、明日とも知らず、人に遅れ、
人に先立ち、根もとに雫がしたたるよりも、葉先の露が散りゆくよりも繁く、
日々老少定まることな く、人は死んでいくものと言われています。
それゆえ、朝には紅いの血気盛んな顔色であって も、夕には白骨となる身であります。
今にも無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、
一つの息は永遠に途絶えてしまいます。
紅顔もはかなく変り、桃李のような美しいすがた も失われてしまうのです。
そのようなときには、家族親族が集まって歎き悲しんでもまったく何の甲斐もありません。
そのままにもしておかれないと、野辺に送り火葬して、夜半の煙となって しまえば、
ただ白骨が残るばかりです。
あわれといってもなお十分ではありません。
人間のは かないことは、老少定まりのないこの世界のならいです。
ですから、どの人もはやく後生の一大 事をこころにとどめ、
阿弥陀仏を深くおたのみ申し上げて、念仏するのがよいでしょう。
あなか しこ、あなかしこ。
しなければいけないことをせずに、したいことやできることだけして、
一日が充実しているとか忙しいと思っていませんか。
逢わなければいけない人、逢いたい人に会わずに、無駄に時間を過ごして
いませんか、無常の風が吹けば、もう二度と逢うことはかないませんし、
声も聞くことができません。
優先順位を間違わずに残りの持ち時間を有意義に過ごせたら・・・・・。
それでも悔いが残るのが人間です。
Posted by いとう茂 at 14:36│Comments(0)