2015年12月15日

ノー天気

ノー天気は脳天気とか能天気とも書きます、その意味を調べると。

能天気とは呑気で軽薄なことや安直なこと。
またはそのような人をさす。
更にそれが転じ、生意気な人を指しても使われる。
能天気が普及したのは古く、江戸時代の書物には既に使われている。
のうてんきには実に様々な表記があるが、一番多く使われるのは能天気。
以下、脳天気、能転気、のーてんきがある。
更に最近ではノー天気という表記もあるが、どれも意味は同様。
脳天気という表記は昭和時代後期から使われるようになったもので、
小説家の平井和正が広めたといわれている

考えなしで暢気なさま。安直に気楽に構えているさま。「脳天気」のくだけた表記。

時に、そんなノー天気に憧れたりします。
山頭火の言葉に、見下げられる気安さ、買いかぶられる決まり悪さ、
そんな意味の言葉があります。
期待されないことは何をしても、何かを果たしても評価されないわけですから、
むなしい気持ちや、意欲をなくすことにつながるかもしれません。

では、評価を気にしなくなったらどうでしょう、期待されていない分、それこそ
気楽でしょうし、好きなペースで生きられるように思います。
ただ、今の社会はすべてが評価されますし、それが所得や暮らしに
反映されることがほとんどです。
人並みに仕事をして人並みの暮らしをする、何が人並みか分かりませんが、
特別贅沢なものを食べるとか海外に何度も出かけるとか、そんなものに
価値を感じない生活、上を見ない暮らし、暮らしだけでなく出世も急がない。

人をかき分けて上に上がろうとしたり目立とうとしたり、そういった生き様とは
対極の生き方、それを人はノー天気と呼ぶのでしょうか。

人並みの定義があって、人並みなら本来背負う責任も人並みのはずです、
しかし、世の中には責任を負う立場の人が責任を負わずに、人並みの人が
背負わされる、責任を負うべき人は態度だけは横柄で、言いたいことだけ言って
するべきこと、果たすべきことは何もしない。
案外周囲にいるかもしれません。

そんな人に使われて身動きできない責任だけ背負わされても、出世に
こだわる人がいるから、結果こうした上司が守られる。
どちらも、ノー天気?

昔、木造の小学校の廊下に「ろうかははしらない」そんな紙が張ってありました。
今の社会は廊下を猛スピードで走る人が大勢いるように思います、
何かの役職は名誉かもしれません、名誉は欲の一つで断ちがたいものが
あるかもしれませんが、大勢の人が猛スピードで走る中、廊下をゆっくり歩く、
そんな生き方には強い憧れがあります、歩くスピード、話す速度、食べる速度、
すべてゆっくり、もっとゆっくりすることで、違う世界や違う出会いもあるように
思います、そんな生き方をノー天気と呼ぶのなら、ノー天気を自負してみたい。
すでにそんな人たちが歩いている道があるかもしれません、だったら自分にも
そんな道が見つかるし歩けるはず。
道端の石に腰を下してゆっくり休み、どんどん後ろから追い抜かれても、
気にせずに、その道の入り口を見つけたいと思います。


Posted by いとう茂 at 22:36│Comments(0)
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