2015年12月26日

今年最後の満月

一昨日は、もう少しで満月になる月が頭の真上にありました。
時々、外に出て月を眺めることがありますが、はじめは寒さが気持ちよく
ボンヤリ眺めながら物思いにふけっていますが、少し時間がたつと、
寒さが全身を覆い身震いが始まり、背筋がゾクゾク、時間にすると
それほど長くはないのでしょうが、秋の終わりから冬にかけて身が
キュッと締まる感じがする時期に夜空を見上げるのも好きです。

そして昨日は東の空の雲の切れ間から大きな月が顔を出す瞬間に
出会えましたもちろん、しばし見とれてボンヤリ・・・・・。
この時期は日の出は東を向いて1時の方向ですが、月は11時の方向から
顔を出しました。
雲から抜け出すまでは10分足らず、大きな月は1時間もたつと小さくなり
10時頃には頭上近くにありました、空には雲もほとんどなく、
夜空を独り占めしているようでした。
今年最後の満月、29日周期ほどで満ち欠けを繰り返しています、
次の満月は1月20日過ぎ、どこかで震えながら満月を見られたらと思います。

年の瀬が近づくと、頭に「今年最後の」という言葉をつけて表現したり
することがよくあります、1年で12・3回の満月ですが、あと何回の
満月を眺めることができるのでしょう。

今夜の月は雲が絡んで昨夜とは打って変わって、物憂げな表情で
一日でこんなに落差があることを改めて感じました。
人の心も同じようなものかもしれません、絶頂の頂点から一気に
悲嘆にくれる、その原因はそれぞれでしょうが、月の場合は雲。
雲がかかるだけで月の表情が一変します。

人間で言うなら、誰かの何気ない一言、それで心が曇り落ち込んでしまう、
しかし、考えてみれば雲がかからないで、はっきり月が見えるときは
案外少なく、ほとんどは雲に隠れたり、雲が月を横切ったり・・・・・。
人の心も満月のように穏やかで雲がかからない状態、何の心配事も
ない時間は少ないものです。

月は太陽の光を受けて光っています、そして夜道や私たちを照らしています。
誰かに支え、助けられて私があり、私も誰かを支え、助けている、
でも、月と同じで誰かを支え照らすと決めても、雲と同じように、
大小は別にして問題や用事でつい支える時間を作れない、それも仕方がない
そう思うか、支えていなかった照らしていなかったと反省するか、反省しても
それが支える人の命に関わることなら取り返しがつきません。
たとえ命に関わらなくても自分の意志で支える、照らすと決めたのに
多忙を言い訳にして、支えることを怠った時に、どう対応すればいいのか。
時間が作れなかったのか、支え照らすことを忘れていたのか、
二つの間には大きな隔たりがあります。

支え照らすことを忘れていたのを時間がなかったこととすり替えていないか。

月は太陽の光を受けて地上に向けて光を届けています、雲にさえぎられて
地上に届かなくても、届かないことを雲のせいにしたりしません。
それでも、届けられないことを悔い反省しているとすれば・・・・・・。
だから、欠けてしまい新月の闇夜を作っているのでしょうか。
それを人間に当てはめるとどうなるのか、欠けることはできません、
悔い反省しても支えていなかった時間は戻りません。

次からは、そう決心しても満ち欠けのように同じことの繰り返し、
どうしようもない人間と卑下しても、支えていなかった事実は消えませんし
時間は戻らない。
支えていなかった原因を多忙などと外に求めず、自分に向け続けるとどうなるのか、
許しを乞うことも否定した人間はどうすればいい。
そこまで月は教えてくれません。
自分の命が消える日は、満月が雲に隠れている日がいい、誰も支えることは
できなかった無力な人間、そのことを思い知って消えていくべきだと・・・・・。
誰かに支えてもらったことを誰かに返せなかった、安らかになどとは
ゆめゆめ考えてはいけないように思います。

Posted by いとう茂 at 23:15│Comments(0)
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