2016年03月10日

思い出したこと

人間の頭の構造がどうなっているのか凡人の私になど理解する
ことはできませんし、知ったからと言ってどうなるわけでもありません。
年を重ねて物忘れがひどくなると、そのことを嘆く声をよく聞きますし、
私自身も物忘れで落ち込むときもあります。
しかし、物を忘れるから平気な顔をして生きていられる部分があるように
思うようになりました。
犬や猫も物忘れがあるのか分かりませんが、生きていくうえで
忘れることが非常にありがたいと感じることもあります。

忘れたくても忘れられない事柄もありますが、時間の経過が薄れさせて
くれたり、ギザギザとんがった先を鉛筆の芯のように丸くしてくれる
ことがあります。
心の中をのぞいてみるとかさぶたになった古傷がいくつも残っています、
押さえるとうっすら血がにじむ古傷もありますが、普段は気づかずに
過ごしていることの方が多く、痛みを感じても疼きのある古傷は
徐々にではありますが少なくなってきているように感じます。
疼きが消えるかどうかは分かりませんが・・・・・。

あの時はあれほど悲しみに打ちひしがれて落ち込んだのに、そんな記憶が
懐かしくさえ思えるから時間と言う漢方薬は不思議です。

それで、思い出したことですが、これがまたくだらないことです。
この前、食後のデザートについて雑談をしていましたが、今はスイーツとか
の名称でケーキやタルトなどのことを呼ぶそうで、スパゲッティや
マカロニとは言わないでパスタと呼ぶのと同じだと理解するまで、
話の輪に入れませんでした。

普段から無縁の食べ物ですから、それは別に落ち込んだりしませんでしたが、
単品の名称は変わらないのに総称が変わる、ちょっとした違和感はありました。
雑談の中で思い出したのが缶詰のみつ豆です。
食べたくなったというわけではありませんが、自分の経験の中では
プリンよりも歴史が古く、カステラやクリスマスケーキとほぼ同時期に
食べた経験があります。

寒天のつるっとしてぐしゃっという食感、それ自体には味付けは
していないのでしょうが、舌の上でコロコロ転がしたことを思い出します。
みつ豆で一番人気があったのがサクランボです、一缶に1個か2個しか
入っていなくて、いつも取り合いになりました。
サクランボも好きでしたが、同じくらい好きだったのが黒豆です。
滅多に口にできなかったみつ豆、最後に残して大事に食べるのが
この黒豆で、今から思えば幼稚な楽しみですが、今、みつ豆を
食べることがあっても最後に食べそうな気がします。

雀百まで踊りを忘れず、ではありませんが頭で記憶したことは忘れることが
ありますが、行為として経験したことはより長く覚えているのでしょうか。
くだらないことばかり思い出し、大切なことを忘れてしまう。
これは加齢によるものか個人の資質なのか・・・・・。

Posted by いとう茂 at 13:29│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。