2019年11月30日
神様が書いた4つの詩 ②
犬の好きな私ですので虹の橋の感想は・・・・・。
番犬と言う立場からペットへ、さらに家族の一員へと犬の
立場も時代とともに変わってきました。
それは我々日本人の経済的な状況と比例するように
思います、昔なら雑種の犬をもらったり、差し上げたりで
子どもには特別な存在であっても、家の中では家族とは
一線をひかれた存在が、癒しの対象として愛玩具のように
扱われ、今では家族と肩を並べる存在になっています。
飼い主がある一定以上の年齢になり、飼っていた犬が
死んでしまうと、この次、犬を飼ったら自分の寿命の方が
早く尽き、飼い犬がかわいそうだと考える人が多いことでも
犬の存在の大きさがうかがえると思います。
犬にも犬権があるのではないでしょうか、そうした社会情勢の
中でも、我が子を虐待して死に至らしめる、そんな悲惨な
現実があることを思う時に、人間の優しさや残虐さについて
改めて考えさせられます。
「手紙~愛する子どもたちへ~」
あなたに、お願いがあります。
年老いた私が ある日、
今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解して欲しい
驚かないで、
そのままの私を受け入れて欲しいのです。
私が食事をしている時、
服や床に食べ物をこぼしても、
出かける時に
左右ばらばらの靴をはいても、
あなたが歩けるようになったころ、
私が色んなことを教え、
いつも見守っていたことを
思い出して欲しいのです。
あなたと話すとき
同じ話を何度も何度も繰り返しても
どうか、うんざりせずに
うなずいて欲しいのです。
幼いあなたを寝かせるために、
その小さな瞳が閉じるまで、私が同じ絵本を
何度も、何度も、繰り返して読んであげたように。
物語の結末は
いつも、いつも、同じでしたが、
あなたの笑顔を見るたびに、
私の心は
いつも、いつも、幸せで満たされました。
たった今話していたことを忘れてしまっても、
辛抱強く、思い出すのを見守って欲しいのです。
たぶん、そのとき私に一番大切なことは、
話の内容ではなく、
ただあなたがそばにいてくれること
かも知れません。
楽しいひと時に
私がうっかり下着を漏らしてしまっても
お風呂に入るのを
嫌がっても、
そんなときには、
どうか思い出してください。
幼稚園に入ったころ、
嫌がるあなたを追い回し
何度も着替えさせたことを。
なだめすかして
お風呂に入れた、
懐かしい日々のことを。
やがて、旅立ちの日を迎える私のために
どうか祈ってください。
ずいぶん歯も弱ってきました
いずれ、食事を飲み込む事さえ
出来なくなるかもしれません。
足も衰えてきました。
やがて、立ち上がることすら、
出来なくなるかも知れません。
そんなときには、
か弱い足でよちよち歩きをはじめた
あなたに私がしたように、
優しく手を伸ばして
私を支えて欲しいのです。
よろめく私に、
あなたの手を握らせてください。
あなたを抱きしめる力がないのを
知ることは、
とてもつらいことです。
でも、そんな私を受け入れ、
支えてくれる心を、
どうか持ってほしいのです。
きっとそれだけで
たったそれだけで
私には勇気があふれてくるのです
あなたの人生の始まりに 私が付き添ったように
わたしの人生の終わりに 少しだけ付合ってほしいのです。
あなたが生まれてくれたことで
私が知った多くの喜びと
あなたへの変わらぬ愛を持って
笑顔で答えたいのです。
私の愛するこどもたちへ。
神様が書いた4つの詩
作者: 星加海(絵):おかのきんや(編訳)
「虹の橋」
原作者不詳
日本語訳:ふくふくやま
天国の入り口の、
ほんの少し手前に、
「虹の橋」と
呼ばれている場所があります。
生前、
誰かに愛されていた、動物たちは、
その命の灯が消えると、みんな
「虹の橋」のたもとへ
やってくるのです。
そこには、広い草原や
なだらかな丘があります、
遠くには緑の守りも見えます。
動物たちはそこで駆けまわり、
ともにじゃれあって、楽しく遊んでいます。
おなかいっぱいのごはんと、きれいなお水、
そして穏やかな陽の光に恵まれ、
気持ちよく過ごしています。
病気だったり、
年老いた動物たちも、
ここに来て、
すっかり健康と元気を
取り戻しています。
傷ついたり、
不自由な体になってしまった動物たちも、
元通りの体を取り戻しています。
私達の記憶と夢の中にある、
あの元気だったころのように。
毎日、彼らは、
幸せに満ち足りて、楽しく暮らしています。
でも、ひとつだけ、
いつも心の片隅に、
小さな不満があるのです。
それは、飼い主さんのことです。
特別だったあの人、
別れなければならなかったあの人に、
「また逢いたい」
という切ない思いです。
今日も
動物たちは、いつものように
みんな一緒に走り回って遊んでいます。
ところが、
一頭の犬が突然立ち止まり、
遠くをじっと見つめます。
その瞳は、キラキラと輝きだし、
体は嬉しさで
小刻みに震えだします。
突然、
その犬は、弾かれたように
走っていきます。
何かに向かい、
緑の草原を、
一目散に飛ぶように疾走します。
足がもどかしく、宙をかきます。
遠く、遠く。
あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの大切な友は、
ついに、再び出会えたのです。
お互いに、
これからずっと一緒だよ
というように
固く固く抱き合います。
幸福のキスが、
あなたの顔に降り注ぎます。
あなたの手は愛する友の頭を、
何度も、何度も撫でまわします。
そしてあなたは、
信頼にあふれる友の瞳を、
もう一度のぞき込むのです。
あんなに長い間
あなたの人生から
姿を消していたのに、
ただの一日も
決して忘れることのなかった
その瞳を。
そして、
あなたは虹の橋を渡り、
天国へと向かいます。
そう、愛する友と一緒に。
手紙の感想は、その通りにできたらと思います。
しかし、自分の親から毎日こうしたことを言われると、うんざり
する人も多いと思います。
これを牧師さんか僧侶から聞かされたら、心を入れ替えて年老いた親に
孝行しようと考える人が大多数かも知れません。
しかし、こうして活字にして読んでみると、自分がいかに普段から
育ててもらった親が年老いているのに気が付かずにいるかを自覚出来ます、
年老いたことは見ればわかるのですが、それ相応の対応をせずに
照れくささや身近過ぎるところから感謝よりも、ぞんざいな言葉をつかったり、
いくつやと思ってるねん、なんて反発したり・・・・・・です。
この親ともこの世限りです、頂いたご縁をもう一度噛みしめて、親孝行の
真似事でも始めましょうか。
番犬と言う立場からペットへ、さらに家族の一員へと犬の
立場も時代とともに変わってきました。
それは我々日本人の経済的な状況と比例するように
思います、昔なら雑種の犬をもらったり、差し上げたりで
子どもには特別な存在であっても、家の中では家族とは
一線をひかれた存在が、癒しの対象として愛玩具のように
扱われ、今では家族と肩を並べる存在になっています。
飼い主がある一定以上の年齢になり、飼っていた犬が
死んでしまうと、この次、犬を飼ったら自分の寿命の方が
早く尽き、飼い犬がかわいそうだと考える人が多いことでも
犬の存在の大きさがうかがえると思います。
犬にも犬権があるのではないでしょうか、そうした社会情勢の
中でも、我が子を虐待して死に至らしめる、そんな悲惨な
現実があることを思う時に、人間の優しさや残虐さについて
改めて考えさせられます。
「手紙~愛する子どもたちへ~」
あなたに、お願いがあります。
年老いた私が ある日、
今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解して欲しい
驚かないで、
そのままの私を受け入れて欲しいのです。
私が食事をしている時、
服や床に食べ物をこぼしても、
出かける時に
左右ばらばらの靴をはいても、
あなたが歩けるようになったころ、
私が色んなことを教え、
いつも見守っていたことを
思い出して欲しいのです。
あなたと話すとき
同じ話を何度も何度も繰り返しても
どうか、うんざりせずに
うなずいて欲しいのです。
幼いあなたを寝かせるために、
その小さな瞳が閉じるまで、私が同じ絵本を
何度も、何度も、繰り返して読んであげたように。
物語の結末は
いつも、いつも、同じでしたが、
あなたの笑顔を見るたびに、
私の心は
いつも、いつも、幸せで満たされました。
たった今話していたことを忘れてしまっても、
辛抱強く、思い出すのを見守って欲しいのです。
たぶん、そのとき私に一番大切なことは、
話の内容ではなく、
ただあなたがそばにいてくれること
かも知れません。
楽しいひと時に
私がうっかり下着を漏らしてしまっても
お風呂に入るのを
嫌がっても、
そんなときには、
どうか思い出してください。
幼稚園に入ったころ、
嫌がるあなたを追い回し
何度も着替えさせたことを。
なだめすかして
お風呂に入れた、
懐かしい日々のことを。
やがて、旅立ちの日を迎える私のために
どうか祈ってください。
ずいぶん歯も弱ってきました
いずれ、食事を飲み込む事さえ
出来なくなるかもしれません。
足も衰えてきました。
やがて、立ち上がることすら、
出来なくなるかも知れません。
そんなときには、
か弱い足でよちよち歩きをはじめた
あなたに私がしたように、
優しく手を伸ばして
私を支えて欲しいのです。
よろめく私に、
あなたの手を握らせてください。
あなたを抱きしめる力がないのを
知ることは、
とてもつらいことです。
でも、そんな私を受け入れ、
支えてくれる心を、
どうか持ってほしいのです。
きっとそれだけで
たったそれだけで
私には勇気があふれてくるのです
あなたの人生の始まりに 私が付き添ったように
わたしの人生の終わりに 少しだけ付合ってほしいのです。
あなたが生まれてくれたことで
私が知った多くの喜びと
あなたへの変わらぬ愛を持って
笑顔で答えたいのです。
私の愛するこどもたちへ。
神様が書いた4つの詩
作者: 星加海(絵):おかのきんや(編訳)
「虹の橋」
原作者不詳
日本語訳:ふくふくやま
天国の入り口の、
ほんの少し手前に、
「虹の橋」と
呼ばれている場所があります。
生前、
誰かに愛されていた、動物たちは、
その命の灯が消えると、みんな
「虹の橋」のたもとへ
やってくるのです。
そこには、広い草原や
なだらかな丘があります、
遠くには緑の守りも見えます。
動物たちはそこで駆けまわり、
ともにじゃれあって、楽しく遊んでいます。
おなかいっぱいのごはんと、きれいなお水、
そして穏やかな陽の光に恵まれ、
気持ちよく過ごしています。
病気だったり、
年老いた動物たちも、
ここに来て、
すっかり健康と元気を
取り戻しています。
傷ついたり、
不自由な体になってしまった動物たちも、
元通りの体を取り戻しています。
私達の記憶と夢の中にある、
あの元気だったころのように。
毎日、彼らは、
幸せに満ち足りて、楽しく暮らしています。
でも、ひとつだけ、
いつも心の片隅に、
小さな不満があるのです。
それは、飼い主さんのことです。
特別だったあの人、
別れなければならなかったあの人に、
「また逢いたい」
という切ない思いです。
今日も
動物たちは、いつものように
みんな一緒に走り回って遊んでいます。
ところが、
一頭の犬が突然立ち止まり、
遠くをじっと見つめます。
その瞳は、キラキラと輝きだし、
体は嬉しさで
小刻みに震えだします。
突然、
その犬は、弾かれたように
走っていきます。
何かに向かい、
緑の草原を、
一目散に飛ぶように疾走します。
足がもどかしく、宙をかきます。
遠く、遠く。
あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの大切な友は、
ついに、再び出会えたのです。
お互いに、
これからずっと一緒だよ
というように
固く固く抱き合います。
幸福のキスが、
あなたの顔に降り注ぎます。
あなたの手は愛する友の頭を、
何度も、何度も撫でまわします。
そしてあなたは、
信頼にあふれる友の瞳を、
もう一度のぞき込むのです。
あんなに長い間
あなたの人生から
姿を消していたのに、
ただの一日も
決して忘れることのなかった
その瞳を。
そして、
あなたは虹の橋を渡り、
天国へと向かいます。
そう、愛する友と一緒に。
手紙の感想は、その通りにできたらと思います。
しかし、自分の親から毎日こうしたことを言われると、うんざり
する人も多いと思います。
これを牧師さんか僧侶から聞かされたら、心を入れ替えて年老いた親に
孝行しようと考える人が大多数かも知れません。
しかし、こうして活字にして読んでみると、自分がいかに普段から
育ててもらった親が年老いているのに気が付かずにいるかを自覚出来ます、
年老いたことは見ればわかるのですが、それ相応の対応をせずに
照れくささや身近過ぎるところから感謝よりも、ぞんざいな言葉をつかったり、
いくつやと思ってるねん、なんて反発したり・・・・・・です。
この親ともこの世限りです、頂いたご縁をもう一度噛みしめて、親孝行の
真似事でも始めましょうか。
Posted by いとう茂 at 11:37│Comments(0)