2020年10月17日
思い出し遍路㊲
28番の大日寺から29番の国分寺に向かう途中、
後ろから男性が自転車で大きな声を出して迫ってきます。
どうやら歩いている遍路姿を見て追いかけてきたようで、
追いつくと、「はい、これお接待」といってウエットティシュを
くれました。
徳島を出て高知に入りましたが、四国ではお接待の文化が
根付いていることを実感させられました。
もちろん、お接待をしているのは私ではなく私と一緒に
歩いているであろう、お大師さんです。
この日は大津に帰る日で3時30分ごろに高知駅を出る高速バスに
乗らなくてはいけません、次回のためになるべく交通の便の
いいところまで歩く予定でしたので、細かい予定表は作って
いません。
とりあえず、30番の善楽寺まではお参りを済ませて、次の
竹林寺までお参りするか、手前の土佐電鉄の駅から
高知駅に戻るかは体調を見てからにしょうと思っていました。
ほぼ1か月に1度の歩き遍路とはいえ、普段は車での移動が
主流で歩くと言ってもちょっとだけ、それが四国に来ると1日
30キロから40キロ歩いているのですから、足腰に負担が
あるのは当然です、この日は4日目ですでに100キロ以上歩いて
いますので足取りも重く、やめろ、止まれともう一人の自分が
ささやきますし、四国を回っている間に何十回と思った
「なんでこんなアホみたいなことをしてるんやろ」と自問が続き、
つい、ふらふらと安きに流れそうになったことも何度もあります。
この時も、土佐電鉄の文珠駅どころかその前のJR土佐一宮駅
から帰ろうかと考えていました。
どちらにしても次回の出発点にするには交通の便もよく、そこで
やめてもよかったのですが、そうしなかったのは次回来たときは
36番青龍寺の近くの国民宿舎に泊まりたかったのと、38番の
足摺岬への行程を考えると、歩く時間があるのなら少しでも
前へ行かなければと考えたからです。
自分の体よりも時間を優先する、無茶苦茶な選択かもしれませんが、
そもそも普段は車ばかりの人間が四国1周を歩いて回るという
選択から間違っています。
この日は結局、31番の竹林時まで歩きました。
途中でセルフのうどん店で2回目の昼食を食べて元気が出たの
かも知れません。
この選択は次回とその次で正しかった・・・・自己満足ですが、
証明されました。
後ろから男性が自転車で大きな声を出して迫ってきます。
どうやら歩いている遍路姿を見て追いかけてきたようで、
追いつくと、「はい、これお接待」といってウエットティシュを
くれました。
徳島を出て高知に入りましたが、四国ではお接待の文化が
根付いていることを実感させられました。
もちろん、お接待をしているのは私ではなく私と一緒に
歩いているであろう、お大師さんです。
この日は大津に帰る日で3時30分ごろに高知駅を出る高速バスに
乗らなくてはいけません、次回のためになるべく交通の便の
いいところまで歩く予定でしたので、細かい予定表は作って
いません。
とりあえず、30番の善楽寺まではお参りを済ませて、次の
竹林寺までお参りするか、手前の土佐電鉄の駅から
高知駅に戻るかは体調を見てからにしょうと思っていました。
ほぼ1か月に1度の歩き遍路とはいえ、普段は車での移動が
主流で歩くと言ってもちょっとだけ、それが四国に来ると1日
30キロから40キロ歩いているのですから、足腰に負担が
あるのは当然です、この日は4日目ですでに100キロ以上歩いて
いますので足取りも重く、やめろ、止まれともう一人の自分が
ささやきますし、四国を回っている間に何十回と思った
「なんでこんなアホみたいなことをしてるんやろ」と自問が続き、
つい、ふらふらと安きに流れそうになったことも何度もあります。
この時も、土佐電鉄の文珠駅どころかその前のJR土佐一宮駅
から帰ろうかと考えていました。
どちらにしても次回の出発点にするには交通の便もよく、そこで
やめてもよかったのですが、そうしなかったのは次回来たときは
36番青龍寺の近くの国民宿舎に泊まりたかったのと、38番の
足摺岬への行程を考えると、歩く時間があるのなら少しでも
前へ行かなければと考えたからです。
自分の体よりも時間を優先する、無茶苦茶な選択かもしれませんが、
そもそも普段は車ばかりの人間が四国1周を歩いて回るという
選択から間違っています。
この日は結局、31番の竹林時まで歩きました。
途中でセルフのうどん店で2回目の昼食を食べて元気が出たの
かも知れません。
この選択は次回とその次で正しかった・・・・自己満足ですが、
証明されました。
Posted by いとう茂 at 18:51│Comments(0)