2020年12月18日
思い出し遍路54
浄瑠璃寺の前の民宿で昼食と休憩をとることができて
再び歩き出します、1キロも歩かないうちに47番八坂寺、
さらに1キロほどで別格の文珠院がありますが、八坂寺の
印象が薄く、ここも4度お参りしていますが一つ前の浄瑠璃寺に
比べるとほとんど記憶に残っていません。
次の文珠院は20ある別格の一つで、写真で言うと上の納経帳の
右側が御朱印になります。
左側が48番の西林寺の御朱印です、同じ西林寺の御朱印が
大きい納経帳の右側で上下に並べてみました。
並べたのには理由があります。
御朱印帳に書かれたほとんどの文字は達筆すぎて読むのが
難しいのですが、小さいほうの文字は丁寧に男性が書いてくれ、
それをじっと見ていた記憶があります。
達筆なのは、それでありがたみや重みを感じますが、丁寧に
1字1字を書いて頂くのもありがたい気持ちになります。
2度目に西林寺にお参りをして納経所の女性に前回のお参りでは
1字1字丁寧に書いて頂いたことを告げると、女性は自分の父親が
書いたものだと答えてくれました。
納経所の人手が足りず実家のお父さんが応援に来ていたそうで、
そのお父さんも亡くなったそうです。
上下で上がお父さん、下が娘さんの墨跡です。
納経帳の大きさが違うのは、上の小さいほうを持って歩きましたが、
歩きで少しでも荷物を軽くしたいという思いからで、100グラムも
変わらないと思いますが、とにかく軽く、軽くして歩いた証でも
あります。
現在ではA4サイズの納経帳もあり御朱印が躍る感じでダイナミックな
墨跡が期待できますが、持って歩くには・・・・・。
西林寺を出ると49番の浄土寺ですが3キロ余りの歩きです。
途中で車を止めた男性から缶コーヒーの接待を受けました。
先を急いでいたので1度は断ったのですが、男性は強引に缶コーヒーを
勧めました・・・・・。
これは、反遍路の持論を展開したいためで、いきなりお大師さんの批判から
持論が始まりました、こうした経験は4巡目の岩本寺に向かう時にも
あります。
特別な思いが真言宗にあるわけでもなく、敬虔な信者でもありません。
宗派の批判もお大師さんの批判も止まることがありません。
聞いていると自分が何か悪いことでもしているような言い方もあり、
缶コーヒーを飲み干して、信仰の自由は憲法で保障されている、そんな
捨て台詞と接待のお礼を言って解放されました。
どうやら2度の経験で彼らは真言宗やお大師さんの批判が目的ではなく、自分が
信仰している宗教が一番で、その他は邪教と考えている人だと分析しています。
ただ歩いているだけなのに、そこに目をつけて狙い撃ちする人がいる。
これも歩き遍路ならではの経験かもしれません。
再び歩き出します、1キロも歩かないうちに47番八坂寺、
さらに1キロほどで別格の文珠院がありますが、八坂寺の
印象が薄く、ここも4度お参りしていますが一つ前の浄瑠璃寺に
比べるとほとんど記憶に残っていません。
次の文珠院は20ある別格の一つで、写真で言うと上の納経帳の
右側が御朱印になります。
左側が48番の西林寺の御朱印です、同じ西林寺の御朱印が
大きい納経帳の右側で上下に並べてみました。
並べたのには理由があります。
御朱印帳に書かれたほとんどの文字は達筆すぎて読むのが
難しいのですが、小さいほうの文字は丁寧に男性が書いてくれ、
それをじっと見ていた記憶があります。
達筆なのは、それでありがたみや重みを感じますが、丁寧に
1字1字を書いて頂くのもありがたい気持ちになります。
2度目に西林寺にお参りをして納経所の女性に前回のお参りでは
1字1字丁寧に書いて頂いたことを告げると、女性は自分の父親が
書いたものだと答えてくれました。
納経所の人手が足りず実家のお父さんが応援に来ていたそうで、
そのお父さんも亡くなったそうです。
上下で上がお父さん、下が娘さんの墨跡です。
納経帳の大きさが違うのは、上の小さいほうを持って歩きましたが、
歩きで少しでも荷物を軽くしたいという思いからで、100グラムも
変わらないと思いますが、とにかく軽く、軽くして歩いた証でも
あります。
現在ではA4サイズの納経帳もあり御朱印が躍る感じでダイナミックな
墨跡が期待できますが、持って歩くには・・・・・。
西林寺を出ると49番の浄土寺ですが3キロ余りの歩きです。
途中で車を止めた男性から缶コーヒーの接待を受けました。
先を急いでいたので1度は断ったのですが、男性は強引に缶コーヒーを
勧めました・・・・・。
これは、反遍路の持論を展開したいためで、いきなりお大師さんの批判から
持論が始まりました、こうした経験は4巡目の岩本寺に向かう時にも
あります。
特別な思いが真言宗にあるわけでもなく、敬虔な信者でもありません。
宗派の批判もお大師さんの批判も止まることがありません。
聞いていると自分が何か悪いことでもしているような言い方もあり、
缶コーヒーを飲み干して、信仰の自由は憲法で保障されている、そんな
捨て台詞と接待のお礼を言って解放されました。
どうやら2度の経験で彼らは真言宗やお大師さんの批判が目的ではなく、自分が
信仰している宗教が一番で、その他は邪教と考えている人だと分析しています。
ただ歩いているだけなのに、そこに目をつけて狙い撃ちする人がいる。
これも歩き遍路ならではの経験かもしれません。
Posted by いとう茂 at 15:53│Comments(0)