2021年02月20日

人生100年というけれど

人生100年時代、楽しく豊かな老後はまず健康であること、
健康寿命の延伸を考えましょう。
こんなキャッチコピーはよく見かけますが、自分の身の回りのことを
誰の世話にもならずにできることはいいことだと思いますし、異論は
ありません。
人生が100年でも50年でも同じことかも知れませんが、うちの
母親は今年90歳になります。
よぼよぼしながらも自分の足で歩いています、身の回りのことも
ほとんど自分でできますが少し認知症が入ってきたと思うことが
よくありますが、それも年齢を考えれば許容範囲だと思っています。

もし人生が50年なら母親は45歳、100年で90歳、このままあと10年生きて
いるとは思いませんが、母親を見ていて100年時代というけれど、90年でも
どうだったのだろう・・・・・・。
私の父親である伴侶を亡くしたのは26年前、後を追うように長女である実姉、
6年ほど前に実妹、昨年は実兄と4人兄妹が母親一人になってしまいました。
その間に従妹も何人か他界し、昨日は子どものころから姉弟のように
育ってきた従妹の訃報が入りました。
認知症が入ってきてショックも少なくなっているのか、実兄の時もそうでしたが
昨日の訃報にも極端な悲しさや驚きは見せませんでした。
このままの状態であと10年生きれば従妹はほとんどいなくなるでしょうし、
子どもである私もどうなっているか分からない・・・・・。

それでも生きなければいけない、そこに辛さはないのだろうか、人生100年の
ちょうど3分の1を残す年齢の私が健康で長生きして母親の年になった時に
周りの人の顔触れはどうなっているのだろう。
会者定離は世の常とはいえ、親しい人との別れは辛いものです。
残る方も逝く方も・・・・・。
あの世のことはわかりませんので逝く方が辛いかもしれませんが、それは
自分が逝ってからわかることですので、考えても仕方がない気がします。
もし人間が100年で亡くなるのなら同級生はほぼ同じ時期に亡くなり
ますからそれほど辛くはないでしょうし、年長の人が100歳で亡くなれば
100年生き切ったんだ、そんな感想を持つかもしれません。
しかし、寿命は個人で違います、あと何年、それは見えませんし、
個人差があります、さらに事故死の可能性もあり予測がつきません。

100年時代を迎えて楽しいこともたくさんあるのでしょうが、
悲しいこと、辛いこと、困ったこと、そんなこともたくさんありそうですし、
寂しさを友として日々を送ることも増えそうです。
悲観的な考えも楽観的な考えも、全部含めて考える時間は増えます。
どう考えるかで毎日の生き方も変わります。
ただ、願わくば・・・・・・、多くの人の世話になり・・・・・・
昔は元気な人だったのに・・・・・そんなことは言われたくないなぁ。

Posted by いとう茂 at 20:59│Comments(0)
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