2021年03月25日

思い出し遍路72

高松から琴電で長尾駅まで移動、いよいよ結願の日です。
長尾寺を左手に見て歩き出しました。
ルートは距離は長くなりますが車道を行くルートを選択しました。
女体山越えの山登りを避けての歩きです、途中まではどちらを
選択しても車道を歩くことになります。
2月の終わりで寒い時期ですが天気が良くリュックを背負っての
歩きは次第に汗ばんできます。
Tシャツの上に白い半襦袢を着ただけの服装ですが四国では
オールシーズンほぼこの服装で歩けます。

確か、この時は前泊ではなく当日に大津を出て、高松行きの
1番早いバスに乗っての遍路だったと思います。
歩き始めて6キロくらいでしょうか、お遍路交流サロンに立ち寄りました。
ここでは歩き遍路にだけここまで歩いてきた証の証書を発行
してくれます。
スポンサーが四国4県のロータリークラブになっていますので
年度の初めは7月1日でしょうか、私の証書番号は1800番
くらいだったと思います。
7月まで残り4か月、歩き遍路の数は2500名くらいになるのでしょうか。
証書とバッジをいただき少し休憩して、前にあるレストランで昼食、
食堂やコンビニうどん屋での昼食が多かったのですが、レストランと
名前がつく場所での食事は久しぶりでした。
この時はトンカツ定食を食べたのを覚えています、どうでもいいか。

ここから残りはおよそ10キロ、その日の宿泊は大窪寺の前にある
八十窪という民宿を予約していましたので、結願から歩く距離は
ほとんどありません。
最後の歩きだと思うと力が出ますが、寂しさも湧いてきます。
途中で何回か休憩したのも疲労からだけでなく、寂しさも加わって
いたのかもしれません。
仁王門の前で休憩、境内に入る前に気持ちを整えて・・・・・。
仁王門をくぐり大師堂を後回しにして本堂にお参り、それから大師堂に
戻って元気よく読経、四国88か所では最後の般若心経です。
納経所で御朱印をもらい結願です。
ここまで歩いてきた証明書が確か3000円で売られていました。
先ほどもらった遍路交流サロンの証明書とは比べ物にならないような
立派なものでしたが、心は動きませんでした。

お参りを済ませても大きな達成感がなかったのは、お大師さんが
修行が足りないからまだまだ回れと言われていたのか・・・・・。
八十窪の民宿のお婆さんの話を聞きながら夕食です。
ここの孫はソフトボールの選手で北京オリンピックで金メダルを獲得した
上野投手を肩車をしていたのは自分の孫だと自慢していました。
部屋の中にはたくさんの孫の写真が飾られて、お婆さんの自慢話も
延々と続きました。
次の日は、大窪寺から山道を下って徳島の切幡寺の入り口まで歩いて
そこから1番の霊山寺に結願報告です。
そしてその足で高速バスに乗り、難波から高野山へ向かいます。
結構時間的にタイトな移動になります。
思い出し遍路72

Posted by いとう茂 at 15:54│Comments(0)
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