2022年01月18日

相次いで亡くなりました

土曜日に40年以上懇意にしていた女性が亡くなったと知らせがありました。
娘が二人で上の娘は中学校の陸上部の1年後輩で、よく知っていましたし
下の娘は湖西線の沿線に住んでいて、嫁が時々商品を届けていました。
亡くなった女性は一人暮らしで、この3月で下の娘も仕事をやめて
一緒に暮らす矢先に亡くなりました。
毎日ほどうちの前の医者まで何とか歩いてきて診察が終わるとうちで休憩して、
帰りは嫁が車で送っていました。
「廊下でもいいからうちに泊めて」と何度も言っていたそうで、
ちょうどお袋が入院中でお袋の部屋が空いていますから、
泊めてあげようかと話をしてたこともありました。

体の具合が悪いと嫁に電話がかかり、直行して医者まで連れていく日も
何度かありましたし、毎日ほど弁当を作って差し入れでした。
お袋と年齢も近く、二人でよく話をしていました、認知症のお袋も
この女性のことはよくわかっているようで、会話がつながっており、
お袋よりも元気だったのでまさか急に亡くなるとは・・・・。
明るくて笑顔の絶えない女性でした。
えこーのスタッフもよく知っていて、亡くなったことを話すと「先週の水曜日に
車で送ってもらう時に話をしてたのに、あの時はまだまだ元気で、亡くなるとは・・・・」

もう一人は男性で、お袋と高校で同級生の人でした。
同じ商店街でしたのでこちらも40年以上前からの知り合いでした。
12月にえこーの広報紙を配っていて自宅の前を通りましたので、
様子を見に寄ろうかと考えたのですが、時間がなくて通過。
後悔先に立たずです。

この人とは商店街の理事長選びで、初めての選挙になりました。
理事長選びで選挙になったのは後にも先にもこれ1回です。
決選投票まで行って2票差で私が理事長に選ばれましたが、この人は
それまでに7期理事長を務め、再選されれば大津市の連盟の理事長が
内定していただけにずいぶん恨まれましたが、大津市の表彰を受けた後に
祝賀会を開催し、その時の仕切りを私がしてようやく雪解けでした。
理事長選挙から10年は経っていたと思います。
その後は親子ほど年の差がありましたので随分かわいがってもらいました。
信心深い人で毎年大峰山にお参りをして、いつも陀羅尼助とちょっとした
お土産をいただいていました。
太鼓の方も代表者を長く務めてもらい、お世話になっていました。
懇意にしていた周囲の人が相次いで亡くなり、次はお前のお袋の番だぞ、
仏さまがそうおっしゃっているのか・・・・。
寂しさにも慣れる時が来るのでしょうか。

Posted by いとう茂 at 15:42│Comments(0)
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