2022年02月26日

50年前は何をしていましたか


この前、ぼんやりと「人生100年かぁ」・・・そんなことを考えていて、
およそ10年ごとに過去を振り返っていました。
10年前は前職に就いて1年目で、毎日が勉強の日々でした。
唐崎にある総務省の研修施設で毎月1・2回は泊まり込みの研修にも
行っていたのを懐かしく思い出します。
20年前は2003年に大津市で開催した日本女性会議の総務部長として、
大会の予算を決めたり、いくつかある部会との話し合いで
市役所に通っていました。
商工会議所の青年部を卒業したのもこのあたりで、気のおけない友人から
「暇になったやろ、ちょっと手伝って欲しい」そんなことを頼まれたのが
事の始まりで、ちょっとどころか全面的に大会の開催を手伝う羽目になりました。
四国遍路を始めたのもこの時期でした。
まだ大津にパルコがあった頃で、紀伊国屋書店で気がつくと
お遍路の手記を手にしていた・・・・。
これが四国とのご縁の始まりです。
30年前は、商店街の理事長として忙しく動き回っていました。
幸いにも、商店の2世も多く青年部を立ち上げて、毎晩ほど集まり
「あれやろう」「これもやろう」と議論していた頃で、
今とは比較にならないほど活気がありましたし、考え方がすべて
前向きでした。商工会議所の青年部もこの時期に立ち上がりましたし、
和太鼓の石鹿太鼓の立ち上げも平成3年でした。
40年前、この時期の記憶が一番不鮮明で、下の娘が生まれた
ことぐらいしか残っていません。

そして50年前、高校2年生の時になります。
陸上で滋賀県で万年3位、どうしても勝てない選手が二人いて、
一時はクラブをやめようかとも考えましたが、気を取り直してこれでもかと
春の大会に向けて自分を鍛えた記憶があります。
この時期は冬季練習ですので、クラブが終わって着替えをするにも
腕がパンパンに張ってカッターのボタンがはめられない、
家に帰っても箸が握れずスプーンで晩ご飯を食べていました。
そんな努力をしたのですが、春の県大会は・・・・定位置の3位・・・・。
この半年後、練習の成果か神様のいたずらか、
高校最後の試合で勝てない選手に勝って滋賀県チャンピオン、
優勝メダルを胸にして陸上を卒業しました。
前の年の暮れからおよそ3年間は、これまで生きてきた中で
一番多くの手紙を書きました。
文通とかペンフレンドと言った言葉よりも、もっと重い気持ちが
自分の中にありました。
少し書く角度を変えていれば、違った形のご縁があったかもしれませんが、
新幹線も高速道路も未整備で携帯電話も普及していない時代、
メールやラインなど及びもつきませんでしたし、ちょっと日曜日に出かける、
そんな距離でもなく17歳の人間には、生きるとか生活に対する
知識も現実的な思考もなく、とにかく自分の中にある思いを
書き連ねることしかできませんでした。
ともあれ、違う形ですが今もご縁が続いていることに感謝です。

Posted by いとう茂 at 23:28│Comments(0)
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