2012年03月28日

惻隠だより 春号

2月議会の一般質問を中心に
編集を進めています。

議会だよりが発行されるのが、議会終了後、
1か月遅れのペースですのでそれまでには新聞折り込みで
地元中心にお届けできればと考えています。

原発の再稼働も始まりそうな気配ですが、
安全性の確保はどうなのか?
電力事情が夏場に逼迫するのは理解しますが、
私たちの生活には、何か不自由があってはいけないのでしょうか。

議員としてこのような発言は不謹慎と言われる
かもしれませんが、空腹感や飢餓感、寒さや
苦しさ、人の世のはかなさ、そうしたことを知っているから
その逆が理解できるのではないでしょうか。
ただ、苦しさなどを知っているから、戻りたくないと
今の生活にしがみつく人がいるのも事実ですが・・・・。

想定の範囲の外にある、電気がつかない、
蛇口をひねって水が出ない。
そうした時が来ないという保証はありません。

今でもアフリカでは盲腸で死ぬ人は多くいますし、
けがをして病院まで数時間かかり出血多量で
亡くなる人もいます。
道路が雨季でなくなることは1年の歳時記ですし
第一、自動車が普及していない村もたくさんあります。

日本はアフリカとは違いますから
そんな比較は無意味かもしれませんが、
東北と比べてどうでしょう。
今回の東日本大震災で被災された人の多くは、
非難所で生活をしています。
復旧、復興が進んでも、自分の家はもうない、
あっても帰ることのできない人もいます。

大震災の被害は、主に太平洋側でしたが、
年配の方の中には昭和の初めの秋田県、山形県を中心に
行われた女の子の身売りや口減らしのために
次男や三男は大農家の下男にならざるを得なかった
時代をご存知の方もあると思います。

それが普通の時代だったのかも知れませんし、
生きる知恵だったのかも知れません。
「おしん」に代表される世界です。

今、貧困層の増加で生活保護者が増え、
国をはじめ自治体の負担が右肩上がりです。

今後、人口減少の時代が到来すれば税収は落ち
負担だけが重く国民にのしかかります。

何か不自由に耐える暮らしを今から経験することは
決して無駄ではないと思います。

電気がつかない不自由は明かりや暖かさへの感謝に
なるでしょうし、ひもじさは今日いただく食事への感謝に
なります。
人といさかいを起こすことはありますが、
いさかいを起こす人がいることへの感謝を
感じる人は少ないものです。

良寛さんが、酒田かどこかの大火で
友人から災難から逃れる方法を聞かれたときに、
災難に会う時は災難に会うがよろしい、
死ぬ時には死ぬがよろしい。
これが災難から逃れる方法だと説いた。

もちろん、被災された方々にそのようなことは思っていませんが、
あるがままを受け入れる、仏教の教えでもあります。


今ある現状は永遠には続かない。
そのことを、私たちは知っているはずです。

惻隠だよりはどこに行ってしまったのか。
話が飛躍してしまいました。

Posted by いとう茂 at 16:00│Comments(0)
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