2012年04月06日
急かされて
経営コンサルタントの須田泰三さんの言葉に
「正しきにて滅びる店あらば 滅びてもよし
断じて滅びず」という名言があります。
若いころから、これを是とし商いをしてきました。
大型店の進出で吹き飛ばされた店も数多く、
果たして、須田語録が正解なのかと
戸惑った日々もありました。
朝早くから夜遅くまで働き、休みは盆と
正月だけ。
それで、やっと人並みの生活が送れる商人も
たくさん見てきました。
自分もその一人かも知れません。
商人にとっての正しさとは何でしょう。
適正価格での販売、正確な商品知識、
店はお客様のためにあるという自覚等々。
お客様にとっての正しさとは何か。
同じ品なら値が安い、同じ値なら品が良い、
真心のこもった接客態度等々。
言葉は違いますが、商人はが客様に発信している
ことと、お客様が商人に発信していることは
同じような気がします。
でも、それぞれが正確に伝わっていない。
全部の商人が正しいと言う気はありません。
二度と買い物に行くかという不快感を与える
店があることも事実です。
豊島の産業廃棄物と岩手県、宮城県のガレキ。
2月議会で豊島の産業廃棄物搬入反対の
請願、意見書に賛成しました。
つまり、産廃持込みに反対です。
しかし、東北のガレキを大津市が
受け入れることには賛成です。
もちろん、安全の確認後ですが・・・・。
産廃、ガレキの処分に賛成と反対、
意図的、人為的に廃棄された産廃と
自然発生的なガレキでは、たとえ同じ板切れ
コンクリート片であっても性格が違います。
放射能に汚染された地域が日本にあるという感覚
ではなく、放射能に汚染された日本に住んでいるという
事実を私たちは、もう、受け入れなければならない
時期に来ているのではないでしょうか。
そのことを踏まえて、福井県の原発の再稼働についても
考えなくてはならない。
スイッチを押すと明かりがつく。
その当たり前の仕掛けの裏には何があったのか
私たちは知っていたはずです。
便利さをお金で買っていたとは思いませんか。
また、便利さはお金で買えると思っていたのではありませんか。
安全性よりも便利さを優先して構築された日本。
身近なところでは、胸の携帯電話。
こいつを持っているので、わざわざ公衆電話や会社の電話から
通話をしなくて済みます、電話帳をめくる手間も省けます。
結果、24時間の中でどれだけ空き時間ができたでしょう。
ゆとりと言ってもいいかもしれません。
それがどれだけ増えたでしょう。
きっと、ゆとりの増えた人は少なく、携帯を家に
忘れでもしょうなら不安になる人ばかりかもしれません。
便利になるとはズボラになることでもあります。
不便を知らないのに便利を追求した面はなかったか。
真の便利さとはなんでしょう。
照己却下。看却下とも言います。
何事につけ身の丈を知ることは大切なこと
だと思います。
今、見据えないと、しっかり足元を見据える時も
もうすぐ過ぎていくかもしれません。
そうなっては遅すぎます。
即今只今の精神をお忘れなく。
取り留めのない文章になってしまいました。
あんたが急かすからやで・・・・。
「正しきにて滅びる店あらば 滅びてもよし
断じて滅びず」という名言があります。
若いころから、これを是とし商いをしてきました。
大型店の進出で吹き飛ばされた店も数多く、
果たして、須田語録が正解なのかと
戸惑った日々もありました。
朝早くから夜遅くまで働き、休みは盆と
正月だけ。
それで、やっと人並みの生活が送れる商人も
たくさん見てきました。
自分もその一人かも知れません。
商人にとっての正しさとは何でしょう。
適正価格での販売、正確な商品知識、
店はお客様のためにあるという自覚等々。
お客様にとっての正しさとは何か。
同じ品なら値が安い、同じ値なら品が良い、
真心のこもった接客態度等々。
言葉は違いますが、商人はが客様に発信している
ことと、お客様が商人に発信していることは
同じような気がします。
でも、それぞれが正確に伝わっていない。
全部の商人が正しいと言う気はありません。
二度と買い物に行くかという不快感を与える
店があることも事実です。
豊島の産業廃棄物と岩手県、宮城県のガレキ。
2月議会で豊島の産業廃棄物搬入反対の
請願、意見書に賛成しました。
つまり、産廃持込みに反対です。
しかし、東北のガレキを大津市が
受け入れることには賛成です。
もちろん、安全の確認後ですが・・・・。
産廃、ガレキの処分に賛成と反対、
意図的、人為的に廃棄された産廃と
自然発生的なガレキでは、たとえ同じ板切れ
コンクリート片であっても性格が違います。
放射能に汚染された地域が日本にあるという感覚
ではなく、放射能に汚染された日本に住んでいるという
事実を私たちは、もう、受け入れなければならない
時期に来ているのではないでしょうか。
そのことを踏まえて、福井県の原発の再稼働についても
考えなくてはならない。
スイッチを押すと明かりがつく。
その当たり前の仕掛けの裏には何があったのか
私たちは知っていたはずです。
便利さをお金で買っていたとは思いませんか。
また、便利さはお金で買えると思っていたのではありませんか。
安全性よりも便利さを優先して構築された日本。
身近なところでは、胸の携帯電話。
こいつを持っているので、わざわざ公衆電話や会社の電話から
通話をしなくて済みます、電話帳をめくる手間も省けます。
結果、24時間の中でどれだけ空き時間ができたでしょう。
ゆとりと言ってもいいかもしれません。
それがどれだけ増えたでしょう。
きっと、ゆとりの増えた人は少なく、携帯を家に
忘れでもしょうなら不安になる人ばかりかもしれません。
便利になるとはズボラになることでもあります。
不便を知らないのに便利を追求した面はなかったか。
真の便利さとはなんでしょう。
照己却下。看却下とも言います。
何事につけ身の丈を知ることは大切なこと
だと思います。
今、見据えないと、しっかり足元を見据える時も
もうすぐ過ぎていくかもしれません。
そうなっては遅すぎます。
即今只今の精神をお忘れなく。
取り留めのない文章になってしまいました。
あんたが急かすからやで・・・・。
Posted by いとう茂 at 14:44│Comments(0)