2012年11月21日
木を植える
さあちゃん様、拙いブログにコメントありがとうございました。
参考になるものがあれば幸いです、今後ともよろしくお願いします。
もう一人コメントをいただきましたが、お名前が分かりません。
因果についてご意見をいただきありがとうございました。
私が抱えている因業は親や先祖から受け継いだものと、
私の前世から引き継がれたものがあるということでしょうか。
生まれかわりについては異論はありません。
人間に生まれたのもご縁なら鳥に生まれるのも
ご縁だと思いますし、私の来世が犬や猫あるいは雑草
であるかもしれないと考える時がありますし、
今預かっている命が果てて、何百年も生まれかわる
ことがない気もしますし、彼岸に渡ったらすぐにこの世の
どこかで生まれかわっているのかも知れないと思います。
右衛門の子ども8人が前世ですべて早死にする悪行を
はたらいて右衛門のもとに生まれ変ったのかは、私にも
分かりませんが、もしそうだと仮定すると、死ぬ間際に
お大師に会え救われた右衛門の悪行の方が
軽かったのかなどと勘ぐってしまいます。
すべての人が親や先祖からの因業と、自らの前世の
因業を宿業として無意識に背負って生きていると考える時、
より良い因業を来世につなぐにはどうすればいいのか。
百年の計は気を植えること。
そうした地道な作業しかないのでしょうか。
それを奉仕と呼んだりしますが、
自分の人生の中で正しさのみでは生きられない部分を
認識するが故の罪滅ぼしとも言えそうです。
私一人が、自分は救われなくてもいいと開き直っても
私が周囲にかける迷惑が来世の誰かに引き継がれると
考える時、自分は自分であっても自分ではない、
借り物の自分がいることに気付かされますが、
私が背負っている前世の誰かの因業を少しでも減らして
来世の誰かに引き継ぐのが仕事だと考えれば
生き方も見えてきますが、その通り生きられず、
来世への因業を増やしている自分が時にいます。
それを煩悩というのでしょうか。
何か取り留めのない話になってしまいました。
さぁ、研修です、因業が増えるか減るかわかりませんが、
知識という引き出しだけは増やしておかないと・・・・。
参考になるものがあれば幸いです、今後ともよろしくお願いします。
もう一人コメントをいただきましたが、お名前が分かりません。
因果についてご意見をいただきありがとうございました。
私が抱えている因業は親や先祖から受け継いだものと、
私の前世から引き継がれたものがあるということでしょうか。
生まれかわりについては異論はありません。
人間に生まれたのもご縁なら鳥に生まれるのも
ご縁だと思いますし、私の来世が犬や猫あるいは雑草
であるかもしれないと考える時がありますし、
今預かっている命が果てて、何百年も生まれかわる
ことがない気もしますし、彼岸に渡ったらすぐにこの世の
どこかで生まれかわっているのかも知れないと思います。
右衛門の子ども8人が前世ですべて早死にする悪行を
はたらいて右衛門のもとに生まれ変ったのかは、私にも
分かりませんが、もしそうだと仮定すると、死ぬ間際に
お大師に会え救われた右衛門の悪行の方が
軽かったのかなどと勘ぐってしまいます。
すべての人が親や先祖からの因業と、自らの前世の
因業を宿業として無意識に背負って生きていると考える時、
より良い因業を来世につなぐにはどうすればいいのか。
百年の計は気を植えること。
そうした地道な作業しかないのでしょうか。
それを奉仕と呼んだりしますが、
自分の人生の中で正しさのみでは生きられない部分を
認識するが故の罪滅ぼしとも言えそうです。
私一人が、自分は救われなくてもいいと開き直っても
私が周囲にかける迷惑が来世の誰かに引き継がれると
考える時、自分は自分であっても自分ではない、
借り物の自分がいることに気付かされますが、
私が背負っている前世の誰かの因業を少しでも減らして
来世の誰かに引き継ぐのが仕事だと考えれば
生き方も見えてきますが、その通り生きられず、
来世への因業を増やしている自分が時にいます。
それを煩悩というのでしょうか。
何か取り留めのない話になってしまいました。
さぁ、研修です、因業が増えるか減るかわかりませんが、
知識という引き出しだけは増やしておかないと・・・・。
Posted by いとう茂 at 11:23│Comments(1)
この記事へのコメント
メーテルリンクの「青い鳥」に、生まれてすぐ病気で死ぬ運命の、未来の子供の話が出てきます。
子供が死に、業を積む人もあり、業を雪ぐ人もあり、その運命を与える為に、死ぬ子供も、
前世の業を雪ぐ為か、積む為かに苦しい運命を、、生まれて来るのかも知れません。
健康に生まれて、成人する子に恵まれても、その子の為に、業を積む自分に、愕然とする時もあります。
ごくわずか、健常者に及ばない子供に、苛立ち、悩み、欲を出す自分に、日々、自問自答しています。
子供が死に、業を積む人もあり、業を雪ぐ人もあり、その運命を与える為に、死ぬ子供も、
前世の業を雪ぐ為か、積む為かに苦しい運命を、、生まれて来るのかも知れません。
健康に生まれて、成人する子に恵まれても、その子の為に、業を積む自分に、愕然とする時もあります。
ごくわずか、健常者に及ばない子供に、苛立ち、悩み、欲を出す自分に、日々、自問自答しています。
Posted by さあちゃん at 2012年11月22日 09:24