2013年02月08日

原稿もあった…

昨日は別保の方で火事が発生し、残念なことに
女性が亡くなられました。
昨年は膳所学区での火災発生はゼロだったので
喜んでいたのですが、最悪の事態になってしまいました。
心よりご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。

泥棒なら持てるだけか車に積めるだけの財産しか持っていきませんが、
火災は根こそぎ築いた財産を奪っていきます。
まして、寒い時期の火災となれば、心だけでなく体へのダメージも倍加します。
地震や大雨の防災、減災に加えて人災ともいえる火災にも備えを怠らないよう
日頃から火のもとには十二分に注意を払いたいものです。

一般質問のために調べ物をしていて、アッ!と思いだしたことがありました。
冊子に掲載する原稿を書かないといけなかった・・・・・。

台湾に慰霊碑を建てるという事業のことを原稿にしなければなりません。
下書きのつもりで書いてみます。

台湾の南部にバシー海峡があります。
昭和19年からフィリピン決戦のために中国大陸から
多くの日本兵が台湾に集められ、南方に送られましたが、
このバシー海峡でアメリカ軍の潜水艦に待ち伏せされ、
5,000トン以上の艦船200隻、軍人、軍属を含めて25万人が
亡くなっています。

近くの恒春半島に漂着した遺体は15,000人とも20,000人とも言われています。
そうした遺体を台湾の人たちが丁重に弔ったといいます。

昭和56年に中嶋秀次という方が私財を投げ打ち恒春半島の
猫鼻頭(まおびとう)に潮音寺という寺を建て慰霊の寺としました。

中嶋さんも実は玉津丸という10,000トンの輸送船に乗っていましたが
潜水艦の攻撃で沈没したあと12日間漂流して救助されたという
経験をお持ちの方で、5,000人の乗組員で生存者は6名ということでした。

昭和56年当時、台湾の土地は台湾人しか買えなかったために、
中嶋さんは戦友であった台湾の人にお願いしてその人名義で土地を買い
潮音寺を建てたのですが、書面でのやり取りをしていませんでした。

それでも、その戦友は一生懸命に潮音寺を管理してくれますが、
彼が亡くなり、息子の代になると寺を売ると言いだし、裁判になりますが、
証拠となる書類がなく寺は身売りの危機に瀕します。

公判では関係者の証言等から昨年11月に判決が出て寺も土地も
中嶋さんが、資金を出して建立したものと認められました。
しかし、長期にわたって放置された寺は荒れ放題、仏具や仏像も
盗まれており、これから出直しという状態です。

その境内に福井のロータリークラブが慰霊碑を建立し
さらなる平和を願うとともに台湾との親交の証しとしたい。
そういう事業を実施されようとしています。

今は中東からタンカーが日本に原油を運ぶ航路になっている
バシー海峡ですが海底には現在でも数えきれない遺骨と200隻を超える
艦船が眠っていることはほとんど知られていません。

と書いてみましたが、これはボツになりそうです。
原稿はボツになっても皆さんの心にバシー海峡のことと
平和の大切さが残りますよう・・・・・。

Nさんいつもありがとうございます。
強く背中を押していただいたと思っています。
かませるかどうかは別ですが、理にのっとり、情にのっとった
質問を行い少しでも良い街になるよう努力していきます。

これからもよろしくお願いします。

Posted by いとう茂 at 12:20│Comments(0)
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