2013年02月16日
生き物 食べ物 弱き物1
池で金魚を飼っています。
とは言っても一匹何万円もする高価な金魚ではなく
10センチ余りの緋ブナ3匹と出目金一匹です。
時々餌をやるのですが冬場は活性が悪く
それこそボチボチ食べています。
子どもの頃からこの池はありますが、今まで何匹の金魚や魚を
飼ってきたでしょう。
何百という生き物がこの池で泳ぎ、そして死んでいきました。
夏場酸欠で死んだのもいれば冬場の寒さに耐えられず死んだの、
急な大雨で池から飛び出して死んだの、カラスやサギにさらわれたの
猫にやられたのと死んだ理由は様々ですが、
この池にいなければ死なずにいた生き物がいたことは確かです。
私が執行部で議員から、あなたは池の生き物の死で何を学び、
そのことを、その後の人生にどう生かしましたか?
そんな質問をされたらどう答えればいいのか・・・・・・。
この前テレビで狩猟免許を持つ人が減っているというニュースが
流れていました、特に若い人の割合が低く、この先の駆除に係る
人が激減することに対して危機感をつのらせているというものでした。
昔、狩猟は自分たちが食べる分だけとり、親子のクマや冬眠中のクマは
撃たなかったそうです。
命を奪われるかもしれないクマと共生してお互いの命を保ってきた知恵に
感動しました。
山手の開発が進み、里山が荒廃して、山に生きるシカやイノシシ、サル、クマ
たちは行き場を失い餌がある里に下りてくるようになりました。
そこには野菜や果物がふんだんにある。
彼らにはそれが人間が汗を流し、時間とお金をかけて作ったことなど
知る由もありません。
人間が彼らのテリトリーを破壊したのに彼らが人間のテリトリーに入ると
彼らは個体の名称ではなくひとくくりで害獣と呼ばれる。
雑草と野草の区別は人間が管理する土地に生えるのが雑草で
人間の管理が及ばない土地に生えるのが野草だそうです。
日本から狼がいなくなり生態系の変化があったことは、多くの人が
知る所ですが、狩猟を生業として生きる人の激減も生態系の変化に
かかわっています。
そして開発も・・・・。
子どもの頃生き物は人間に食べられるために捕まえられ死んでいく。
人間はそんな生き物の命をいただいて生きている。
食事の前にいただきますというのは死んでいった生き物に感謝する
ためで、私たちは死んでいった生き物の分まで生きなければいけない。
そんな話を聞いた記憶があります。
人間以外の動物や植物は全て生き物で者は人間にしか使いません。
害獣の駆除は全国で行われていますがそれが食べ物にかわることは
少なく、たいていは焼却か土に埋められると言います。
人間の利益確保のためには邪魔ものなのです。
野菜や果物は人間が栽培するものですが、牛や豚以外の動物は
ほとんど自然界にいるものですし、魚もハマチやタイなど養殖されて
いるもの以外は海に泳いでいるものを漁でとってくるものです。
当たり前の日常生活の中の出来事なのですが、害獣を駆除しなければ
いけないのなら、せめて害獣をシカとして、イノシシとしていただく覚悟も
必要ではないかという思いがあります。
一部の地域ではまちおこしの一環としてそうした動物の肉を販売している
所がありますが、まだまだ少数です。
弱いものが生き延びるには知恵が入ります。
何も知らずに餌につられて里に出没する動物を弱いものとするか
武器を持たない素手の人間を弱いものとするか
判断が分かれるところかもしれませんが、
時に武器を手にして害獣駆除をする人間には、駆除した生き物の
命をいただく義務もありそうな気がします。
それが弱い者の知恵ではないかと・・・・・。
とりとめがない話になってしまいました。
もう一度整理して次にはわかりやすいブログにします。
とは言っても一匹何万円もする高価な金魚ではなく
10センチ余りの緋ブナ3匹と出目金一匹です。
時々餌をやるのですが冬場は活性が悪く
それこそボチボチ食べています。
子どもの頃からこの池はありますが、今まで何匹の金魚や魚を
飼ってきたでしょう。
何百という生き物がこの池で泳ぎ、そして死んでいきました。
夏場酸欠で死んだのもいれば冬場の寒さに耐えられず死んだの、
急な大雨で池から飛び出して死んだの、カラスやサギにさらわれたの
猫にやられたのと死んだ理由は様々ですが、
この池にいなければ死なずにいた生き物がいたことは確かです。
私が執行部で議員から、あなたは池の生き物の死で何を学び、
そのことを、その後の人生にどう生かしましたか?
そんな質問をされたらどう答えればいいのか・・・・・・。
この前テレビで狩猟免許を持つ人が減っているというニュースが
流れていました、特に若い人の割合が低く、この先の駆除に係る
人が激減することに対して危機感をつのらせているというものでした。
昔、狩猟は自分たちが食べる分だけとり、親子のクマや冬眠中のクマは
撃たなかったそうです。
命を奪われるかもしれないクマと共生してお互いの命を保ってきた知恵に
感動しました。
山手の開発が進み、里山が荒廃して、山に生きるシカやイノシシ、サル、クマ
たちは行き場を失い餌がある里に下りてくるようになりました。
そこには野菜や果物がふんだんにある。
彼らにはそれが人間が汗を流し、時間とお金をかけて作ったことなど
知る由もありません。
人間が彼らのテリトリーを破壊したのに彼らが人間のテリトリーに入ると
彼らは個体の名称ではなくひとくくりで害獣と呼ばれる。
雑草と野草の区別は人間が管理する土地に生えるのが雑草で
人間の管理が及ばない土地に生えるのが野草だそうです。
日本から狼がいなくなり生態系の変化があったことは、多くの人が
知る所ですが、狩猟を生業として生きる人の激減も生態系の変化に
かかわっています。
そして開発も・・・・。
子どもの頃生き物は人間に食べられるために捕まえられ死んでいく。
人間はそんな生き物の命をいただいて生きている。
食事の前にいただきますというのは死んでいった生き物に感謝する
ためで、私たちは死んでいった生き物の分まで生きなければいけない。
そんな話を聞いた記憶があります。
人間以外の動物や植物は全て生き物で者は人間にしか使いません。
害獣の駆除は全国で行われていますがそれが食べ物にかわることは
少なく、たいていは焼却か土に埋められると言います。
人間の利益確保のためには邪魔ものなのです。
野菜や果物は人間が栽培するものですが、牛や豚以外の動物は
ほとんど自然界にいるものですし、魚もハマチやタイなど養殖されて
いるもの以外は海に泳いでいるものを漁でとってくるものです。
当たり前の日常生活の中の出来事なのですが、害獣を駆除しなければ
いけないのなら、せめて害獣をシカとして、イノシシとしていただく覚悟も
必要ではないかという思いがあります。
一部の地域ではまちおこしの一環としてそうした動物の肉を販売している
所がありますが、まだまだ少数です。
弱いものが生き延びるには知恵が入ります。
何も知らずに餌につられて里に出没する動物を弱いものとするか
武器を持たない素手の人間を弱いものとするか
判断が分かれるところかもしれませんが、
時に武器を手にして害獣駆除をする人間には、駆除した生き物の
命をいただく義務もありそうな気がします。
それが弱い者の知恵ではないかと・・・・・。
とりとめがない話になってしまいました。
もう一度整理して次にはわかりやすいブログにします。
Posted by いとう茂 at 15:09│Comments(1)
この記事へのコメント
こんばんは
このニュース見ました。
猟銃を扱える人が減っている事実は、息子の命の関わるので、考えさせられます。
息子は、北海道で土木調査の会社にいます。ヒグマの出る山で、調査します。
会社や業者の決まりらしく、クマがいると分かると、猟友会の方にお願いするのですが、
スケジュールが合わず、大変だそうです。
その内、自分で鉄砲を担ぎかねない性格の子で、心配してましたが、
仕事柄そうなっても、仕方が無いかも、と考えるようになりました。
ヒグマも、来たくて人里に来る訳では無いのでしょうが、人間が山を切り開き続ける限り、
命を懸けてのやり取りが、起こってしまうのでしょう。
人は、どこまで便利を求める事が許されるのでしょう。
良い道を安全に通るためと言いながら、どこかで、自然に無理を強いている気がします。
このニュース見ました。
猟銃を扱える人が減っている事実は、息子の命の関わるので、考えさせられます。
息子は、北海道で土木調査の会社にいます。ヒグマの出る山で、調査します。
会社や業者の決まりらしく、クマがいると分かると、猟友会の方にお願いするのですが、
スケジュールが合わず、大変だそうです。
その内、自分で鉄砲を担ぎかねない性格の子で、心配してましたが、
仕事柄そうなっても、仕方が無いかも、と考えるようになりました。
ヒグマも、来たくて人里に来る訳では無いのでしょうが、人間が山を切り開き続ける限り、
命を懸けてのやり取りが、起こってしまうのでしょう。
人は、どこまで便利を求める事が許されるのでしょう。
良い道を安全に通るためと言いながら、どこかで、自然に無理を強いている気がします。
Posted by さあちゃん at 2013年02月16日 19:33