2013年09月12日
山川草木悉有仏性
山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)
字が違っているかもしれません、どんなものにも慈悲の心がある。
どんなものにも仏様が宿っている。
そう解釈しています。慈悲とは慈、苦を抜き、悲、楽を与える
という意味ですが、どんなものも無駄なものはないということでしょう。
河原の石ころでも道端の雑草でも、美しく着飾った人間も
すべてに慈悲が宿っているということでしょうか。
悉有とはことごとくあるということです。
導き出される教訓は、この世にあるものに上下はない、
人間に生まれたことに感謝しなさい、比較することはやめなさい、
全てもものは極楽浄土に行ける・・・・・
自分勝手な解釈です、お釈迦さんに叱られそうですが。
昨日お風呂に浸かって考えていたことです。
一晩寝て歩留りが悪い部分はご容赦を・・・・・。
昨日は一般質問に立ちました、湯船につかっていて、
質問する者は挙手をして「議長、4番」と議席の番号を言います。
議長は「4番、伊藤茂議員」と指名し質問が始まります。
その声が頭の中で聞こえてきて、伊藤茂、
子どもの頃親父にどうして茂とつけたのか訊ねたことがありました。
返ってきた答えは、総理大臣が吉田茂だったのと巨人の監督が
水原茂だったからというものでした。
名前負け・・・・・。
吉田茂は何となくわかったのですが、水原茂はピンとこませんでした。
調べると巨人の選手でそれから巨人の監督になった人でした。
しかし、私が生まれた昭和29年は2位で優勝していません。
結構ミーハーな決め方だと思いますが、野球は巨人のファンですし、
戦後の復興期に活躍した吉田茂は好きな政治家ですし、
自分もこうして政治家の末席を汚す立場にいます。
名は体をあらわすのかと感じていました。
そこまでは前段で、ボーとした中で、人間は赤ちゃんとして
生まれてきて仏さんになって死んでいく、その間に親に名前を付けてもらい
私なら伊藤茂を演じているのだろうと思っていました。
生きているうちにお釈迦さんは私に何を求めているのだろう。
自分がかかわっている団体や組織、それぞれに目的があり、
そのために活動をしている。
私なら、いとう呉服店代表、大津市議会議員、大津商工会議所常議員
大津保護地区保護司、父、夫、祖父・・・・・。
今の役割や肩書はすべて借りものであることに気が付きました。
つまりいつかは無くなるか返さないといけない物なのです。
いとう呉服店を例にとると娘二人は後を継ぐ意思がないので、
私の代でなくなります。
目的はお客様に喜んでもらえる商品の提供、私の生きる糧を稼ぐ手段、
社会的な信用を高める部分もあるでしょう。
目に見えるもののほかに、人間としての高みを目指すものを
どう吸収するか、それでいとう呉服店の代表の厚みや深み、幅が
決まり、代表として名演技だったか、大根だったかが決まります。
ついで、大津市議会議員、目的は市民のために何をしたかです。
何ができるかとか何がしたいでは目的になりません、
報酬をいただく以上生きる糧を稼ぐ手段、ほぼ、いとう呉服店と
変わりないことに気付きました。
目に見えないもの行政知識もあるでしょう、決断力もあるでしょう。
ここでも人間の幅などが決まります。
他の仕事もよく似たようなものでしょう。
そうしてある時間演じた役が終わった時にそこで得たものが
一生演じる伊藤茂の厚みなどになっていきますが、
それをどう生かすか、誰に、どこで、どうして・・・・
5W1Hではないのですが、ここで、中島みゆきの命の別名の
フレーズが流れてきました。
「何にもなれずに消えていく、、僕がいることを
歓ぶ人がどこかにいてほしい」
そうかもしれない、立派なことを言うよりも
誰かを喜ばせることが出来たらそれでいいのかもしれない。
誰かを救うとか誰かに教えるとか誰かを諭すとか
それも大切かも知れないけれど、伊藤茂を演じきって
お葬式の日に誰かが拍手をしてくれたら、誰かがありがとうと言ってくれたら、
たった一人だけでも苦を抜き楽を与えた人がいたなら。
おーよしよし、あの人は喜んでいたぞ、と、言って
お釈迦さんは仏様にして下さる?・・・・・
他にもあった気がしますので思い出したら続きを書きます。
くだらないことですが……。
字が違っているかもしれません、どんなものにも慈悲の心がある。
どんなものにも仏様が宿っている。
そう解釈しています。慈悲とは慈、苦を抜き、悲、楽を与える
という意味ですが、どんなものも無駄なものはないということでしょう。
河原の石ころでも道端の雑草でも、美しく着飾った人間も
すべてに慈悲が宿っているということでしょうか。
悉有とはことごとくあるということです。
導き出される教訓は、この世にあるものに上下はない、
人間に生まれたことに感謝しなさい、比較することはやめなさい、
全てもものは極楽浄土に行ける・・・・・
自分勝手な解釈です、お釈迦さんに叱られそうですが。
昨日お風呂に浸かって考えていたことです。
一晩寝て歩留りが悪い部分はご容赦を・・・・・。
昨日は一般質問に立ちました、湯船につかっていて、
質問する者は挙手をして「議長、4番」と議席の番号を言います。
議長は「4番、伊藤茂議員」と指名し質問が始まります。
その声が頭の中で聞こえてきて、伊藤茂、
子どもの頃親父にどうして茂とつけたのか訊ねたことがありました。
返ってきた答えは、総理大臣が吉田茂だったのと巨人の監督が
水原茂だったからというものでした。
名前負け・・・・・。
吉田茂は何となくわかったのですが、水原茂はピンとこませんでした。
調べると巨人の選手でそれから巨人の監督になった人でした。
しかし、私が生まれた昭和29年は2位で優勝していません。
結構ミーハーな決め方だと思いますが、野球は巨人のファンですし、
戦後の復興期に活躍した吉田茂は好きな政治家ですし、
自分もこうして政治家の末席を汚す立場にいます。
名は体をあらわすのかと感じていました。
そこまでは前段で、ボーとした中で、人間は赤ちゃんとして
生まれてきて仏さんになって死んでいく、その間に親に名前を付けてもらい
私なら伊藤茂を演じているのだろうと思っていました。
生きているうちにお釈迦さんは私に何を求めているのだろう。
自分がかかわっている団体や組織、それぞれに目的があり、
そのために活動をしている。
私なら、いとう呉服店代表、大津市議会議員、大津商工会議所常議員
大津保護地区保護司、父、夫、祖父・・・・・。
今の役割や肩書はすべて借りものであることに気が付きました。
つまりいつかは無くなるか返さないといけない物なのです。
いとう呉服店を例にとると娘二人は後を継ぐ意思がないので、
私の代でなくなります。
目的はお客様に喜んでもらえる商品の提供、私の生きる糧を稼ぐ手段、
社会的な信用を高める部分もあるでしょう。
目に見えるもののほかに、人間としての高みを目指すものを
どう吸収するか、それでいとう呉服店の代表の厚みや深み、幅が
決まり、代表として名演技だったか、大根だったかが決まります。
ついで、大津市議会議員、目的は市民のために何をしたかです。
何ができるかとか何がしたいでは目的になりません、
報酬をいただく以上生きる糧を稼ぐ手段、ほぼ、いとう呉服店と
変わりないことに気付きました。
目に見えないもの行政知識もあるでしょう、決断力もあるでしょう。
ここでも人間の幅などが決まります。
他の仕事もよく似たようなものでしょう。
そうしてある時間演じた役が終わった時にそこで得たものが
一生演じる伊藤茂の厚みなどになっていきますが、
それをどう生かすか、誰に、どこで、どうして・・・・
5W1Hではないのですが、ここで、中島みゆきの命の別名の
フレーズが流れてきました。
「何にもなれずに消えていく、、僕がいることを
歓ぶ人がどこかにいてほしい」
そうかもしれない、立派なことを言うよりも
誰かを喜ばせることが出来たらそれでいいのかもしれない。
誰かを救うとか誰かに教えるとか誰かを諭すとか
それも大切かも知れないけれど、伊藤茂を演じきって
お葬式の日に誰かが拍手をしてくれたら、誰かがありがとうと言ってくれたら、
たった一人だけでも苦を抜き楽を与えた人がいたなら。
おーよしよし、あの人は喜んでいたぞ、と、言って
お釈迦さんは仏様にして下さる?・・・・・
他にもあった気がしますので思い出したら続きを書きます。
くだらないことですが……。
Posted by いとう茂 at 12:49│Comments(0)