2014年03月18日

言志四録より

言志四録の中に「晦におる者は能く顕を見、顕による者は晦を見ず」
という言葉があります、晦(かい)とは暗いという意味で顕は明るいという意味です。

暗い所にいる人間は明るい所を見ることができるが、
明るい所にいる人間は暗い所を見ることはできない。

そういった解釈ですが、本書の解説では、
下から上はよく見えるが、上から下は見えにくい、ということで、
上に立つ者の行動はみんな下の者が見ているぞ、と注意を促す
言葉として解する。

だが、こんな解釈はどうか。
「ゾウは踏んだアリのことなど分からない」という言葉もあるように、
上に立つ者(権力者)の、この目配り気配りのなさが差別の始まりを
作っているのではないだろうかと。


リーダーの仕事は「決めること」「まとめること」「繋ぐこと」
これは持論ですが、人事や給料を決めるのもトップの仕事です、
適材適所ということは人間関係も熟知していないと
仕事の適正だけでは不十分のように感じます。

安易にこの分野はこの人と決められて長年同じポストにとどめられる
人もいますが、他に向いている部署はないか、見直すのも
トップの仕事だと思います、トップの器以上に会社は大きくならないと
いわれますが、部下を信頼し部下の器も会社の器とするトップが
まとめることができるトップでしょうし、まとまることで互いに刺激し合い、
自分の力以上の力を出すのが人間です。

社員の進言を聞かずに裸の王様になって消えていった会社も知っていますし、
社員の入れ替わりが激しい会社も知っています。
部下とうまく協調して部下のやる気を引き出し業績を伸ばしている
会社も知っています。

辞めるとは舌が辛いと書きます。
功成り名を遂げての勇退や定年退職なら違う感もあるでしょうし、
不注意で会社に大きな損害をもたらした場合も別ですが、
仕事や年齢も中途半端なところで辞める者の気持ちは、
同じ経験をしたものでしかわからない部分があると思います。

心を残して辞めるというのは舌が辛いものでしょう。
同じ辛さが辞めさせる側にもあれば辞める者も少しは
救われるのでしょうか。

会社のためを思っての発言が社長の逆鱗に触れ左遷される、
やってられるかと勢いで会社を飛び出す人もいれば、諦めて
ただ食い扶持を稼ぐ手段として与えられた分だけ働く人もいるでしょう。
どちらも会社にとっては大きな損害です。

辞めてもいいよと言わんばかりの左遷は人を人として扱わず、
消耗品として見ている証しではないでしょうか。

社長に進言して処分されたら、私なら「猫に小判」、
値打ちのわからない猫に小判をやった自分が
愚かだったと思うかもしれません。

角突き併せての人間関係からは信頼という芽は出てこないと思います。
先人が残した言葉や文献に素直に従ってみる、受け入れてみる。
目の前の人が言っているよりスッと心に入ってくるはずです。

間違うのが人間ですし、負けるのが人間です。
間違わないよう努力するのも人間ですし、負けないよう鍛錬するのも人間です。


今日は幼稚園の卒園式でした。
富士見幼稚園に行って議長の祝辞の代読を行いました。
幼稚園の祝辞は小学校に比べると短くていいのですが、
園児が聞いて何となく意味が分かったとしても議長の意味は
分からないでしょう、それと、地元の関係団体の来賓の紹介も
おじいさんやおばあさんが来ている、くらいにしか理解していない気もします。

祝辞や来賓紹介をやめようとは言いませんが・・・・・。
自分に置き換えたらたぶん席を立って走り回り、後ろから
先生が追いかけている姿しかイメージしないもので・・・・・。

今日の子どもは私と違いみんな行儀が良くて安心しました。

その後12時から例会に出席してきました。
これから4時までは時間がありますが、4時からは3月特別会議です。
国の補正予算の関係で26年度事業の前倒しがあり
その事業の審議が主な特別会議です。
明日は小学校の卒業式、そして3月特別会議、
この時期は出会いと別れ、冬物と春物の入れ替え・・・。
何かと多忙です。




Posted by いとう茂 at 14:18│Comments(0)
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