2014年03月23日
日曜日企画①
比較的時間がとれる日曜日に気分転換も兼ねて
勝手な文章を思いつくままに綴ります。
この物語は架空のもので登場する企業、人物等は
実在するものではありません。
続投を訴えていた社長を、高齢、病弱を理由に
株主が結束してその座から引きずり降ろした。
後任に選ばれたのは内部昇格ではなく外部から来た
40歳のサラリーマンでした。
風聞では、ある女性国会議員の大学の先輩のご主人という
事で経歴等詳しいことは分からずじまいで、社員にしてみれば、
まさに青天の霹靂というしかありませんでした。
前社長は70歳手前で部長にしても前社長より年下で
それなりにバランスがとれていたが、新しい社長は課長連中よりも
若く、年齢的な不安は誰もが感じていました。
社長就任のあいさつでは、この会社は元気がない、
物を売る仕事をしているのだから笑顔あふれる対応で
お客様に接し喜んでもらえる社風を作りたい、とぶち上げましたが、
社員の反応はいま一つだった、というのもほとんどの社員は
自分たちの仕事に誇りと使命感を持ち、
明るく積極的に業務に励んでいるという自負があり、
業績も安定していたからです。
正規、非正規の社員合わせて4,000人を超える地域では一番の
企業で明治時代の創業で創立も115年を超えている老舗企業だ。
役員も社外取締りに加えて外部監査も何人かおり、大学生にとっても
地域で就職するならこの会社と、人気も高いものがありました。
これには、先々代の社長の功績が大きく、10年近く前に
故人となったが、今でもこの社長を慕う社員は多くいた。
何しろ先々代はこの会社に奉職して40年、その後社長を25年、
まさにこの会社一筋で生き字引ともいえる存在で、部長連中の
新入社員の頃から知っている存在でした。
社員食堂で社員と一緒に食事をするのが恒例で、倉庫から事務は言うに及ばず、
清掃の外部の人や守衛にも気軽に声を掛け、職員だけでなく
市民からも差し入れや内輪の宴会に誘われることもしばしばで、
誰からも気楽な社長として慕われていましたが、
時には鬼より厳しく時にはえびす様よりにこやかで
飴と鞭の使い方はこの人の右に出る者はいませんでした。
そんなわけで社長は社員や役員はもちろんのこと、地域の経済団体や
地域団体の人たちからも慕われて、地元ではいくつもの役職を
兼任していました。
社長が多くの人に慕われていたエピソードがあります。
病気を理由に社長職を退き先代の社長に、その席を譲ったのだが、
その社長がなくなってすぐに、若手の社員から「玄関横に銅像を建てたい」
という声が上がり、早速募金活動が始まったのだが、その噂を聞いた
地元経済団体や市民から自分たちも協力したいと要望があり、
当初は玄関横の予定が、多くの議員も賛同したため議会の承認を得て、
多くの市民が目にするところということで、
駅前に立派な銅像が完成したのです。
しかし、人は現実に生きている、去る者日々に疎しで、
自分たちが直面している「今」を生きなければと先代社長に代わってから
気づいた社員も多くいたが、それでも何かにつけ社員たちは
先々代と先代を比べることが多くありました。
居酒屋などでは「先代は・・・・」といった愚痴も多く聞かれました。
それが、最近は、新社長のうわさや愚痴が流れています。
ずっと社長室に閉じこもり得意先回りもせず、倉庫も見に来ないとか、
就任一月になるがまだ顔を見たことがない社員も多く、部長会では結構、
きついことを部長に言い、専務や常務の言うことに耳を貸さない
らしいと言った風評が流れていました。
その日の午前11時過ぎに、営業3課の佐々木課長に
電話がありました、相手は取引先の仕入れ担当の男性でした。
「この前のゴルフコンペの優勝賞品の天然の石鯛とヒラマサがまだ届かないと
うちの係長から問い合わせがありまして、もう1か月になるんで、
どうなっているのかと思って電話させていただきました」
「それはどうも申し訳ございません、早速、幹事に確認して
折り返しご返事いたします、係長さんにはくれぐれも
よろしくお伝えください、申し訳ありません」
佐々木課長は受話器を置くとすぐに幹事の浜崎を呼び事情を聴きました。
「課長、すいません。角の伊藤鮮魚店の親父さんに頼んであるんですが、
型のいい天然ものは入荷が少なくて時間がかかるようです、昼休みにもう一回行って
確認してきます、その後私の方から連絡しておきます」
「おー、そうか、伊藤鮮魚店の魚なら間違いがない。
この件は君に任すから早急に対応をよろしく頼む」
人の好い課長は部下の言うことを信じ切り、すべてを任せました。
というより一般企業ではこれが普通の対応のような気がしますが・・・・。
それから数日が経ち佐々木課長はこの件をすっかり忘れていました。
得意先回りをしていて、立ち寄った先がこの前、コンペの賞品のことで
電話があった会社でした。
新商品の紹介や世間の景気の話が終わり佐々木課長が席を立とうとした時、
相手先の仕入れ担当の社員から「課長、コンペの賞品どうなってますか」
と訊ねられ、課長もおかしいと思いましたが得意先の手前、言葉を繕い
その場を切り抜けました。
直接、浜崎に確認しょうと思った課長でしたが、会社に帰る前に伊藤鮮魚店に
寄ることにしました、この店の店主とは釣り仲間で何度も磯や船釣りに
行っていたので情報交換も兼ねて立ち寄ったのでした。
「親父さん、こんにちわ」「あー佐々木さん、そろそろ行きましょうか」
「チヌには少し早いがメバルかガシラが面白いそうですよ」
「メバルはいいなぁ、早速今度の休みにどうです」
「親父さん、それはそうと、うちの浜崎から何か聞いてないですか」
「浜崎さん、別に何も聞いていませんが、何か」
「いいえ、あいつも釣りをしたいと言ってましたから」
ここで佐々木課長にある疑念が浮かんできました。
極秘の調査を進めた所、浜崎の使い込みが発覚し、
課内の話は社長の知る所となり、役員会でいきなり
社長が懲戒免職を切り出し、専務以下が使い込んだ金額の弁済は済んでいる
から、せめて減給処分をと弁護に回ったものの
聞く耳持たずで、即日懲戒免職となりました。
不祥事はこれまでもありましたが、減給処分が一番多く、
民間企業ということもあり、懲戒免職という処分は長い社歴の中でも数件でした。
専務は社長が交代して社内の空気がよどんでいて、
社員の瞳も曇りがちであることを感じ、社長に何度も
そのことを話していましたが、社長のスタンスは変わることがありませんでした。
何も起こらなければいいのだが、専務の不安は・・・・。
以下、続きは来週の日曜日に・・・・。
勝手な文章を思いつくままに綴ります。
この物語は架空のもので登場する企業、人物等は
実在するものではありません。
続投を訴えていた社長を、高齢、病弱を理由に
株主が結束してその座から引きずり降ろした。
後任に選ばれたのは内部昇格ではなく外部から来た
40歳のサラリーマンでした。
風聞では、ある女性国会議員の大学の先輩のご主人という
事で経歴等詳しいことは分からずじまいで、社員にしてみれば、
まさに青天の霹靂というしかありませんでした。
前社長は70歳手前で部長にしても前社長より年下で
それなりにバランスがとれていたが、新しい社長は課長連中よりも
若く、年齢的な不安は誰もが感じていました。
社長就任のあいさつでは、この会社は元気がない、
物を売る仕事をしているのだから笑顔あふれる対応で
お客様に接し喜んでもらえる社風を作りたい、とぶち上げましたが、
社員の反応はいま一つだった、というのもほとんどの社員は
自分たちの仕事に誇りと使命感を持ち、
明るく積極的に業務に励んでいるという自負があり、
業績も安定していたからです。
正規、非正規の社員合わせて4,000人を超える地域では一番の
企業で明治時代の創業で創立も115年を超えている老舗企業だ。
役員も社外取締りに加えて外部監査も何人かおり、大学生にとっても
地域で就職するならこの会社と、人気も高いものがありました。
これには、先々代の社長の功績が大きく、10年近く前に
故人となったが、今でもこの社長を慕う社員は多くいた。
何しろ先々代はこの会社に奉職して40年、その後社長を25年、
まさにこの会社一筋で生き字引ともいえる存在で、部長連中の
新入社員の頃から知っている存在でした。
社員食堂で社員と一緒に食事をするのが恒例で、倉庫から事務は言うに及ばず、
清掃の外部の人や守衛にも気軽に声を掛け、職員だけでなく
市民からも差し入れや内輪の宴会に誘われることもしばしばで、
誰からも気楽な社長として慕われていましたが、
時には鬼より厳しく時にはえびす様よりにこやかで
飴と鞭の使い方はこの人の右に出る者はいませんでした。
そんなわけで社長は社員や役員はもちろんのこと、地域の経済団体や
地域団体の人たちからも慕われて、地元ではいくつもの役職を
兼任していました。
社長が多くの人に慕われていたエピソードがあります。
病気を理由に社長職を退き先代の社長に、その席を譲ったのだが、
その社長がなくなってすぐに、若手の社員から「玄関横に銅像を建てたい」
という声が上がり、早速募金活動が始まったのだが、その噂を聞いた
地元経済団体や市民から自分たちも協力したいと要望があり、
当初は玄関横の予定が、多くの議員も賛同したため議会の承認を得て、
多くの市民が目にするところということで、
駅前に立派な銅像が完成したのです。
しかし、人は現実に生きている、去る者日々に疎しで、
自分たちが直面している「今」を生きなければと先代社長に代わってから
気づいた社員も多くいたが、それでも何かにつけ社員たちは
先々代と先代を比べることが多くありました。
居酒屋などでは「先代は・・・・」といった愚痴も多く聞かれました。
それが、最近は、新社長のうわさや愚痴が流れています。
ずっと社長室に閉じこもり得意先回りもせず、倉庫も見に来ないとか、
就任一月になるがまだ顔を見たことがない社員も多く、部長会では結構、
きついことを部長に言い、専務や常務の言うことに耳を貸さない
らしいと言った風評が流れていました。
その日の午前11時過ぎに、営業3課の佐々木課長に
電話がありました、相手は取引先の仕入れ担当の男性でした。
「この前のゴルフコンペの優勝賞品の天然の石鯛とヒラマサがまだ届かないと
うちの係長から問い合わせがありまして、もう1か月になるんで、
どうなっているのかと思って電話させていただきました」
「それはどうも申し訳ございません、早速、幹事に確認して
折り返しご返事いたします、係長さんにはくれぐれも
よろしくお伝えください、申し訳ありません」
佐々木課長は受話器を置くとすぐに幹事の浜崎を呼び事情を聴きました。
「課長、すいません。角の伊藤鮮魚店の親父さんに頼んであるんですが、
型のいい天然ものは入荷が少なくて時間がかかるようです、昼休みにもう一回行って
確認してきます、その後私の方から連絡しておきます」
「おー、そうか、伊藤鮮魚店の魚なら間違いがない。
この件は君に任すから早急に対応をよろしく頼む」
人の好い課長は部下の言うことを信じ切り、すべてを任せました。
というより一般企業ではこれが普通の対応のような気がしますが・・・・。
それから数日が経ち佐々木課長はこの件をすっかり忘れていました。
得意先回りをしていて、立ち寄った先がこの前、コンペの賞品のことで
電話があった会社でした。
新商品の紹介や世間の景気の話が終わり佐々木課長が席を立とうとした時、
相手先の仕入れ担当の社員から「課長、コンペの賞品どうなってますか」
と訊ねられ、課長もおかしいと思いましたが得意先の手前、言葉を繕い
その場を切り抜けました。
直接、浜崎に確認しょうと思った課長でしたが、会社に帰る前に伊藤鮮魚店に
寄ることにしました、この店の店主とは釣り仲間で何度も磯や船釣りに
行っていたので情報交換も兼ねて立ち寄ったのでした。
「親父さん、こんにちわ」「あー佐々木さん、そろそろ行きましょうか」
「チヌには少し早いがメバルかガシラが面白いそうですよ」
「メバルはいいなぁ、早速今度の休みにどうです」
「親父さん、それはそうと、うちの浜崎から何か聞いてないですか」
「浜崎さん、別に何も聞いていませんが、何か」
「いいえ、あいつも釣りをしたいと言ってましたから」
ここで佐々木課長にある疑念が浮かんできました。
極秘の調査を進めた所、浜崎の使い込みが発覚し、
課内の話は社長の知る所となり、役員会でいきなり
社長が懲戒免職を切り出し、専務以下が使い込んだ金額の弁済は済んでいる
から、せめて減給処分をと弁護に回ったものの
聞く耳持たずで、即日懲戒免職となりました。
不祥事はこれまでもありましたが、減給処分が一番多く、
民間企業ということもあり、懲戒免職という処分は長い社歴の中でも数件でした。
専務は社長が交代して社内の空気がよどんでいて、
社員の瞳も曇りがちであることを感じ、社長に何度も
そのことを話していましたが、社長のスタンスは変わることがありませんでした。
何も起こらなければいいのだが、専務の不安は・・・・。
以下、続きは来週の日曜日に・・・・。
Posted by いとう茂 at 16:45│Comments(0)