2014年05月21日

落花生と無花果

落花生の収穫期は詳しくは知りません、無花果(イチジク)は梅雨頃から秋の
ような記憶があります。
どちらも花という字が入っていますが、落花生は地上で花を付け
地下で実がなります、ジャガイモのような植物と考えればいいのでしょうか。

無花果は字のごとく花を付けないと思う方もありますが
身の中に花が付くそうです。
花も実もある人生、この前四国を歩いていたら山一面に白い花が
咲いていました、よく見ると枇杷の実を鳥などから守るために
白い紙袋がかぶせられていました。

摘花をして枝に実る枇杷の数を減らして大きな枇杷を作っているようで
生産者の苦労がしのばれました。
花の後に実がなる、トマトやナスビ、キュウリ、リンゴもそうですが、そうした野菜や果物は
花も実もあるということを実感できますが落花生のように地下で実をつける物は
外からは分かりにくいものです。

人間にもそうした花がひらきしっかり実力がついていくのがわかる人と
黙ってコツコツ実力をつける人がいるように思います。
野に遺賢あり、正確には野に遺賢なしですが私は在野の遺賢はいると思います。
偉い先生は、こういう意見には嚢中の錐で袋に入っていても頭角を現すと言われるかもしれませんが、
無花果のように実の中でひっそり花を付けて立派な果実になる植物があるのですから
人も同じだと考えます。
確かアダムとイブは服の代わりに無花果の葉っぱをつけていた・・・・・たぶん。
人間より先に植物があったのなら時には植物に学ぶことも意味があります。

そうでないなら泥の中でじっと耐え美しい花を咲かせるレンコンは、ただの太鼓持ち
でしょうし自然薯も同じですが、それでもやってられるかとは言いません。
黙々と自分がしなければいけないことを落花生も無花果もレンコンも自然薯も
している、そういうものにあこがれを感じるのは私だけでしょうか。

これはずいぶん昔に出会った言葉ですので正確には覚えていませんが、
ダスキンの創始者の言葉だったと思います。
「人間、舞台の上でチョンチョン主役をしている頃はまだまだ半人前で、
裏方に回って人の世話をして主役が輝くような仕事ができて一人前」

ダスキンのコマーシャルで「喜びの種をまこう」という言葉をご覧になった方は
多いと思いますがこの言葉は東井義雄さんの同名の本のタイトルで、
ダスキンの創始者は東井さんに傾注されていたようです。

私も門外漢に近いのですが戦前の教育者で確か兵庫県の僧侶だったと
思います、一度、教師をしている同級生に東井さんのことを尋ねたら知らないと言っていました・・・・・。
横にそれました。

落花生に戻ります、花が落ちて地下での活動を黙々と行う人知らずして憤らず、
目の前にある自分に与えられた仕事を誠意をもって丁寧に仕上げていく、
そんなことの大切さを教えられた次第です。

実は一昨日落花生が届きました、高知のお土産のお返しに娘が送ってくれたものです、
娘にも孫にも落花生のような努力をして生きてほしいと願う親バカの気持ちです。

今日は午前中から一般質問の作成にかかっています、
備えあればうれしいな?・・・・・です。
明日は常任委員会、明後日は特別委員会、土曜日はゴミゼロで膳所公園周辺の
清掃、日曜日も予定があります、あっという間に来週になりそうで、時間を作るのが
大変なので質問の下書きから始めています。

あと4回の通常会議、大切にそしてじっくり、しっかり臨みたいと思います。






Posted by いとう茂 at 12:43│Comments(0)
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