2014年05月31日

私の土佐日記 番外編

雪蹊寺を出て1時間30分、6キロ余りの歩きで
種間寺が見えてきました、道端の水路を勢いよく水が流れています、
種間寺の近くの道端に芍薬が咲き誇っていました。
どれくらいあったでしょう100株、いや200株はあったでしょうか。
しばし足を止めて休憩、札所はもうそこです、急ぐことはありません。
今日はここまで10数キロの歩きだけです。

お参りがすみベンチで休んでいると隣に大きなリュックを担いだ
40代の男性が腰を下ろしました「歩きですか」
「ええ、弥谷寺から歩いてきました、少し飽きてきました」
弥谷寺からならここまで通しで歩いて約20日です、
四国は相性がある気がします、というよりお大師さんに呼ばれ続けるか、
もう来なくていいと言われるか、そんな部分がある気がします。

たぶん彼はもう来なくていいと言われた口のようです。
風貌がどうだとか信心がどうだとかこれまでの生き方がどうだとか、
そんなことには関係なしに、全く分かりませんが、でもあるのです。
はまる、はまらない、そんなものとは違う何かがあるのです。

その男性とはそれきり、一期一会のご縁でした。

次は仁淀川で追い抜いた男性、私より少し年輩でした。
種間寺を8時ころに出発し前後に歩いている人影はありませんでした、
仁淀川を渡ると階段があったので休憩していると近所の男性でしょうか、
私のそばを歩いていきます「おはようございます」「・・・・・・・」
挨拶が返ってきません、気にすることはないのですが、こういうことは
歩いていてほとんどありません、たいてい挨拶が返ってきます。

どこか虫の居所が悪かったのだろう、そう思うしかありません。
キリストならその人を神と思いなさい、そして仕えなさいとか
許しを請いなさいと言われるのでしょう。
しばらく歩くと今度はその人が座って休んでいました。
小さく頭を下げて追い抜きました、これもこれだけのご縁でした。

清瀧寺から塚地峠を目指している時に昼になりましたので
スーパーでイカの握りと天ぷらを買ったことは書きましたが、
勘定をするときにレジの女性が400円もしないイカの握りを
丁寧に袋に入れて、天ぷらとお茶を買ったのですがそれは別の袋へ、
大津なら最近は買い物袋ありますか、お願いしますと言えば
買い物の量を見て適当な袋を最後に、まるで遅刻間際に起きて
布団をはねのけたような格好の袋を乗せて精算です。

違うでしょう、元々はサービスでくれていた袋のお金をとるのなら
丁寧に二つ折りの袋を買い物かごの上に載せてから、しっかりお客さんの
目を見てありがとうございましたと言ってから精算をするのが普通だと思います。

四国のスーパーは買い物袋は無料でした、一緒に入れてもいいものを
二つに入れてしっかり目を見てありがとうございます、千円でおつりがある買い物でも
そうでした、次、四国に行って買い物するならあそこにしょう。
これって商業振興でもあるし観光振興そのものだと思います。
どちらもいかにリピーターを作るかが課題です。

たまたまいい人のレジで勘定をしたのかしたのかも知れませんし、
スーパーの教育マニュアルに決められていることかもしれません。
でも、生身の人間ですから教えれた通りのことをしていても
感情が出るものだと思います。
変な勘繰りや裏を考えるのではなく素直に受け取ることも大切です。
何気ない普段の仕草や行動にその人の全人格が出ることがあることに
気づかされ省みて自分の言動を思うことの大切さを教えられました。

明日は防災訓練に午前中は参加し、午後からはみずほまつりです。
所長とは20数年来の付き合いで、和太鼓の演奏も何年か
したことがありますし、その前は模擬店の手伝いもしていました。
障害者の社会参加は今でもいろいろとハードルがありますが、
縁あってこの世に生を授かった人間に変わりはありません。
道を行くのは自動車もあればバイクや自転車、大人、子供と
様々です、社会もそうあるべきではないでしょうか、道端で
困っている人がいれば助けてあげる、溝にタイヤを落とした
車があればみんなで引き揚げてあげるのが情でしょう。

いつもいつも助ける側にいるとは限りません、助け、助けられ
お互い様の気持ちと感謝の気持ちを持って生きられたら
いろんなハードルが低くなるように思います。




Posted by いとう茂 at 15:55│Comments(0)
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