2014年09月23日
埃をかぶった本棚から
今日は秋分の日です、昼と夜が同じ長さになる日、
つるべ落としのように日が短くなり徐々に秋の夜長になっていきます、
もっとも、今では『つるべ落とし』と言っても知らない若者の方が
多い気がします。
スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、人恋しい秋・・・・・。
「さ」のつく魚が好物です、サバ、サワラ、サンマ。
サバもサンマも庶民の魚の代表です、これから脂がのって
旬を迎え食卓にも多く登場します。
子どもの頃はサンマの内臓が苦くて食べられませんでした、
それがいつの頃からか酒の肴にもいけるし結構おいしいと
感じるようになりました、周囲の人の中にもサンマの内臓は苦手という
人は多くいますが、ある種、大人の食べ物???
サンマは腸が短く消化して排泄するまでの時間も短いので
内臓が腐敗しにくいという話を聞いたことがあります。
今夜あたりサンマをあてに・・・・・・。
スポーツは平成12年に文化系にシフトしてからほとんど無縁になりました。
年に何回か参加するウォーキングと正月に孫と走る5キロのマラソンくらいです。
読書もめっきり量が減り背表紙を眺める時間の方が多いくらいです。
以前に本を処分したことは書きました、古い家なので本の重みで床が抜けては
大変なことになりますし、大地震が起きると本に潰されかねない心配もありました。
タンスはひと竿ですが本棚はどう数える?一台、一本・・・・・。
部屋の中にぐるっと6台の本棚がありホームセンターで安売りしている3段ボックスも
8つくらいありました、3段ボックスでも前後2列に本を入れるとゆうに100冊は入ります、
半分以上処分して今では本棚3台と3段ボックス1つになりました。
埃をかぶりながらも生き残った本から記憶に残っている部分を読書の秋ですので
紹介しようと思います。
あえて著者とタイトルは伏せておきます、どこかで同じ文章に出逢われたら
もしかすると前世か来世は私と赤い糸で・・・・・そんなことないか。
会社などで地位が上がりますと、皆が面と向かって悪口を言わず、
とかく褒め言葉が耳に入るようになりがちですから、
本当のことが分からなくなるものです。
それについて面白い話が「戦国策」に出ています。
鄒忌(すうき)という人は身の丈八尺有余あって、ハンサムで立派な男でありました。
朝廷に参上するために立派な礼服を着て、鏡を覗きながら妻に向かって
「自分と城北の徐公とはどちらがきれいだ」と聞きました。
その妻が言うことには、「あなたの素晴らしい美しさは、とても徐公の及ぶ
ところではありませんよ」
城北の徐公という人は斉の国の有名な美男子であったので、妻はそういったけれども、
鄒忌は信じないで、今度は妾に向かって「自分と徐公とはどちらがきれいだ」と聞きました。
ところが、その妾も「あなたの素晴らしい美しさは、とても徐公の及ぶところでは
ありませんよ」ということを言います。
翌日お客さんがやってきました。
話の途中で鄒忌はその客に対しても「自分と徐公とはどちらがきれいだ」と聞きました。
客が言うには「それはあなたの方がはるかに美しいですよ」というのです。
ところが、そのあくる日に、本人の徐公がやってきました。
そしてつくづくこれを見ると自分はとても徐公に及ばないなと思いました。
念のために鏡に映してみても、徐公の美しさには遠く及ばないと思いました。
夜、寝床に入って思ってみるに、妻が徐公より私を美しいとしたのは、
妻が私に身びいきしているからである。
また、妾が徐公より私を美しいとしたのは、手を切られるのを恐れてのことである。
客は、褒めておけばなにかうまいことがあるだろうと思って、そういったのだと考えるのです。
そこで朝廷に出て、王様に言うには「私は自分で徐公の方が美しいと思っています。
ところが、妻も妾も、それに客までが口をそろえて私の方が美しいと言います。
なぜでしょうか。
妻には身びいきがあるからですし、妾には私が怖いという気持ちがあるからです。
客は私に何かしてもらいたいからです。
さて、斉は領土千里四方、城百二十の大国です。
おそばの女官や臣官たちは王様を身びいきしますし、家臣たちは王様を怖がります。
国中の者は王様の機嫌をとる者ばかりです。
そのために王様は見る目をおおわれているのではないでしょうか」と申しました。
それに対して王様は「お前のその意見はよい」と言われたのです。
王様の所へ直々に来て、その過ちを指摘したものには一番の賞を授けよう。
そのほか中・下という賞を与えるという布告がひとたび出ますと、
最初のうちは、王様こういう所が悪いんですよ、ああいうところがいけないんですよ、
と言って朝廷の門前が市のようにごった返しました。
所が数か月すると諫言をする人もだんだん少なくなって、
一年後には全くなくなってしまった。
諫言したくとも、王様の過ちがなくなったからです。
そうなりますと、斉が立派な国になったという噂がまわりの国々に広まり、
燕・趙・韓・魏など諸国が貢物を持ってくるようになりました。
朝廷の内にあって、兵を用いず戦わず、敵に勝つとは、
つまりこのことであるというのです。
つるべ落としのように日が短くなり徐々に秋の夜長になっていきます、
もっとも、今では『つるべ落とし』と言っても知らない若者の方が
多い気がします。
スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、人恋しい秋・・・・・。
「さ」のつく魚が好物です、サバ、サワラ、サンマ。
サバもサンマも庶民の魚の代表です、これから脂がのって
旬を迎え食卓にも多く登場します。
子どもの頃はサンマの内臓が苦くて食べられませんでした、
それがいつの頃からか酒の肴にもいけるし結構おいしいと
感じるようになりました、周囲の人の中にもサンマの内臓は苦手という
人は多くいますが、ある種、大人の食べ物???
サンマは腸が短く消化して排泄するまでの時間も短いので
内臓が腐敗しにくいという話を聞いたことがあります。
今夜あたりサンマをあてに・・・・・・。
スポーツは平成12年に文化系にシフトしてからほとんど無縁になりました。
年に何回か参加するウォーキングと正月に孫と走る5キロのマラソンくらいです。
読書もめっきり量が減り背表紙を眺める時間の方が多いくらいです。
以前に本を処分したことは書きました、古い家なので本の重みで床が抜けては
大変なことになりますし、大地震が起きると本に潰されかねない心配もありました。
タンスはひと竿ですが本棚はどう数える?一台、一本・・・・・。
部屋の中にぐるっと6台の本棚がありホームセンターで安売りしている3段ボックスも
8つくらいありました、3段ボックスでも前後2列に本を入れるとゆうに100冊は入ります、
半分以上処分して今では本棚3台と3段ボックス1つになりました。
埃をかぶりながらも生き残った本から記憶に残っている部分を読書の秋ですので
紹介しようと思います。
あえて著者とタイトルは伏せておきます、どこかで同じ文章に出逢われたら
もしかすると前世か来世は私と赤い糸で・・・・・そんなことないか。
会社などで地位が上がりますと、皆が面と向かって悪口を言わず、
とかく褒め言葉が耳に入るようになりがちですから、
本当のことが分からなくなるものです。
それについて面白い話が「戦国策」に出ています。
鄒忌(すうき)という人は身の丈八尺有余あって、ハンサムで立派な男でありました。
朝廷に参上するために立派な礼服を着て、鏡を覗きながら妻に向かって
「自分と城北の徐公とはどちらがきれいだ」と聞きました。
その妻が言うことには、「あなたの素晴らしい美しさは、とても徐公の及ぶ
ところではありませんよ」
城北の徐公という人は斉の国の有名な美男子であったので、妻はそういったけれども、
鄒忌は信じないで、今度は妾に向かって「自分と徐公とはどちらがきれいだ」と聞きました。
ところが、その妾も「あなたの素晴らしい美しさは、とても徐公の及ぶところでは
ありませんよ」ということを言います。
翌日お客さんがやってきました。
話の途中で鄒忌はその客に対しても「自分と徐公とはどちらがきれいだ」と聞きました。
客が言うには「それはあなたの方がはるかに美しいですよ」というのです。
ところが、そのあくる日に、本人の徐公がやってきました。
そしてつくづくこれを見ると自分はとても徐公に及ばないなと思いました。
念のために鏡に映してみても、徐公の美しさには遠く及ばないと思いました。
夜、寝床に入って思ってみるに、妻が徐公より私を美しいとしたのは、
妻が私に身びいきしているからである。
また、妾が徐公より私を美しいとしたのは、手を切られるのを恐れてのことである。
客は、褒めておけばなにかうまいことがあるだろうと思って、そういったのだと考えるのです。
そこで朝廷に出て、王様に言うには「私は自分で徐公の方が美しいと思っています。
ところが、妻も妾も、それに客までが口をそろえて私の方が美しいと言います。
なぜでしょうか。
妻には身びいきがあるからですし、妾には私が怖いという気持ちがあるからです。
客は私に何かしてもらいたいからです。
さて、斉は領土千里四方、城百二十の大国です。
おそばの女官や臣官たちは王様を身びいきしますし、家臣たちは王様を怖がります。
国中の者は王様の機嫌をとる者ばかりです。
そのために王様は見る目をおおわれているのではないでしょうか」と申しました。
それに対して王様は「お前のその意見はよい」と言われたのです。
王様の所へ直々に来て、その過ちを指摘したものには一番の賞を授けよう。
そのほか中・下という賞を与えるという布告がひとたび出ますと、
最初のうちは、王様こういう所が悪いんですよ、ああいうところがいけないんですよ、
と言って朝廷の門前が市のようにごった返しました。
所が数か月すると諫言をする人もだんだん少なくなって、
一年後には全くなくなってしまった。
諫言したくとも、王様の過ちがなくなったからです。
そうなりますと、斉が立派な国になったという噂がまわりの国々に広まり、
燕・趙・韓・魏など諸国が貢物を持ってくるようになりました。
朝廷の内にあって、兵を用いず戦わず、敵に勝つとは、
つまりこのことであるというのです。
Posted by いとう茂 at 12:27│Comments(0)