2015年09月19日

緑のお爺さん一年

9月18日、昨年のこの日から学校のある時は交差点に立って
子どもたちの見守りと声掛けをしてきました。
いつの間にか1年になりました。
今日から5連休で、1年が終わってこれからもよろしくという、
ご褒美のような休みですが、それなりにリズムがありますので
5日立って2日休みというのが楽なように感じます。

1年が経っていろんな気づきがあります、サラリーマンの人はほぼ
同じ時間に通勤しますが、1・2分家を出るのが遅いと駆け足で
いつもの電車に乗ろうと急ぎます、そんな時に車が来て
足止めになると更に焦るのが見えてきます。

中ノ庄駅の近くの交差点に立っているのですが、乗る人と降りる人では
圧倒的に乗る人が多い駅です、最寄りの企業と言えば金融機関が二つ
そこに勤める人が何人かいるくらいで、ほかは調剤薬局と医療機関。
丁寧にあいさつをしてくださる方、まったく知らん顔の方、コクッと
頷く方、友人と話しこんでいる方、これは大人も子どもも同じです。

ただ、大人でまったく知らん顔、そして無表情、こんな方が、営業なら
どんなにいい商品でも、そして営業で笑顔が素晴らしくても、
この方からは買いたくない、これは私個人の勝手な思いです。

17日に特別委員会が開催され、国体の種目のことやプールの
議論が行われました、市民のスポーツに関する意識調査の報告もあり、
様々な資料をいただきました。
意識調査の中で気になることがあり質問をしました、回答はそれほど期待
していませんでした、と言うのも、スポーツをしたいと思っている市民は
実際にスポーツをしている人の3倍くらいありますが、審判や設営などの
ボランティアを希望する人は実際にボランティアをしている人の数と
それほど変わりありません。

このことはスポーツだけでなく自分のためなら何かしたいが、
他人のために時間や労力を使いたくない、そういった考え方があるのでは
ないかと考えます。
それと、自分がスポーツをする時は、そこへ行けばすぐにスポーツができる、
誰かが準備をしてくれるのが当然と言った考えもあるように思います。
私の考えている回答が出るとも思えませんでしたが、一応聞いてみた次第です。
現実に地域の体育振興会や体育協会は若い人が増えず、役員の高齢化が
課題になっています。

スポーツの世界だけでなく世間一般にこうした風潮があるように思います。
大津の例ではありませんが、大雨が降って土砂災害や洪水の危険があり、
ある町で避難指示が出されました、結果は被害が出ずによかったのですが、
問題は避難所になっていた小学校の体育館で起こりました、避難された住民の方から、
消防署員に飲み水はまだか、食料はまだかと厳しい口調で要求があったということです。
ほとんどの自治体で、防災組織が結成されており、定期的に防災訓練も
実施されています、そうした中で万が一の時に備えて飲料水や非常食の
備蓄を怠っていたようです。
訓練は目的ではなく手段です、自分の命は自分で守る、これが基本ですから、
避難する時には当座の水や食料を持っていく必要があると思います、
災害が起きてからの避難なら、着の身着のまま、そんなゆとりはありませんが、
避難指示が出るまでには時間があったといいます、その間に準備はできたと
その町の消防署の職員は言っていました。

しかし、避難して不安から気が立っているのが見て取れましたので、
ひたすらお詫びしかありませんでしたと職員は言って、次にこういうことがあっては
ならないが、そのときに備えて飲料水や非常食の備蓄についても、自治会役員と
検討したいと説明してくれました。

消防の職員はボランティアではありませんが、実際に災害が起きれば
職員が駆けつけられるとは限りません、そうなると、住民だけで対応しなければいけません、
口をあけて飲み物や食料を待っていても何も出てこないかもしれません、
倉庫にある非常食を誰かが配らないと誰のお腹も満たせない、
設営や段取りをするボランティア、共助がなければ避難所運営はできませんし、
もっと大きな社会の運営もできません、縁の下の礎石になり、多くの人を支える役目は
決して固定された人ではなく誰もが交代して行わないといけない、そんなことを思っています。







Posted by いとう茂 at 16:37│Comments(1)
この記事へのコメント
たくさんのコメントありがとうございます。今日は見掛けませんでしたね。明日は防災訓練ですね、地元ですから頑張ります。
Posted by こんちゃん。こんちゃん。 at 2015年09月19日 22:58
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