2015年10月15日

秋深き隣は何をする人ぞ

「秋の日のヴィオロンのためいきの・・・・」昔、聞いたことがあるフレーズが
頭に浮かんできました、誰の詩だったかと、調べてみると、
ポ-ル・ヴェルレーヌの秋の歌、落葉という訳もありました。
そういえば、何となく淡い記憶がよみがえりました。
しかし、全文を読んだ記憶は定かではありませんでしたので
もう少し調べると多くの人が訳していました。

落葉
            上田敏 

秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの ひたぶるに
身にしみてうら悲し。

鐘のおとに胸ふたぎ色かへて
涙ぐむ過ぎし日の おもひでや。

げにわれは うらぶれて ここかしこ
さだめなく とび散らふ落葉かな。

秋の歌
            堀口大學訳

秋風の ヴィオロンの節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀しみに わが魂を痛ましむ。

時の鐘 鳴りも出づれば せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる来(こ)し方に涙は湧く。

落葉ならね身をば遣(や)る われも、
かなたこなた吹きまくれ逆風(さかかぜ)よ。

秋の唄
            金子光晴訳

秋のヴィオロンが いつまでも すすりあげてる
身のおきどころのない さびしい僕には、ひしひしこたえるよ。

鐘が鳴っている息も止まる程はっとして、 顔蒼ざめて、
僕は、おもいだす むかしの日のこと。
すると止途(とめど)もない涙だ。

つらい風が僕をさらって、落葉を追っかけるように、
あっちへ、こっちへ、翻弄するがままなのだ。

秋の歌
            窪田般彌訳

秋風の ヴァイオリンのながいすすり泣き
単調な もの悲しさで、わたしの心を傷つける。

時の鐘鳴りひびけば息つまり青ざめながら
すぎた日々を思い出すそして、眼には涙。

いじわるな風に吹かれてわたしは飛び舞う
あちらこちらに枯れはてた落葉のように。

学校で習ったのは上田敏の詩だったような気がします。
もしかすると堀口大學・・・・・・、個人的に詩集で読んだのか?
中原中也の詩集もかじったことがあります、汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる・・・・・・。
その時にもしかすると読んだのかもしれません。

4人の訳詩でどれが心に響くか、それぞれ気に入ったフレーズはありますが、
涙ひとつとっても表現が違います、個人的には涙は湧くが気に入っています。
自分の心が風に舞うさまは、うらぶれて ここかしこさだめなく とび散らふ落葉かな。
がいいかと思います、一つしかないとそれで満足するのですが、こうして比べると
それぞれの気に入ったフレーズで新しい詩を考えてしまいます。

そんな気分になるのも季節のせいでしょうか。
で、隣の人は・・・・・・食欲の秋ですか。




Posted by いとう茂 at 12:21│Comments(0)
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