2016年01月09日

テーキングオフ

テーキングオフ

離陸の際によく使われる言葉で、もう少し自分なりに意訳すると、
旅立ち、別れ、独り立ち・・・・・。
何かから離れるという解釈でいいのかと思っています。
離陸や旅立ちなら再び戻ることも考えられますが、別れや独り立ちは
行ったきりの片道切符、そういう意味では人生と同じだと考えてもいいのか。

人生に別れや旅立ちはつきものです、会者定離、会う縁をいただくということは
別れの縁もいただくということです。
愛別離苦、別れでも愛しい人との別れはひときは辛いものです、
だからこそ愛しい、いつか来る別れを潜在的に感じているのでしょうか。

故郷に錦を飾るまでは国には帰らない、そんな強い意志をもって
故郷を出たものの錦を飾れず、都会に波に飲み込まれてしまう人も
多いのが実態で、石川啄木の短歌、「ふるさとの 訛なつかし 停車場の
人ごみの中に そを聴きにゆく」そんな気持ちになり出かけていき、
居酒屋でコップ酒を寂しく飲んでいる姿が目に浮かびます。

今あるところから離れたり、別れたりしても行き先が明確にわかっている場合は
離陸してもある意味安心ですが、何かの勢いや自分の過失などで現在の場所を
離れる場合は、待っているのはイバラの道ならぬ奈落の底かもしれません。
世の中には背水の陣で臨んだ事業が裏目に出てしまうことがよくあります。
再起できるならそれにこしたことはありませんが、自分でこれが最後と決めた
事業で失敗したのなら、潔く失敗を受け入れるのもテーキングオフだと思います。

生きている以上何度でも挑戦できると励ます人もいます、確かにそういった部分は
あると思いますし、正論でしょう、昔、仕事に行き詰って助けを求めてきた人がいます。
お金の部分ではなく人間関係と準備時間がなく相談に来たのですが、
頑張れと励まし続けたことが、その人にはかえってプレッシャーで、私に
アドバイスや力を借りに来たのではなく、ほっこりする時間を期待していただけだと
ずいぶん時間がたってから告げられました。
鳥が止まり木で休むように、ちょっと休みたいのに私は止まり木の役目を自覚しておらず
せっかく羽根を休めに降りてきた人は着陸せずに舞い上がっていきました。

頑張れと励まして頑張れるなら、何も問題は起きないでしょう、頑張れないから
寄り添ってほしい、言葉はいらない、気持ちだけ寄り添ってくれたら、それがかすかでも
手応えに歩きだせる、そんな現実もあります。

着地点ありきのテーキングオフならそれほど心配も不安もないのでしょうが、
着地点はあくまで仮定、理想ということのほうが多く、不退転、背水の陣
そんな悲壮感が漂うほうが多い気もします。
さしずめ、失敗すれば糸の切れた凧、そんな風に自分にプレッシャーを
かけ続けて生きる、そして安らぎと緊張感、その両方を与えてくれる人が
いるなら、糸が切れてどこへ飛んでいこうとも着地点はいらない、
野に「むくろ」をさらしても満足かと。



Posted by いとう茂 at 23:20│Comments(0)
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