2016年04月21日
去る者は日々に疎し
今日は雨が降っています、熊本や大分の被災地にも雨が降り、
避難されている方は、断続的な余震の恐怖に加えて、さぞ難儀
されていることと思います、お亡くなりになった方、ケガをされた方々に、
心からお見舞い申し上げますとともに安らかな御冥福をお祈りいたします。
議会の窓からは雨に濡れた若葉が見えますが、新しい命の躍動を感じます。
去る者は日々に疎し、死んだ者は日が経つにつれ世間から忘れられていき、
親しかった者も遠ざかれば日に日に交情が薄れていくということで、
去る者は日に以て疎く、来たる者は日に以て親し(別れた者とは日増しに疎くなり、
こちらへ近づいてくる者とは日増しに親しくなるも)が出典とされています。
去る者は日々に疎しを人ではなく物に使うのは誤りとされていますが、
東大寺二月堂のお水取りから1か月余り、桜のシーズンからは2週間、
静かな時の流れですが、花を散らすように青葉、若葉が芽吹いて、あっという間に
びわ湖の周囲の山も緑の濃淡を楽しめる時期になりました。
柔らかそうな緑が好きで、夏に向かって濃さを増していく山を眺めていると
時間の経過を忘れてしまいそうです。
親父、祖母、義父、伯母、伯父、平成7年から8年にかけての1年余りで
亡くなっています、我が家と親族の葬式ラッシュの年で、私の本厄と後厄の
年と重なっていました。
日々に疎し、亡くなったころは、ことあるごとに顔を出していた親父も
最近では仏壇の遺影を見るたびに思い出す程度で、自分の薄情さを
再認識しています。
薄情さだけでなく生きていることは何かに追われる、背負っている荷物の
対応に心を砕く、そんなこともあるのかも知れませんし、それなりに自分に
問題を解決する力がついたと言えば聞こえがよすぎるでしょうか。
この時期は各種団体で総会が行われ役員改選では新しい会長などが
選出されます、長年、会長として会の振興に尽力した人も交代します。
「会長」そう呼ばれる方が苗字より多かったのに、急に名字で呼ばれ
寂しい思いをするのもよく聞く話です。
肩書だけでなくこの世のものはすべて借り物なのでしょうか、親父という
人格は息子の心に残りますが姿はありません。
しかし、その程度でいいのかとも思います、これは残った者からではなく、
去っていく者から見れば、いつまでもどこかの教祖のように崇め奉られたり、
強い嫌悪感や思い出すのもおぞましいと思われ続けるよりは、日々、記憶が
薄くなっていく方がいいように思います。
水が一ところに溜まり腐敗臭を放つよりも嫌悪感や憎しみも細切れになり
いい思い出とまではいかなくても、あいつは本当にひどい人間だったと
懐かしがられる方が互いが平安でいられるように思います。
そういえば今日は千利休の命日とか、お茶の世界だけでなくこの世は
一期一会、良き出会い、良き別れ、そんな繰り返しで終わることができれば。
避難されている方は、断続的な余震の恐怖に加えて、さぞ難儀
されていることと思います、お亡くなりになった方、ケガをされた方々に、
心からお見舞い申し上げますとともに安らかな御冥福をお祈りいたします。
議会の窓からは雨に濡れた若葉が見えますが、新しい命の躍動を感じます。
去る者は日々に疎し、死んだ者は日が経つにつれ世間から忘れられていき、
親しかった者も遠ざかれば日に日に交情が薄れていくということで、
去る者は日に以て疎く、来たる者は日に以て親し(別れた者とは日増しに疎くなり、
こちらへ近づいてくる者とは日増しに親しくなるも)が出典とされています。
去る者は日々に疎しを人ではなく物に使うのは誤りとされていますが、
東大寺二月堂のお水取りから1か月余り、桜のシーズンからは2週間、
静かな時の流れですが、花を散らすように青葉、若葉が芽吹いて、あっという間に
びわ湖の周囲の山も緑の濃淡を楽しめる時期になりました。
柔らかそうな緑が好きで、夏に向かって濃さを増していく山を眺めていると
時間の経過を忘れてしまいそうです。
親父、祖母、義父、伯母、伯父、平成7年から8年にかけての1年余りで
亡くなっています、我が家と親族の葬式ラッシュの年で、私の本厄と後厄の
年と重なっていました。
日々に疎し、亡くなったころは、ことあるごとに顔を出していた親父も
最近では仏壇の遺影を見るたびに思い出す程度で、自分の薄情さを
再認識しています。
薄情さだけでなく生きていることは何かに追われる、背負っている荷物の
対応に心を砕く、そんなこともあるのかも知れませんし、それなりに自分に
問題を解決する力がついたと言えば聞こえがよすぎるでしょうか。
この時期は各種団体で総会が行われ役員改選では新しい会長などが
選出されます、長年、会長として会の振興に尽力した人も交代します。
「会長」そう呼ばれる方が苗字より多かったのに、急に名字で呼ばれ
寂しい思いをするのもよく聞く話です。
肩書だけでなくこの世のものはすべて借り物なのでしょうか、親父という
人格は息子の心に残りますが姿はありません。
しかし、その程度でいいのかとも思います、これは残った者からではなく、
去っていく者から見れば、いつまでもどこかの教祖のように崇め奉られたり、
強い嫌悪感や思い出すのもおぞましいと思われ続けるよりは、日々、記憶が
薄くなっていく方がいいように思います。
水が一ところに溜まり腐敗臭を放つよりも嫌悪感や憎しみも細切れになり
いい思い出とまではいかなくても、あいつは本当にひどい人間だったと
懐かしがられる方が互いが平安でいられるように思います。
そういえば今日は千利休の命日とか、お茶の世界だけでなくこの世は
一期一会、良き出会い、良き別れ、そんな繰り返しで終わることができれば。
Posted by いとう茂 at 14:39│Comments(0)