2016年05月31日

巣立ち

毎朝、緑のお爺さんで立っている交差点の角の家の軒先に
ツバメの巣があります、通学の子どもたちも毎朝眺めて
学校に向かいます。
今朝、巣を見ると産毛が生えたヒナが5羽並んでいましたが、
一番端のヒナは口を開けたまま動きません、親鳥がエサを
運んでくるのを待って口を開けたまま命尽きたのかわかりません。
小さな自然界でも巣立ちの難しさを感じさせられました。

人間の世界でも、子どもの親離れも巣立ちですし、最近では
子離れできない親もたくさんいるという話も聞きます。
大きな期待と小さな不安、巣立ちにはつきものの心理状態ですが、
ツバメはどんな期待を胸に大空に飛び立っていくのでしょう。
親の庇護の下でずっと親離れをせずに生きていけたら、幸せ
なのでしょうか。
世の中にはそうした家庭もあるのでしょうが、老いてゆく親にとって
子どもの将来ほど気になるものはないでしょう。

人間は一人では生きられません、誰かに迷惑をかけたり、誰かに
支えられたり、自分も迷惑をかけられたり誰かを支えて生きています。
人は誰かの世話になったら、誰かの世話をしなければならない、
持ちつ持たれつ、ツバメのヒナたちも成長したら親鳥と同じように、
自分のヒナの世話をして巣立たせることを、誰に教えられることなく知っています。

昔の日本の社会では親が子どもを育て、育った子どもはやがて老いてゆく
親の世話をして看取ることが当然とされてきました。
此岸への巣立ちは親の役目、彼岸への巣立ちは子どもの役目、
そう考えることもできるでしょう。
親父、祖母、義父、1年の間に3人が亡くなってから21年が経ちました。
子どもとして孫として、それぞれの巣立ちにどんなことができただろう、
また、巣立ちまでの間に、いくつ楽しい、嬉しいといった思いをさせて
あげただろう。
エサを待ち続けて口を開けたまま死んでいったツバメではありません、
今を生きている自分が果たすべき仕事はできたのだろうか、
そんな自問が今日は出てきました、。



Posted by いとう茂 at 15:25│Comments(0)
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