2016年08月09日

ゴミ拾い

昨夜は大津の花火大会でした、所属する会の資金を調達する
ために毎年模擬店を出しています。
昨日も話題になっていましたが、花火も見ずに模擬店で
汗を流すようになったのはいつごろからか考えてみると
約10年前になります。
花火大会と大津っ子まつりが主な資金の調達源ですが、
ほぼ毎回参加してきました。

模擬店はかれこれ40年ほど前から商店街でやっていますので、
慣れたものですが、年を重ねるにつれて億劫になってき、
アーまたか、そんな惰性感もありますが、綿菓子を作って
子どもたちが大きいと喜んでくれると、そんな感じもなくなります。
昨日も多くの子どもに喜んでもらいました、携帯で写真を
撮る子どもも多く、ありがとうと驚きの声で暑さと疲れを
しばし忘れました。

交通規制で花火大会が終わっても3時間近く、その場を
動くことができません、お借りした場所の掃除と後始末で
およそ1時間、そのあとは退屈な時間です。
目の前には中央分離帯があり花火が上がっているときは
見物の人も大勢いました。
当然多くのごみが捨てられています、歩道には大きなゴミ箱が
いくつも設置されていますが、どれも溢れていますし、そこに捨てに
行かずに放置されたごみがいたる所に散らばっています。

待ち時間にそれを拾うようになってから何年か経ちますが
今年もゴミ袋を片手にゴミ拾いをしました。
ペットボトル、空き缶、パック、竹串、吸い殻、紙袋・・・・。
いろんなものが放置されています。
あっという間にゴミ袋がいっぱいです。

捨てられたゴミを見ていて、感じたのは役割はあるものの
「かわいそうに」そんな思いでした。
ついさっきまでは、竹串に刺した唐揚げがパックに入って
いたのでしょうし、かき氷の容器だったのでしょう。
熱い唐揚げを何本も持つのは大変ですし、かき氷を両手に
盛り付けるわけにもいきません、ほとんどの人がパックや
カップに対する思いはないでしょうが、パックたちにもないのか、
ソースが底に残っているパックはお好み焼きが入っていたので
しょうか、パックに入っているからソースがこぼれずにおいしく
食べられますが、お箸だけで食べようとすると下に落として
半分も食べられないように思います。

「あーおいしかった」食べたものへの感謝や感想はあっても、
氷の容器や空き缶への感想はありません。
それでいいのかもしれませんが、人間社会の中でも
食べ物の役を担う人、それを入れる役を担う人がいるような
気がしました。
冷たい水に冷やされておいしいビールを守っているのは俺だぞ、
手で持つとやけどをするのを私の中に詰め込んでいるから
大丈夫なのよ。
容器は話すことはできません、自己主張もしません、誰も代弁を
してくれません、それ以上に道端に放置されると、まるで悪者扱いで
汚い、臭いと嫌われます。

お前たちの責任やないのにな、喜んでいるのは売った人と食べた人
だけやな、ご苦労さん、生まれ変わったら今度は食材に生まれて
こいよ、おじさんは堀の底の石垣に生まれ変わりたいけどな、
そんなこと会話をゴミと化した容器たちとしていました。





Posted by いとう茂 at 22:04│Comments(0)
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