2016年10月12日

今週のことば②

先月に、今週のことばとして毎週月曜日に自分を戒める言葉、
応援歌、こうありたいという理想像をサロンに掲示していることを
書きました。
一番最初は誰にするか考えた時に悩んだのですが、山本周五郎に
しょうと思い、本棚から何冊か本を取り出してページをめくり、
言葉を探しました。

山本周五郎との出会いは比較的最近で、2003年ごろだったと
思います、それまでにも名前だけは知っていましたが、最初に
読んだ本だったと思いますが、日本婦道記の中の柳橋物語と
いう短編が面白く、それ以来少しずつ読むようになりました。
藤沢周平が好きだという人は周りにもたくさんいますが、周五郎の
ファンはそれほどいません、どこにでもいるような普通の人間の
悲哀を綴った文章は共通したものがあるかもしれませんが、
時代劇専門の藤沢ともう少し幅の広い山本、よりねっとりした
イメージがある山本周五郎の方が性に合うように思います。

城山三郎、中野孝次、伊藤肇、山本周五郎、すべて故人になりました、
唯一存命なのが曽野綾子、好きな作家が偏り、しかも最近の作家は
誰もいないという偏食ぶりです。

今日は、山本周五郎の言葉をいくつか紹介したいと思います。
人間というものは、自分でこれが正しい、と思うことを固執するときには、
その眼が狂い耳も聞こえなくなるものだ。
なぜなら、或る信念にとらわれると、その心にも偏向が生じるからだ。

温床でならどんな芽も育つ。
氷の中ででも、芽を育てる情熱があってこそ、
しんじつ生きがいがあるのではないか。

自分が傷つかぬ限り、人間は他の痛みを感じない。
自分が飢えるまでは、他人の飢えには無関心な人間が多いのです。

虫のついた樹はいちど、根から伐るがいい、
そうすれば、ひこばえの出ることもあるし、
立ち腐れにしておくよりさっぱりするだろう。

毒草から薬を作り出したように、悪い人間の中からも、
善きものをひきだす努力をしなければならない。
人間は人間なんだ。



Posted by いとう茂 at 17:15│Comments(0)
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