2016年12月16日
気づき&すもう取りと、貧乏神
子どもの頃は逆上がりが苦手でした、今してみろと
言われたら・・・・・何とかなる・・・・たぶん。
苦手なものは他にも結構あったように思います。
食べるものでもジャガイモ、玉ねぎ、野菜類全般が嫌い、
勉強でも算数、国語、社会、理科、音楽、美術・・・・そういうことです。
ローマ字も嫌いでした、好きなものを数えるほうが早かったように
思います。
そんな苦手なことや食べ物も年を重ねるにつれてなくなりました。
逆上がりなどは、いわゆるコツを覚えたら簡単にできるように
なりましたし、食べ物も案外おいしいとか体に必要といったことで
食べるようになったと思います。
それを気づきと言えば適切でしょうか。
気づきは貧乏神に似ているように思います、陸上でも水泳でも
タイムが伸びない原因が貧乏神、それに気づき克服することで
一皮むけて一段階アップ、そんなことはよくありますし、うまく
文章が書けずにいたら、たまたま読んだ本に感化されて、
まとまった文章になることもあります。
人にものを教えることはできない、自ら気づく手助けができるだけだ。
ガリレオの言葉ですが、よく考えるとそうかもしれないと感じます。
気づく、感じる、大げさに言えば悟るとなるのでしょうか。
手取り足取り指導をしてもらってもこちらが考えて、その気にならないと
気づきは生まれません、これではだめだという意識が必要に
なりますが、欠点の修正は案外億劫ですし、何かと窮屈なものです。
人生に大関があるか分かりませんが、大相撲の番付のように
一枚でも上を目指す姿勢は持ち続けたいと思っています。
むかしむかし、つるぎ山という、すもう取りがいました。
はじめはガリガリの小さな体でしたが、いっしょうけんめいけいこをして、
ズンズン大きくなりました。
「はやく大関(おおぜき→むかしは大関が一番強い位でした)になって、
お母さんに喜んでもらうんだ」
つるぎ山は大関になるために、毎日きびしいけいこを続けました。
ところがある日から、つるぎ山は急に弱くなってしまいました。
自分よりも体の小さい者にも、コロコロと負かされてしまうのです。
「さっきのは、ちょっとゆだんしたからだ。もうゆだんしないぞ。さあこい!」
でもやっぱり、いくらがんばってもコロコロと負けてしまいます。
「もうだめだ。残念だが、すもうをやめよう」
そして、お世話になった親方に言いました。。
「わたしは、もう限界です。田舎へ帰ってお母さんのそばで働くので、
ひまをください」
しかし親方は、つるぎ山をはげましました。
「調子の悪い時は、誰にでもある。もう少し、ガマンするのだ。
負けてもけいこを続ければ、必ず強くなる」
けれどつるぎ山は親方の家を逃げ出して、お母さんのいる田舎へ帰ったのです。
「お母さん、すもう取りになりましたが、どうしても大関になれそうもありません。
これからは田舎で働くので、お母さんのそばへおいてください」
手をついてあやまるつるぎ山に、お母さんはきびしく言いました。
「いけません! そんな意気地なしは、お母さんの子ではありません。
もう一度、親方さんのところへ帰って、しっかりけいこをしてごらんなさい。
大関になるまでは、二度と帰ってはいけません!」
「でも」
「はやく、親方さんのところに帰りなさい!」
「・・・はい」
そこまで言われれば、仕方がありません。
つるぎ山は親方のところへ、帰ることにしました。
その帰る途中に、けわしい山があります。
つるぎ山が山を登っていると、
「おーい、おーい」
と、誰かが後ろから呼びました。
それは頭の毛がボウボウとのびていて、体はやせて骨と皮ばかりの老人です。
「わたしに、何か用かね?」
「さようです。ヘヘヘへ。わたしをおいてきぼりにしないでくださいよ。
今朝はうっかりして遅れましたが、わたしたちは、いつも一緒でしょう。
さあ、行きましょう」
「・・・? いつも一緒だって? お前は一体、誰だ?」
「わたしですか。ヘヘヘへ。わたしは、貧乏神です。
いつもあなたに、ついているのですよ」
つるぎ山はビックリして、貧乏神の顔をにらみつけました。
「わかったぞ! お前がついているから、わたしはすもうに負けるのだな。
そうだろう!」
「ヘヘヘへ。その通りですが、ちょっと違います。
わたしがいるから弱くなったのではなく、あなたが弱いから、
わたしがやって来たのです」
「わたしが弱いだと! なにを言う、わたしはすもう取りのつるぎ山だぞ!」
「ヘヘヘへ。あなたのどこが強いのですか?
ちょっと負けが続いたからといって、親方のところから逃げ出して、
お母さんに泣きつくお人が」
「なっ、なんだと!!」
つるぎ山は大声で怒鳴りましたが、しかし貧乏神の言う事も
間違いではありません。
(確かに、貧乏神の言う通りだ。わたしが意気地なしだから、
貧乏神がやってきたのだ。よし、元気を出そう。
貧乏神なんかに、負けてたまるか!)
つるぎ山ははだかになってまわしをしめると、貧乏神に言いました。
「貧乏神! ひとつ、すもうをとろうじゃないか」
「ヘヘへへ。すもうですか? まあ、とってもいいですが、でも、
わたしの方が勝ちますよ」
「そんな事はない。勝つのは、このつるぎ山だ!」
「いいえ、意気地なしのあなたでは、わたしに勝てませんよ」
「勝てないかどうか、ためしてみるがいい!」
つるぎ山は、ドシン、ドシンと、しこをふんでから、貧乏神に組み付きました。
そして全身に力を込めて、
「えいっ!」
と、貧乏神を投げ飛ばしたのです。
「おみごと! あなたはきっと、大関になれますよ」
貧乏神はそう言って、消えてしまいました。
そのとたん、つるぎ山の体に力がわいてきました。
力があふれ出て、自分でも強くなったのがわかります。
つるぎ山は元気いっぱいで、親方の家に帰りました。
そしてつるぎ山はけいこをつんで、それから三年目、
ついに大関になる事が出来たのです。
言われたら・・・・・何とかなる・・・・たぶん。
苦手なものは他にも結構あったように思います。
食べるものでもジャガイモ、玉ねぎ、野菜類全般が嫌い、
勉強でも算数、国語、社会、理科、音楽、美術・・・・そういうことです。
ローマ字も嫌いでした、好きなものを数えるほうが早かったように
思います。
そんな苦手なことや食べ物も年を重ねるにつれてなくなりました。
逆上がりなどは、いわゆるコツを覚えたら簡単にできるように
なりましたし、食べ物も案外おいしいとか体に必要といったことで
食べるようになったと思います。
それを気づきと言えば適切でしょうか。
気づきは貧乏神に似ているように思います、陸上でも水泳でも
タイムが伸びない原因が貧乏神、それに気づき克服することで
一皮むけて一段階アップ、そんなことはよくありますし、うまく
文章が書けずにいたら、たまたま読んだ本に感化されて、
まとまった文章になることもあります。
人にものを教えることはできない、自ら気づく手助けができるだけだ。
ガリレオの言葉ですが、よく考えるとそうかもしれないと感じます。
気づく、感じる、大げさに言えば悟るとなるのでしょうか。
手取り足取り指導をしてもらってもこちらが考えて、その気にならないと
気づきは生まれません、これではだめだという意識が必要に
なりますが、欠点の修正は案外億劫ですし、何かと窮屈なものです。
人生に大関があるか分かりませんが、大相撲の番付のように
一枚でも上を目指す姿勢は持ち続けたいと思っています。
むかしむかし、つるぎ山という、すもう取りがいました。
はじめはガリガリの小さな体でしたが、いっしょうけんめいけいこをして、
ズンズン大きくなりました。
「はやく大関(おおぜき→むかしは大関が一番強い位でした)になって、
お母さんに喜んでもらうんだ」
つるぎ山は大関になるために、毎日きびしいけいこを続けました。
ところがある日から、つるぎ山は急に弱くなってしまいました。
自分よりも体の小さい者にも、コロコロと負かされてしまうのです。
「さっきのは、ちょっとゆだんしたからだ。もうゆだんしないぞ。さあこい!」
でもやっぱり、いくらがんばってもコロコロと負けてしまいます。
「もうだめだ。残念だが、すもうをやめよう」
そして、お世話になった親方に言いました。。
「わたしは、もう限界です。田舎へ帰ってお母さんのそばで働くので、
ひまをください」
しかし親方は、つるぎ山をはげましました。
「調子の悪い時は、誰にでもある。もう少し、ガマンするのだ。
負けてもけいこを続ければ、必ず強くなる」
けれどつるぎ山は親方の家を逃げ出して、お母さんのいる田舎へ帰ったのです。
「お母さん、すもう取りになりましたが、どうしても大関になれそうもありません。
これからは田舎で働くので、お母さんのそばへおいてください」
手をついてあやまるつるぎ山に、お母さんはきびしく言いました。
「いけません! そんな意気地なしは、お母さんの子ではありません。
もう一度、親方さんのところへ帰って、しっかりけいこをしてごらんなさい。
大関になるまでは、二度と帰ってはいけません!」
「でも」
「はやく、親方さんのところに帰りなさい!」
「・・・はい」
そこまで言われれば、仕方がありません。
つるぎ山は親方のところへ、帰ることにしました。
その帰る途中に、けわしい山があります。
つるぎ山が山を登っていると、
「おーい、おーい」
と、誰かが後ろから呼びました。
それは頭の毛がボウボウとのびていて、体はやせて骨と皮ばかりの老人です。
「わたしに、何か用かね?」
「さようです。ヘヘヘへ。わたしをおいてきぼりにしないでくださいよ。
今朝はうっかりして遅れましたが、わたしたちは、いつも一緒でしょう。
さあ、行きましょう」
「・・・? いつも一緒だって? お前は一体、誰だ?」
「わたしですか。ヘヘヘへ。わたしは、貧乏神です。
いつもあなたに、ついているのですよ」
つるぎ山はビックリして、貧乏神の顔をにらみつけました。
「わかったぞ! お前がついているから、わたしはすもうに負けるのだな。
そうだろう!」
「ヘヘヘへ。その通りですが、ちょっと違います。
わたしがいるから弱くなったのではなく、あなたが弱いから、
わたしがやって来たのです」
「わたしが弱いだと! なにを言う、わたしはすもう取りのつるぎ山だぞ!」
「ヘヘヘへ。あなたのどこが強いのですか?
ちょっと負けが続いたからといって、親方のところから逃げ出して、
お母さんに泣きつくお人が」
「なっ、なんだと!!」
つるぎ山は大声で怒鳴りましたが、しかし貧乏神の言う事も
間違いではありません。
(確かに、貧乏神の言う通りだ。わたしが意気地なしだから、
貧乏神がやってきたのだ。よし、元気を出そう。
貧乏神なんかに、負けてたまるか!)
つるぎ山ははだかになってまわしをしめると、貧乏神に言いました。
「貧乏神! ひとつ、すもうをとろうじゃないか」
「ヘヘへへ。すもうですか? まあ、とってもいいですが、でも、
わたしの方が勝ちますよ」
「そんな事はない。勝つのは、このつるぎ山だ!」
「いいえ、意気地なしのあなたでは、わたしに勝てませんよ」
「勝てないかどうか、ためしてみるがいい!」
つるぎ山は、ドシン、ドシンと、しこをふんでから、貧乏神に組み付きました。
そして全身に力を込めて、
「えいっ!」
と、貧乏神を投げ飛ばしたのです。
「おみごと! あなたはきっと、大関になれますよ」
貧乏神はそう言って、消えてしまいました。
そのとたん、つるぎ山の体に力がわいてきました。
力があふれ出て、自分でも強くなったのがわかります。
つるぎ山は元気いっぱいで、親方の家に帰りました。
そしてつるぎ山はけいこをつんで、それから三年目、
ついに大関になる事が出来たのです。
Posted by いとう茂 at 12:19│Comments(0)