2017年02月25日

30年

1987年の正月に手書きの「げんき通信」を1987部、
町内の新聞屋さんのご好意で元旦の新聞に折り込んでいただきました。
これが始まりで毎月の売り出しのチラシに拙い文章を掲載するように
なり、それだけでは飽き足らずに、友人・知人に年賀状の代わりに
A3用紙の裏表にほとんど字ばかりの挨拶状、と言うより勝手な
自分の思いを綴ってきました。
多い年は2・3回作ったこともありましたし、新聞折り込みで8000部ほど
折り込んだ年もありました。

30歳を少し過ぎた青年も30年の時間を経て、孫を持つ初老の時を
迎えました。
議員になり時候の挨拶状は返礼だけで、しかも手書きと法律で
定められていますので年賀状としては出すことができません。
政治のことは皆無と言っていいほど触れないようにしていますが、
それでも疑念を生じてしまう可能性がありますので、後援会の
議会報告と一緒に出すようにしています。

それが今年は年明けに作成できませんでした、年末には
原稿の整理をしていたのですが、割り付けの前にもう一度
原稿の推敲をしなければいけません、パソコンの画面ではどうも
見逃すことが多いのと読みにくいのでプリントアウトもしたのですが、
そこから先に進みません。
気分が乗らないということではなく逆にしなければという意識が
あり追い込まれている感覚で、ゆとりがない文章になりそうで
棚上げしたままになっています。

年を重ねるごとに続けてきたものを続けられることが喜びになり、
前向きに生きる動機にもなるように感じるようになりました。
献血も32年、げんき通信も30年、いつかは幕を引くときが来ます、
献血もあと7年で協力できる最終の年を迎えますし、げんき通信も
40年が迎えられるかどうか。
人間は勝手なものだと感じるのは、最初の頃はペースも考えずに
走り出すのに終わりが近くなると、なんでもっとゆっくり走らへん
かったんやろ、そんな後悔が出るものです。
夏休みもそうです、7月からお盆くらいまでは夢中に走っていたのに
地蔵盆が終わると空白の日記帳に架空の出来事を記入する
空虚な時間の連続、読書感想文は本の一説の書き写し・・・・・・。
四国遍路も同じでした、65番の愛媛最後の札所の三角寺を打ち、
香川に入るとあっという間に75番の善通寺、なんでもっとゆっくり
歩かへんかったんやろ・・・・・。

そんな教訓が生きて、ようやくげんき通信の作成に慎重になっている、
これって、きっと自分への言い訳だ~・・・・・・。


Posted by いとう茂 at 21:30│Comments(0)
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