2017年07月09日
ありがたき哉、ありがたき哉
1日の土曜日の夕方に駐車場から家に入る時に、
1台の車とすれ違いました。
運転していたのは50年来の友人でした、片手をあげて軽く会釈を
する程度で車は走り去っていきました。
同じ膳所に生まれて小学校から高校まで一緒の同級生で、
12年のうち6年は同じクラスでした。
時々町で出会いますがいつも軽く会釈をする程度で、どちらかが
歩いている場合は世間話をしますが、それ以外は笑顔の交換です。
その友人が2日に電話をくれました。
「元気にしてるけ、昨日であった時に少し疲れているのかと思って・・・・」
「おおきに、大丈夫やで、ありがとうなぁ」
「ほんまに疲れてへんけ、やつれたみたいやったし・・・・・」
「年のせいもあるやろうけど、どこも悪くないし元気にやってるよ」
「そんならいいんやけど、無理せんといてな」
「ありがとう、心配してもうてすまんなぁ」
「また、1回会おうけ」
「おおきに、おおきに」
そんな短い会話でしたが、一瞬すれ違っただけで、しかも周りは
少し暗くなりかけていたのに運転しながら彼はこっちの顔色を見て
いてくれた、こっちはいつものことなので片手で挨拶だけなのに・・・・・。
ありがたき哉、ありがたき哉です。
改めて自分は誰かに支えられて生きていることを実感しました。
そして、誰かを支えることをしているかという自問も出てきました。
甘えすぎず依存しすぎず生きることは案外難しいことです。
甘えていいんだよ、もっと頼ってくれていいんだよ、誰にでもとは
言えませんが、懐の深い人間になるためにどんなことを実践して
いるのか考えると・・・・・・・・です。
人のために生きることが自分の人生の肥やしになる、そんなことを
実感できれば、子どもの頃のような無邪気な笑顔が出てくるのでしょうか、
不気味だ気色悪い、そんな声が聞こえてくるかもしれませんが・・・・・。
1台の車とすれ違いました。
運転していたのは50年来の友人でした、片手をあげて軽く会釈を
する程度で車は走り去っていきました。
同じ膳所に生まれて小学校から高校まで一緒の同級生で、
12年のうち6年は同じクラスでした。
時々町で出会いますがいつも軽く会釈をする程度で、どちらかが
歩いている場合は世間話をしますが、それ以外は笑顔の交換です。
その友人が2日に電話をくれました。
「元気にしてるけ、昨日であった時に少し疲れているのかと思って・・・・」
「おおきに、大丈夫やで、ありがとうなぁ」
「ほんまに疲れてへんけ、やつれたみたいやったし・・・・・」
「年のせいもあるやろうけど、どこも悪くないし元気にやってるよ」
「そんならいいんやけど、無理せんといてな」
「ありがとう、心配してもうてすまんなぁ」
「また、1回会おうけ」
「おおきに、おおきに」
そんな短い会話でしたが、一瞬すれ違っただけで、しかも周りは
少し暗くなりかけていたのに運転しながら彼はこっちの顔色を見て
いてくれた、こっちはいつものことなので片手で挨拶だけなのに・・・・・。
ありがたき哉、ありがたき哉です。
改めて自分は誰かに支えられて生きていることを実感しました。
そして、誰かを支えることをしているかという自問も出てきました。
甘えすぎず依存しすぎず生きることは案外難しいことです。
甘えていいんだよ、もっと頼ってくれていいんだよ、誰にでもとは
言えませんが、懐の深い人間になるためにどんなことを実践して
いるのか考えると・・・・・・・・です。
人のために生きることが自分の人生の肥やしになる、そんなことを
実感できれば、子どもの頃のような無邪気な笑顔が出てくるのでしょうか、
不気味だ気色悪い、そんな声が聞こえてくるかもしれませんが・・・・・。
Posted by いとう茂 at 19:13│Comments(1)
この記事へのコメント
本当にそう思います。見てるひと見てますよ
Posted by おばさんより at 2017年07月09日 21:11