2017年08月18日

その人を笑えますか㊱

「年を取った馬」

年をとったた馬が、粉屋のうすを引く為に売られました。
うすを回す棒につながれて、ぐるぐる回りながら馬は悲しい声でうめきました。
「むかしは競馬場をさっそうと回ったわしが、同じ回ると言ったって、
やれやれ、何という回り方をする様になった事か。落ちぶれたものだなあ」

若い時に活躍した人ほど、年を取ってから若い時はどうだったと、
ぐちをこぼしますが、もう若い頃に戻れないのですから、
なげいていても仕方ありません。
足るを知る、人と比較しない、このことが難しいのは
過去があるからかもしれません。

「馬とウシとイヌと人間」

人間を作ったのはゼウスの神ですが、はじめゼウスは人間が
早く死ぬ様に、短い寿命しか与えませんでした。
しかし人間は頭が良かったので、冬になると自分で家を建てて、
その中で暖かく暮らしました。
さて、ある日の事。
寒さが急に厳しくなり、冷たい雨まで降り出しました。
外にいた馬は、もう我慢が出来なくなって人間の家にやって来ました。
「人間さん、どうかわたしをあなたのお家に入れて、寒さをしのがせて下さい」
すると人間は、
「いいよ。ただし、1つだけ条件がある。お前の寿命を少しわたしに
分けてくれるなら、入れてやるよ」
「はいはい。喜んで差し上げます」
馬は寿命を何年か分けてあげる約束で、家に入れてもらいました。
今度は、ウシが来ました。
「おお、寒い寒い。もうたまらない。あなたの家に入れて下さいよ」
人間は今度も、
「お前の寿命を、わたしに少し分けてくれれば、入れてやるよ」
ウシも寿命を少し譲る事にして、入れてもらいました。
最後にイヌが、寒さで凍え死にそうになって来ました。
そしてまた、寿命を少し人間に分けてあげる事にして、
家に入れてもらいました。

さあ、この為にどういう事になったか、わかりますか?
人間がはじめにゼウスの神からもらった寿命を生きている間は、
無邪気で良い性質です。
ところが、その寿命が無くなって馬から分けてもらった寿命を
生きる事になると、偉そうにして威張り屋になります。
次に今度はウシからもらった寿命の分を生きる時には、
命令したりするのが自分の仕事だと思う様になります。
そして最後に、イヌのくれた年を生きる頃には、怒りっぽい頑固者になるのです。
今の私はどの動物の寿命を生きているのだろう。
うちの小さい犬は怒りっぽいところはないし、馬や牛の
ようなところもないように思っています・・・・・・。
だとしたら、無邪気で良い性質・・・・・・・・?。

「腹のふくれたキツネ」

お腹を空かせたキツネが、カシの木のうろにヒツジ飼いたちが
置いていったパンと肉があるのを見つけて、うろの中に潜り込み、
そのパンを全部食べてしまいました。
ところが、今までペチャンコだったお腹がすっかりふくらんでしまったので、
うろの口から出られなくなりました。
キツネは泣いたりわめいたりしましたが、どうにもなりません。
そこへ別のキツネが通りかかり、泣き声を聞きつけてそばに来て、
なぜ泣くのかと尋ねました。
訳を聞くと、このキツネは、
「ふーん、そう言う事か。それなら、うろに入った時と同じ様に
腹が引っ込むまでそこにいろよ。
そうなれば、すぐに出られるに決まっているよ」

このお話しは、困った事になっても、慌てず辛抱強く待っていると、
うまく切り抜けられる事があると言う事を教えています。
辛抱強くかどうかは別にして、果報は・・・・・案ずるより・・・・・。
ケセラセラ~でいいのかなぁ。

Posted by いとう茂 at 20:53│Comments(0)
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