2017年10月07日
今どきの・・・・・
私が若い時によく耳にした言葉の一つに「今どきの
若いもんはなっとらん」若いもんだった私には年寄りのたわごとの
ように聞こえました。
年寄り笑うな行く道じゃ、若者叱るな来た道じゃ、そんな諺を
聞いたのはずいぶんしてからでした。
若者という言葉とは似ても似つかない年ですが、自分を年寄りと
言うには抵抗があります、しかし判断は私では・・・・・・・。
若いもんというには少し若すぎるのですが、小学生が気になります。
毎朝、学校に向かう子どもたちを見ていて感じるのは、こちらが
挨拶をしても返ってこない子どもが多いということです。
照れたりはにかんで言葉が出ないというのではなく、こちらの
言葉が届いていない、友だちと話し込んで夢中になることは
よくあることですが、車が通過するので止まってという声も
聞こえずに、横断歩道を渡ろうとする子どももかなりいますし、
車が後ろから来ているのに道路を右に左にいきなり横断する
子どももいます。
大人でも挨拶を返さない人や止まっての声を無視する人も
いますが、その人たちと子どもは違うと思っています。
子どもたちは聞こえていない部分が多いと思いますが、
大人の場合はうるさい、鬱陶しいそんな感じかもしれません。
小学生が気になるのは挨拶だけではありません、週に一度の
和太鼓の練習風景も一昔前とは様変わりしてきたように
感じます。
少しの間でも静止ができない、聞いたことができない、
昔もやんちゃな子どもは数多くいましたが、それなりに
メリハリがつけられましたが、最近の子どもを見ていて
不安になることがあります、「そんな態度だと学校でも
よく注意されるやろ」「ううん、先生は何も言わない」
短い会話ですが複雑な心境でした、まさか諦められている
とは思いませんが、それに近い状況にあるのかも
知れません。
練習というより態度から指導しなければいけない状態ですが、
もしかすると家庭でもそうした躾で今日まで来たのかも
知れません、私がどうこうできるとか、こうしてやろうという
ことではないのでしょうが、せめて集団で演奏する太鼓ですから
みんなと同じような動きができれば、そこまで行くのが目標です。
今どきの・・・・・と大上段に構えるのではなく、とにかく目の前に
いる自分が受け持つ時間内の子どもについては自分のできることを
していきたいと思っています。
若いもんはなっとらん」若いもんだった私には年寄りのたわごとの
ように聞こえました。
年寄り笑うな行く道じゃ、若者叱るな来た道じゃ、そんな諺を
聞いたのはずいぶんしてからでした。
若者という言葉とは似ても似つかない年ですが、自分を年寄りと
言うには抵抗があります、しかし判断は私では・・・・・・・。
若いもんというには少し若すぎるのですが、小学生が気になります。
毎朝、学校に向かう子どもたちを見ていて感じるのは、こちらが
挨拶をしても返ってこない子どもが多いということです。
照れたりはにかんで言葉が出ないというのではなく、こちらの
言葉が届いていない、友だちと話し込んで夢中になることは
よくあることですが、車が通過するので止まってという声も
聞こえずに、横断歩道を渡ろうとする子どももかなりいますし、
車が後ろから来ているのに道路を右に左にいきなり横断する
子どももいます。
大人でも挨拶を返さない人や止まっての声を無視する人も
いますが、その人たちと子どもは違うと思っています。
子どもたちは聞こえていない部分が多いと思いますが、
大人の場合はうるさい、鬱陶しいそんな感じかもしれません。
小学生が気になるのは挨拶だけではありません、週に一度の
和太鼓の練習風景も一昔前とは様変わりしてきたように
感じます。
少しの間でも静止ができない、聞いたことができない、
昔もやんちゃな子どもは数多くいましたが、それなりに
メリハリがつけられましたが、最近の子どもを見ていて
不安になることがあります、「そんな態度だと学校でも
よく注意されるやろ」「ううん、先生は何も言わない」
短い会話ですが複雑な心境でした、まさか諦められている
とは思いませんが、それに近い状況にあるのかも
知れません。
練習というより態度から指導しなければいけない状態ですが、
もしかすると家庭でもそうした躾で今日まで来たのかも
知れません、私がどうこうできるとか、こうしてやろうという
ことではないのでしょうが、せめて集団で演奏する太鼓ですから
みんなと同じような動きができれば、そこまで行くのが目標です。
今どきの・・・・・と大上段に構えるのではなく、とにかく目の前に
いる自分が受け持つ時間内の子どもについては自分のできることを
していきたいと思っています。
Posted by いとう茂 at 21:14│Comments(0)